episode.3 心の亀裂
次の日、朝起きると10時を過ぎていた。
昨日は疲れて夕方にはベッドに入っていたのに、完全に寝過ごしてしまった。
俺は慌てて身支度を済ませて店に向かった。
「親父さん、悪ぃ!寝過ごした!」
勢いよく店の扉を開け放っては叫ぶと、カウンターに親父さんともう一人知らない男が立っていた。
「おお、やっと来たか。」
一瞬装いからして役人が店を潰しに来たのかと焦ったが、親父さんの様子からして違うようだ。
ホッと胸を撫で下ろして息を整えながら、俺はカウンターまで歩み寄った。
「お客さん?」
俺が聞くと、親父さんは何も言わず首を横に振った。
「君がウェイ・ヴァルナーか?」
問いかけてきたのは横にいた見知らぬ男だった。
客じゃないとしたら、やっぱり役人だろうか。
スラッとした立ち姿、貴族のような気品ある服装、女性を落とすことに苦労したことがなさそうなくらい整った顔立ち――。
歳は俺と同じくらいだろうか。
この街の役人にしては妙に派手な気がするが。
「そうだけど、あんた誰?」
客じゃないなら礼儀はいらないだろう――。
役人である可能性を踏まえ、牽制するように男を睨んだ。
「おっと失礼。私はフレイテス・ナージフォン。王都で国認製錬技師をしている者だ。」
「ああ、昨日騒ぎになってた国認ってあんたのことか。」
役人ではないことに一先ず安堵し、俺は警戒を解いた。
「んで?国認なんかがうちの店に何の用?ヘルモニウムを採りに来たんじゃなかったのか?」
「ああ、そうだ。ヘルモニウムはもう手に入れたよ。これから王都に帰って魔法鎚を作るつもりだ。だが、その前に――」
そう言ってフレイテスなる国認は懐から一つのルーンを取り出した。
「それって、昨日俺が作った……確か親父さんに王都に送るよう頼んでたはずだけど。」
俺は親父さんを見たが、親父さんは無表情のまま何も言ってはくれなかった。
「これは昨日、配送屋に居合わせたこちらの御仁から私が直接買い取ったものだ。」
なるほど。
たぶんこの国認は昨日ヘルモニウムを採った後、配送屋に王都へ運んでもらうよう頼みに行ったんだ。そこで親父さんと会い、これを買い取ったってところか。
「親父さん、これいくらで売ったんだ?個人に売って、店の方は大丈夫なのか?」
「王都で売ろうとしてた倍の価格で買ってくれたよ。」
「倍!?マジで!?さすが国認はやることが違うなあ……。」
正直呆れる気持ちもあるが、そうと分かればこの男はこの店の恩人だ。
これ以上失礼な態度は取れないな。
「お買い求めいただき、ありがとう御座います。」
フレイテスは急に丁寧になる俺にやや困惑している様子を見せたが、咳払いをして仕切り直すとその口を開いた。
「気を許してもらえたところで改めて確認させてもらうが、これは君が作った物で間違いないんだね?」
「ああ、そうさ。なかなか良い出来だろ。ルーン術式には拡張性も残してあるから何にでも使えるぞ。」
俺は胸を張って自信満々に言い放った。
如何に国認製錬技師であっても、ここまでの出来のルーンは早々作れる物ではないはずだ。少しくらいは威張っても文句は言われないだろう。
「そこの御仁曰く、君は二級製錬技師だそうだが、それも間違いないか?」
「ああ。間違いないけど、別に二級が作ったからって質が悪いわけじゃないからな。今更値引きはしないぞ。」
「そうか……。」
こちらとしては冗談を言ったつもりなのだが、フレイテスは剣呑な表情で何か考えている様子だった。
そして次の瞬間、予想もしなかったことを言い放った。
「なら君は、今すぐに王都へ来るべきだ。」
言っている意味が分からなかった。
今の話の流れでどうしてそうなったのか。
この時の俺は相当間抜けな顔をフレイテスに向けていたと思う。
それほどまでに俺の思考は停止していた。
「えっと……何だって?」
「君は今すぐに私と王都に来るべきだ。」
「いやいや、言ってる意味が分かんねえよ。それに、俺はこの店を止める気はない。」
「いいや、君は絶対に王都へ来るべきだ!」
「何でだよ!?」
反対する俺に苛立ちを見せるようにフレイテスはカウンターを強く叩いた。
「君の作ったルーンでこの店にある物は全て見させてもらった!これほどまでのルーンが製錬できるのに二級だなんて、どう考えてもおかしい!」
「んなもん、どうだっていいだろ!」
「良くない!こんな辺境の街はずれでは正当な評価が受けられない!君の腕は国認製錬技師にも引けを取らない。だから君は王都に行って正当な評価を受けるべきなんだ!」
「俺の評価なんてどうだっていいんだよ!二級だろうが、国認だろうが、そんなもん人の勝手だろ!」
「この分からずや!」
俺はフレイテスを睨みつけ怒鳴った。
それに対してフレイテスも歯をギシギシとさせながら怒鳴ってくる。
「そこまでだ!」
いがみ合う俺たちを見かねてか、バンッと強くカウンターを両手で叩いては親父さんが割って入った。
「す、すみません。人様の店で怒鳴ってしまって。」
「俺も、悪かった。」
怒鳴るのは止めたが、それでも互いにフンッと顔を反らしては、俺もフレイテスも主張は曲げなかった。
「ウェイ。お前、王都に行ってこい。」
「はあ!?」
予想外の親父さんの言葉に俺は耳を疑い、思わず生意気な口を利いてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、親父さんまで!どういうことだよ!」
「言葉通りの意味だ。お前はここを出て王都へ行くんだ。」
「どうしてそんな……この店はどうすんだよ!俺がいなくて、親父さんだけでどうやって店やってくんだよ!」
「自惚れんな小僧!!」
「なっ――!?」
初めてだった。
親父さんと出会ったあの雨の日から12年――。
一度として親父さんに怒鳴られたことなんてなかった。
親父さんはいつも俺に優しくて、こんな本気で睨みつけて憤ることなんて今まで一度もなかった。
それだけに俺は拾った子犬に噛まれたような痛みを心に覚えた。
「お前は確かに腕がいい。だが、それは二級としての話だ!見て見ろ、この店の売れ残りようを!本当に優れたもんならこんなに売れ残るようなこたあねえ!」
「いやそれは、この店の立地の問題で――!!」
「言い訳は聞くに堪えん!その程度の腕で自惚れるような奴はもうこの店にはいらねえんだよ!」
「待ってくれよ!親父さんいつも言ってたじゃないか!俺を拾って良かったって!俺の腕前は世界一だって!」
「んなもん世辞に決まってんだろうが!さっきからうだうだ言いやがって、目障りだ!お前なんてもう要らねえんだよ!とっとと王都でも何処へでも行っちまえ!」
親父さんの剣幕に俺は呆気に取られるしかなかった。
雨が降っているかのように耳なりがする。
気持ち悪い。
これは本当に現実なのか。
何か悪い夢をみているんじゃあ……?
夢なら早く覚めて欲しい。
いいや、違う。これは現実だ。
俺は何か失敗したのか――?
何に失敗した――?
いいや、失敗はしていない。
していないからこそ捨てられたんだ。
ルーンの製錬は失敗の積み重ね――その試行錯誤の繰り返しで成長していく。
けど、俺はこの12年間一度として製錬に失敗しなかった。してこなかった。
俺はもう能力が頭打ちなんだ。
成長する余地がない――。
きっと親父さんはそんな俺に愛想を尽かしていたんだ。
いつからだ?
いつから親父さんはそう思っていたんだ?
厄介払いの機会をいつから伺っていたんだ?
「……分かったよ。」
目の周りが焼けるように熱い。
吐き気も酷い。胸が苦しい。
こんな思いは、あの時以来だ――。
「親父さんがそう言うなら出てってやるよ。」
気づけば俺は親父さんを睨んでいた。
「もううんざりだ!こんな思いするぐらいなら、アンタなんかに拾われなきゃよかった!」
嘘だ。そんなこと思ってない。
「こんな店とっとと潰れちまえ!」
違う。こんなこと言うつもりじゃない。
「アンタなんか大っ嫌いだ!」
そう吐き捨てて俺は勢いよく店を出て行った。
体のバランスが取れない。上手く走れない。
心が痛い。涙が止まらない。
今俺はどんな顔をしているんだろうか。きっと惨めな顔だ。
そこからの記憶は曖昧だった。
家に着いてすぐにベッドに潜り、その日は一日中枕を濡らした。
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