episode.12 復元
「さて、んじゃやるか。」
再び作業台に着いたところで、ルーンを機器で固定し、粘着剤の入ったグルーガンを手にした。
粘着剤として使うのは通常、結晶化用に使う熱濃縮エーテル溶液の成分と同じか、それに準ずるものに魔力液を加えたものを使う。
今回のルーンに使用されているのは、ペングローブ、ペルグストリン、オルト―ジスチロジルタンゼンと純エーテルだろう。
これを製錬した人物が何故ペングローブを使ったのかは甚だ疑問だが、それは一先ず置いておこう。
今回の復元で一番厄介なのは、このルーンがボードゲーム用のサイコロくらいの小型サイズなところだ。
小さいにもかかわらず、更にヒビ割れが細かく、酷く繊細な作業が要求される。
おまけにルーン術式がかなり複雑に組まれているので、それを傷つけないように復元するとなると、技術面もそうだが、相当神経をすり減らすことになる。
手元の震えを抑えながらグルーガンの先端に縫い針くらいの細さのチューブを付け、ヒビ割れの部分にできた僅か零点数ミリの隙間に粘着剤を注入していく。
「こんなもんかな……。」
2時間掛けてようやくヒビの隙間全体に粘着剤を注入し終える。が、一息つくにはまだ早い。
ここから粘着剤が馴染むまで純度調整と魔力充填率の調整を行わなければならない。
当たり前のことだが、これをそのまま放置しておくと、粘着剤の部分に空気中の廃魔塵や魔粒子が付着して純度と魔力充填率が狂ってしまう。
そうなればルーン結晶自体の修復は出来ても、ルーンとしての元々の効果を発揮できなくなる。
それに、百歩譲って純度は目を瞑るとしても、魔粒子を取り込みすぎれば最悪の場合、魔力充填率が100%を超えてしまいルーンが破砕してしまうこともある。
そうなってしまえば最早復元は不可能だ。
しかし、だからといって、なら真空管に入れておけばいいと言うわけにもいかない。
粘着剤には魔力液も含んでいる為、そのままではそもそもの魔力充填率は当然上がることになる。
よって、元々の充填率を維持するためには、測定機に掛けて常に充填率を確認し、低ければ空気中に晒して魔粒子を取り込ませながら廃魔塵等の不純物を取り除き、高ければ粘着剤の硬化具合を見つつ、ハイドロキシアパタイトのような専用の魔吸研磨剤で魔力を抜く必要がある。
「だはあ……。」
作業開始から13時間――。
ようやく粘着剤が完全に馴染み、ルーンが淡い発光を取り戻したところで、詰まっていた息を大きく吐き出した。
気づけば深夜3時を回っていた。
流石に目を離せない作業がここまで続くと体に堪える。20代後半を過ぎてから疲れを感じることが多くなった気がするが、流石にまだ歳だとは思いたくない。
「お疲れ様です。」
ルイスの声掛けと同時に頬に冷たい感触を覚え、俺は声を出して飛び上がった。
「冷たっ!?てか、お前まだいたのか……。」
「お化けでも見たような顔で見ないでください。」
そう言ってルイスはサイダーの瓶を差し出してきた。
「ああ、悪い。でも、こんな時間まで残ってなくても……。」
「だって先生、何度話しかけても、『ああ』とか、『ええ』とか、空返事しかしないんですもん。このまま勝手に帰ったら嫌味言われるんじゃないかと思って。」
「いや、んなこと言わねえよ……。」
こいつはホント俺を何だと思ってるんだ。
まあ、心配してくれてることは伝わってくるのでそこは素直に有り難い。
俺はサイダーを貰うと、蓋を開けて一気に飲み干した。
「くー、生き返る!」
「それ好きですよね。そんなに美味しいですか?巷だと、無味無臭で不味いって評判悪いですよ、それ。」
「そうなのか?ま、俺味音痴だし。」
「そういう問題ですか?」
ルイスはやや呆れ顔でやれやれと首を振ると、視界に作業台に固定したルーンが目に入ったようで、近づいては目の前でじっくりと眺め始めた。
「ルーンの復元って私初めて見たんですけど、こうやってやるんですね。」
「ああ、そっか。専門じゃ復元まではやらないもんな。」
ルイスは一瞬こちらに振り向いて頷くも、直ぐにルーンに興味を戻した。
製錬技師の仕事は、基本その名の通りルーンの製錬だ。余程大型の物でなければ、新しく製錬するのが常識で、復元はあくまでおまけに等しい。
実際、製錬技師をするのに必要な資格である〝製錬技士〟は、筆記でも実技でも復元の知識は一級まで要求されることはなく、触れることすらない。
そう考えれば、ルイスがルーンの復元法を知らないのも無理はない。
「製錬と同じで人によって多少やり方は異なるが、大体はこのやり方が一般的だな。」
「そっか……。あのこれ、まだ完成してないですよね?ここからはどうするんですか?」
「崩れたルーン術式を彫り直す。完璧に復元するなら作った製錬技師と全く同じ彫り方をする必要があるから、普通に彫るよりも腕がいる。彫り方にも人それぞれ癖があるからな。」
「先生なら出来るんですか?」
「いや、俺でもこの術式の復元は完璧には無理だ。だから少し手を加える。幸い依頼人は完璧な復元は求めていないからな。そこは多少術式を改竄しても文句は言われないだろう。」
俺の返答にルイスは考え込むように俯いていたが、時計が4時を知らせたところでハッと顔を上げた。
「今日はもう終わりにしよう。続きはまた明日だ。お前も今日はもう帰っていい。遅くまで悪かったな。」
「いえ、全然平気です。先生の作業している所が見れて勉強になりましたし、どうせ家には今誰もいないので。」
家に誰もいない――というのは一人暮らしってことか。
若干引っ掛かるも、ルイスの顔を見て深入りするのは野暮だと思って出しかけた言葉を引っ込めた。
「そうか。なら明日は出勤昼過ぎからでいいから、今日はゆっくり休め。」
「はい。ありがとう御座います。おやすみなさい。」
ルイスを見送ると一息ついたせいか、一気に眠気が襲ってきた。
「俺も今日はもう寝よう。」
道具を片付けてから二階の自室に戻り、俺も直ぐに寝床に着いた。
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