episode.11 諦め

「どうするのがいいんだろうな……。」



 広場の噴水の脇に腰を下ろし、子供たちがボールで元気に遊ぶのをぼんやりと眺める。



 今になってどうしてあんな勝負を吹っ掛けたのか、と後悔する――。



 オーツがあの時愚痴をこぼさなければ、ルイス達の勝負だけで済んだだろう。


 いや、あいつには散々迷惑かけてきたし、それでも良くしてくれている。

 あいつだってたまには愚痴も溢したくなるだろう。


 何より【ヘパイストスの秘石】を賭けると言ったのは俺自身だ。

 俺から言い出したのだから、悪いのは俺だ。あいつは悪くない。



 ポケットからそれを取り出し、角度を変えながら太陽に翳して鮮紅色に輝くそれを眺めた。



 【ヘパイストスの秘石】――世界最高峰であるベルヘイム山の山頂にのみ生息する絶滅危惧種の黒龍。

 その黒龍の中でも千年以上生きた個体は、心臓の一部が極稀に結晶化するという。


 その結晶化した心臓の別名が、これだ。



 鮮紅色に輝くその石は、ルーンの製錬に使えば刻んだルーン術式の効果を問答無用で最大限に引き出すことができ、更には通常なら不可能な合成術式すらも可能としてしまう幻の石だ。一部の地域では【賢者の石】とも呼ばれている。


 ヘパイストスの秘石が幻の石と言われる所以は、その御都合的効果もさることながら、生涯を賭しても手にするどころか、目にすることすら難しいことにある。


 黒龍のいるベルヘイム山の山頂は、伝説と語り継がれる歴戦の冒険者ですら辿り着けた者はほとんどいない。


 更に言えば、黒龍は絶滅危惧種であることからも分かるように、そもそもの個体数が少ない。その上、千年以上生きた個体など存在するかどうかすら怪しい。


 何より、仮に運良く出会えたとしても黒龍を倒すことは相当に難しく、命からがら倒せたとしても、心臓が結晶化している可能性は極めて低い。


 そして、それらすべての確率を乗り越えたとしても、手に入るヘパイストスの秘石は精々500g程度だという。



 故に、幻の石であり、手離せばもう二度と手にすることは出来ないだろう。



 だが、俺にとってそんなことは正直どうでも良かった。



「君なら……君がいてくれたなら、俺は答えを見つけられたかな。」



 この石は俺にとって特別な石だ。

 仮にヘパイストスの秘石でなく、ただその辺の石ころだったとしても、俺はこの石を絶対に手離せない。



 戻ろう――。



 迷っていても仕方がない。迷って時間を失うのは、現状ではもっとも愚かな行為だ。

 今はとにかく手を動かすべきで、こんなところで足を止めている場合じゃない。



 俺は石をポケットにしまい、店に戻った。





「ですが……あ、先生!」


 店に戻った矢先、カウンターで話し込むルイスが俺に気づいて立ち上がった。

 見れば、カウンター手前に感じの良さそうな老齢の女性が座っていた。



「お客様か。いらっしゃいませ。」



 俺は客に挨拶してカウンターの中へと入った。



「で、この人はどういったご用件なんだ?」


「それが、これなんですが……。」



 ルイスは客に目で許可を取ると、カウンターにあったものを手に持って差し出してきた。



「これは……ルーン式万年筆か。かなり年代物だな。」



 見れば、万年筆の柄の先端にあるルーンにはヒビが入っており、光を失っていた。



「こちらのお客さん、お仕事でこの万年筆を使われているそうなんですが、壊れてしまったので直して欲しいそうなんです。」


「なるほどな。で、お前は何でそんなに難しい顔をしてるんだ?」



 俺の問い掛けにルイスは半ば不満げといった顔で口を尖らせた。



「これだけ劣化したルーンだと修復するにしても元の通りまで復元は出来ませんよね?」


「まあ、難しいだろうな。」


「それに費用もかなり掛かります。それならルーンを新しいものに買い替えた方が安くすみますし、二世代くらい前のこのルーンより、今のルーンの方が使い勝手もいいと思うんです。だからそう何度も提案しているんですが、お客様は納得いかないようでして……。」



 ルイスは女性の意図が分からない、と困った様子で視線だけ彼女に向けた。



「やはり修理は難しいでしょうか?」



 ルイスの視線を追って俺もご婦人の方を見ると直ぐに目が合った。

 その目は懇願するように瞼を震わせている。



 なるほど、そういうことか――。



「問題ありません。」


「えっ、先生――!?」



 俺は椅子に腰を下ろし、ご婦人と対面した。

 ルイスは目をギョロっとさせて俺を凝視したまま立ち尽くしていた。



「ただ、一つ確認したいのですが、よろしいでしょうか。」


「はい。何でしょう?」


「先程そこの弟子からも説明があったように、ここまで劣化したルーンは新品同然まで復元するのは極めて困難です。勿論最善は尽くしますし、最低限使えるようにはしますが、その点だけは御了承下さい。」


「それはもちろんです。少しでも長く使えるようになるのであれば、それで構いません。」



 ご婦人の返答に俺は微笑みながら頷いた。



「それともう一点。費用に関してですが、ここまで古いものだと実際作業に入ってみないことには何とも言えませんが、その……最低でも7、いや8万メルドは掛かるかと思うのですが、そちらは……。」


「それなら16万メルドお出ししましょう。」


「じゅ、16万――!?」



 そこでルイスがカウンターに両手をついて身を乗り出してきた。

 気持ちは分かるが、お客様の前ではもう少し落ち着いて欲しいもんだ。



「そんな大金、よろしいんですか?」



 とはいえ、流石の俺も少し盛った額を提示したのに、その倍額を出すと言われて冷静さを欠いてしまいそうだった。


「構いません。引き受けて下さるなら安いものです。」



 安いもの、か――。


 やはりこの人にとってこのルーンは相当思い入れのある物らしい。



「どうしてそこまで……。」


「こら。」



 くだらないことを呟くルイスに、俺は手刀を作って軽く頭を叩いた。


 クライアントの事情には深入りしないのがこの手の仕事のルールだというのに、まったく。


 ルイスにはその辺をもう少し教えないといけないな。



「仲が良いのですね。」



 こちらのやりとりに、ご婦人はフフッと笑ってはご機嫌な様子を見せた。


 俺はわざとらしく咳払いをして一旦場をリセットした。

 客の前で失礼だったと反省しながらも、にこやかなご婦人に内心ホッとしていた。



「では、交渉成立ですね。修復には三日ほどお時間を頂きます。」


「そんなに早く出来るのですね。もっと掛かるかと思っていました。」


「まあ、復元が難しいと言うだけで、工程としては通常のルーンの復元と何ら変わりはありませんので。」


「そうですか。でも、本当に良かった。今回ばかりは諦めるしかないと思っていましたので。」



 喜びに満ちた笑みを浮かべたと思った矢先、ご婦人は物憂げな表情を俺たちに向けた。



「そう言えば、どうしてうちを選んでくれたんですか?」


「おい、それはどういう意味だ?」



 生意気なことを抜かすルイスに再びその頭に手刀をやや強めに決めると、痛そうに頭を押さえながらめっちゃ睨んできた。



 どう考えても今のはお前が悪いっての。



「失礼ながら、本当は他にも製錬屋を回ってはいたんです。」



 ご婦人はフフッと上品に笑っては、おもむろに口を開いた。



「ですが、そちらのお弟子さんが仰る通り、どこのお店も買い替えた方が良いと言って修理を引き受けてくれませんでした。」


「そうですね。常識的に考えてみればその方が合理的ですし、他人が作ったルーンの復元というのは、ただ製錬するよりも遥かに難しく技術もいるので、製錬技師としてはあまり引き受けたくない仕事ではあるでしょうから。」


「はい。ですから、引き受けて下さるところを探して色々なお店を回ったのですが、何処も引き受けていただけず、諦めかけていた時にこちらのお店を見つけたんです。ここで駄目なら諦めよう、そう思っていたのですが、最後の最後で引き受けていただけて本当に良かった。」



 このご婦人は本当に人が出来ているのだろう。

 雰囲気からして一目見た時から貴族であることは分かっていたが、俺の中での貴族のイメージとは大きく異なり、その様相も、性格も、どれをとっても品があり、お人柄が身に沁み出ている。



「では、三日後にまた。」


「はい、お待ちしています。」



 頭を下げてご婦人を見送ると、俺は早速作業台に着き、万年筆からルーンを取り外して状態の確認から入った。



「よく分からなかったけど、割のいい仕事が入って良かったですね!」



 先程までの俺の様子を鑑みて気を遣っているのか、ルイスは戸惑いながらも盛り上げようとしてくれているようだった。



「ルイス。お前さ、ルーンって何だと思う?」



 鑑定用ルーペでルーンの状態を確認しながら話しかける俺に、ルイスは後ろからそれを見ながら首を傾げた。



「何って……どういう意味ですか?」


「そうだな……例えば、ルーンは消耗品と耐久品、どっちだと思う?」


「それは、消耗品じゃないですか。ルーンは繰り返し使えば劣化するし、酷使すれば割れたり、砕けたりもします。何より国の商標では消耗品として登録されてますよね?」



 ルイスは当たり前だ、とでも言うように自信満々で答えた。



「そこが、お前が間違っている点だ。」


「間違い……ですか?」


「確かに一般的な見方をすれば、お前の言う通りルーンは消耗品だ。だが、それはあくまで一般的な話であって、俺たち製錬技師にとってルーンっていうのはそう簡単な代物じゃない。」


「言っている意味がよく分かりません……。」



 作業しながら目はルーンに向けているが、それでも後ろでルイスが不服な様子なのは見なくても分かる。



「要は〝ルーンは使用者と共に成長する〟ってことだ。お前もこれから製錬技師としてやっていくなら、よく覚えておけ。」


「ルーンは使用者と共に成長する……。」



 反芻するように俺の言った言葉をルイスは繰り返し呟く。



 まあ、まだ分からないか――。



 だが、製錬技師としてもっと成長すれば、自ずと理解できる時が来る。

 こいつが一人前になるまではまだまだ掛かりそうだな。



「このルーン……なるほどな。」



 鑑定を終え、ルーペを置いてルーンを天井の明かりに翳して眺める。



「道理で他の製錬技師が断るわけだ。」


「どうしたんですか?何か問題でも?」



 不満げな様子から一点、純粋に気になるといった面持ちでルイスが尋ねてきた。



「いや、別に問題はない。ただあの婦人がこのルーンを手離したくない理由が分かっただけだ。」


「理由?」


「知りたきゃ、お前も鑑定してみるんだな。」



 ハハッと笑いながら俺は倉庫に必要な物を取りに行く。

 後ろでルイスが文句を言いながらあっかんべをしているが、俺はそれを手で流した。

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