episode.2 ルーン

 作業台の前に腰を下ろし、気を取り直して作業を再開する。


 源魔石を手に取ってヒビ割れが無いのを確認してから、今度は高濃縮エーテル溶液を加熱して製錬用の真空管に入れ、上部のコックを開いて管内の空気を抜いていく。


 今回は通常の熱高濃縮エーテル溶液の配分で問題はないだろう。


 今まで幾度となく試行錯誤を繰り返してきたが、用途がはっきりしている武器や道具に【追加効果エンチャント】を施すようなルーンの製錬の場合には、溶液の成分を変えた方が良いが、今回のように用途未知で取りあえず汎用性の高いルーンを作る場合には溶液まであまり凝らない方が良い。


 それに、工房には通常割合の溶液のストックがあるので加熱するだけですぐ使える。


 そう言った意味では楽も出来るので一石二鳥だ。


 真空管の下部に源魔石をセットし、上部と同じように下部のコックを開いて空気を抜く。


 空気が抜けたのをメーターで確認した後、真ん中のつまみを横から縦に捻って中の仕切りの向きを変える。


 仕切りの向きはレバーと連動しているので、仕切りが縦になると隙間が出来て溶液が下に落ちる。これで源魔石を溶解させ、真空管ごと冷暗室で冷やして結晶化させる。


 ここの工程では本来なら最低一日は掛けて冷やすべきだが、今回はモチベが高いので面倒だけど少し裏技を使う。



 結晶化するということは、つまりは原子や分子、イオンの配列を規則正しくするということだ。


 基本的には源魔石を溶かしたエーテル溶液は、時間を掛けてじっくり冷やせばそれらの配列は自然に規則正しくなる。が、冷却方法を工夫したり、もっと言えば極論冷やさなくても配列を人為的に規則正しくしてやれば結晶化することはできる。


 今からやるのは後者の方法だ。


 具体的には、まず真空管を回転機にかけ60~80回微小振動させる。

 その後、溶液の温度を急凍光線で常温まで下げる。


 すると一時的に溶液中に分子の偏りができ、不安定ではあるが核形成が生じる。

 それを【集中】の人工ルーンを使用して無理矢理安定化させることで微小な単結晶を生成する。


 後は溶液に結晶成長を促進させるレチル酸マンガンを触媒として入れ、冷暗所で6時間程放置する。


 そうしてできた結晶は表面に新たな不純物が付着するため、不純物層とその下の固体エーテル層を研磨してまとめて削り取る。


 更に、むき出しになったルーン結晶をピッチポリッシャーで正八面体にヒビが入らないよう慎重にカットしていく。



「これでよし。」



 ふうっ、と息をついてから立ち上がり、測定機で出来たルーン結晶の純度を確認する。



「純度は……マックス300か。本当に畏れ入るな。」



 親父さんは測定機の数値を見て感心するように頷いた。



「俺も少しびっくりした。裏技でやると純度はあまり見込めないから250くらいまで下がるかと思ってたんだけど。」


「250でも十分高純度だがな。まあそれでも最高値を叩き出せるのは、正にお前の腕あってこそだな。」


「ありがとう、親父さん。」



 親父さんに褒められるのは素直に嬉しい。


 総合的な技量こそ俺の方が上だが、この人の製錬技師としての年季や経験の豊富さから成せる対応力の高さは俺も勉強になる事が多いし、それに製錬技師としての在り方もそうだけど、何より人としての在り方は見習うべきところが山ほどある。


 俺も親父さんのような考え方が出来るようになりたいと常々思っているが、それはまだ暫く掛かりそうだ。



「術式の形はどうするつもりだ?【火】と【水】の合成ルーンにするなら鎖状式か?」


「うん。二鎖二点交差式で彫ろうと思ってる。【火】と【水】のルーン術式は同じルーン文字が二種類あるから、そこで繋げて両方の効力が発揮できるようにするよ。」


「最後の最後で魔力充填率間違えたりしてな。」


「冗談言うのは良いけど、これミスったら赤字背負うのは親父さんだからな。」


「絶対成功させるんだぞ!」


「はいはい。」



 俺があまりにも失敗しないもんだから、何年か前から親父さんはちょいちょいこうやって煽ってくるようになった。


 その煽りを煽り返すのはいつものことだが、今回ばかりは助かった。


 親父さんは何も言わないが、この店の借金は相当な額だ。

 街からの催告状が届いてからそろそろ三カ月が経つ。

 明日にでも役人が来て店を畳まざる負えなくなってもおかしくない。


 だからこそ、このルーンの製錬の出来具合で店の存続が掛かっていることを考えると少し緊張してしまっていたんだが、それも親父さんの煽りでスッと何処かへ消えてくれた。



「よし!」



 己が心に気合いを入れて、彫刻具でルーン結晶にルーン術式を彫っていく。


 ここで注意したいのは、ルーンは魔法石――即ち、魔法を発動する為の石だ。


 その認識自体は間違ってはいない。

 しかし、一般の人々がよく勘違いしているのだが、ルーンは彫ったルーン術式の魔法しか使えない。


 一口に【火】のルーンと言っても、そのルーン術式は更に細かく分類されるからだ。


 分かりやすい例を出せば、火力発電に使われる火力は【火】のルーンであるし、冒険者たちが戦っている魔物を焼き尽くす火の魔法もまた【火】のルーンであるし、はたまた料理を作る時に使用するルーン式コンロに使われているのも【火】のルーンだが、そのルーン術式は同じ【火】であっても微妙にその術式が異なる。


 これは一文字、二文字程度のほんの些細な違いだが、それでも今あげた例の三つのルーンはどれも他の二つで代用はできない。


 だから汎用性を高める場合には、ルーン術式を彫る際に拡張性を残しておくか、修正が利くように術式を彫る必要がある。


 それにはかなり高度な技術が必要なのだが、その点については問題ない。


 正八面体のルーン結晶にバツ状に【火】と【水】のルーン術式を彫っていく。


 二鎖二点交差式の場合は、✕の交わる部分を共通のルーン文字を当てることで二つの術式を繋げる。


 ルーンの術式は電子回路と同じで、繋げ方は色々工夫できるが、それらが全て繋がっていなければ全ての術式効果を発動させることは基本出来ない。

 一部例外はあるが、魔力液を注入する時に途切れた部分に魔力液が流れ込まないからだ。


 魔力液は電子回路で言う電流だ。電流が流れなければ機械が動かないのと同じように、魔力液が流れなければ術式も発動しない。



〝 では、術式を二つ以上に分ければいいのでは――? 〟



 と思うかもしれないが、そう簡単にはいかない。


 術式を二つに分けるとその分多くの魔力液を流さなければならず、更に二つの術式が反発し合い、結果どちらの術式効果も中途半端になり、最悪どちらの効果も発現しないただの石ころになってしまう。


 また、必要な魔力液が多すぎて魔力充填率が100%を越えてしまい、ルーン結晶が耐えきれず破砕してしまうことも少なくない。


 そのため複数のルーン術式を組み込む場合は、それらの術式に少なくとも一つは共通するルーン文字がなくてはならない。



「こんなもんかな。」



 術式を彫り終え、今度は注入するための魔力液を得るために採血用の注射器を手にする。



「おいおい、魔力液のストックなら倉庫にあるぞ。」



 肘の内側部分に針を刺そうとしたところで親父さんが焦ったように口を挟んできた。



「知ってるけど、こいつには新鮮な魔力液を使いたいんだ。」


「そ、そうか……。まあ、それならいいけどよ、合成ルーンは相当量の魔力液が必要になる。貧血で倒れるなよ。」


「うん。気をつける。」



 心配する親父さんを横目に俺は600ミリリットルの血液を採血した。

 そうして採った血液を分解抽出機にかけて少しの間待つ。



「流石に少しふらっとするな。」


「言わんこっちゃねえ。ほら、塩分と糖分補給しとけ。」



 そう言って親父さんはポカリヌエットを投げ渡してくれた。

 それをキャップを開けてグイグイ飲むと、滝に打たれたような涼しさを覚え生き返る。



「うまい。」


「お前今日はそれ作り終わったら帰っていいぞ。」


「えっ?」


「ルーンの製錬は体力と気力を使う。それに、そんだけ血を抜いて動いていたら身が持たんだろ。お前も職人なら体を第一に考えておけ。」



 親父さんはそれまでとは一変真剣な面持ちで俺にそう言った。



「分かった。そうさせてもらうよ。」



 抽出が終わり、できた魔力液を今度はピペットに入れ、先程彫ったルーン術式の溝に注入していく。


 魔力液の注入量によって魔力充填率が決まるわけだが、これもまた高ければいいってものでもない。


 充填率が100%を越えれば当然破砕してしまうし、術式に対して高過ぎても効果が強く出過ぎてルーンの劣化が早まってしまう。

 逆に、低過ぎると効果が十分に発揮されず、本来想定していたルーンの使用が出来なくなる。


 特に元素系ルーンの場合には、一定以上に高いと【光】、低いと【闇】のルーンに変化してしまうため、魔力充填率の調整が更にシビアになる。



「充填率62.3%……ここが最適値だな。」



 測定機に掛けながら0.1%刻みで魔力充填率を調整し、注入を止めた。

 すると、ルーン結晶が紫陽花のような鮮やかな赤紫色に発光する。



「綺麗な発光の仕方だな。」



 気づけば俺も親父さんも目の前のルーンに目を奪われていた。


 その輝き方は正に一級品の宝石――このルーンは、これまで作ってきた中でも相当いい出来だと言える。



「予想以上だな。これほどの出来なら、お世辞抜きにしても買い手によっては家が建つぞ。」


「だな。直ぐに王都に送るよ。」


「いや、それは俺がやっておこう。お前はもう休め。」


「いやでも――」


「安心しろ。こんな街外れに役人が早々来るようなことはない。今日明日で店が閉まることはないだろう。」



 親父さんは強張る俺の肩に優しく手を置いた。



「分かったよ、親父さん。今日はもう帰る。」



 嬉しさと諦めの溜息をついて、俺は親父さんの言う通りにした。



 帰る前にカウンター横からサイダーを一瓶手に取る。



「ウェイ!」



 店を出ようとした所で親父さんに声を掛けられ後ろを振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた親父さんがいた。



「いつもすまねえな!」



 そう言ってガハハと豪快に笑う親父さんに、俺も笑って応えては店を出た。




 この時は、後にまさかあんなことになるなんて微塵も思っていなかった。

 俺が強く断って、自分であのルーンを配送屋に出しに行っていれば、俺は親父さんの元を離れずに済んだのかな。



 なあ、親父さん――。

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