第三章 再起晩成
episode.22 古傷
「そうか、そうか!じゃあ、エレキスター様にしてやられたわけだ!」
ルクスはサファイアゴブリンの入ったジョッキをドンッと置いては腹を抱えて笑い出した。
「そこまで笑うかよ。気分悪いぜまったく……。」
萎える気持ちを紛らわそうと俺はルビードラゴンを一気に頬張った。
「まあまあ。そう言わないの。何はどうあれ、落とし所としてはあれで良かったんじゃない?」
ミシェ姉は宥めるようにそう言いながらエメラルドフェアリーの入ったグラスの縁を指でなぞった。
「お、ミシェ姉分かってんじゃん。俺もそう思うね。」
「ミシェ姉はともかく、お前に言われると腹立つな。」
「ひどっ!?」
俺は調子の良いオーツに釘を刺した。
そうでもしないと、こいつは酒が入るといつも悪ノリして面倒臭くなる。
「相変わらずね、貴方たちは。」
学生時代のことを言っているのか、ミシェ姉は微笑ましそうに俺達を見ている。
「でも本当に良かったわ。」
「何が?」
「貴方がここまで元気になったこと。」
「………………。」
そこで全員が沈黙した。
あの頃は余裕がなくてそんなこと一ミリも思わなかったが、今となっては皆には本当に迷惑を掛けたと思う。
何よりこの沈黙がそれを物語っている。
「でも、こうなった以上は大変よ?」
「何がだ?」
「内容はどうあれエレキスター様と勝負して勝ったことで、良くも悪くもウェイの名前が世間に知れ渡った。それはつまり、貴方の素性や過去は、もういつまでも隠し通せるものではないってこと。特に国認製錬技師達はそう遠くない内に嗅ぎつけるわよ。」
「確かにな。」
ルクスは目を瞑って腕を組むと何事か考え始めた。
昔から深く考え込む時のルクスの癖だ――。
それだけ真剣に考えてくれているというのは素直に嬉しい。
「分かってる。決心はもう着いたさ。明後日には王に会いに行く。」
「いいのか、本当に?」
ルクスは目を開いては不安半分、期待半分、といった様子でジョッキの取手に触れた。
「なんだよ、今まで散々煽ってきたくせに。」
「い、いや、それはそうなんだが……。」
「いいんだよ。その為に王都に戻ってきたんだ。」
俺はグラスに入った少量を飲み干すと、鼻にかけるように秘石を取り出し弄った。
「そうか……分かった。なら皇宮で待ってるよ。」
「ああ。13年ぶりだからな。案内はお前に頼むよ、ルクス。」
丁度お替りが来たところで再び乾杯し直す。
だが、そこで一つグラスが足りないことに気づく。
「そう言えば、急に静かになったと思ったら……こいつ、今日は随分早くねえか?」
テーブルに突っ伏すオーツの脇腹をグイグイ突くも、一瞬悶えるだけで一向に起きそうにない。
「まあオーツェンも疲れているのよ。会場の仕切りもそうだけど、貴方のこと相当気にしてたし。そのままにしといてあげましょう。」
「そっか。」
ミシェ姉の言う通り実際オーツは気を遣ってくれていた。
それは実際に遣われた俺が一番理解している。
勝負の前も、準備もそうだし、始まってからも俺が浮かないように司会で回してくれてたし、終わってからも――。
昔からそうだった。
純粋に見えてかなり計算高い。
危機管理能力が高いのか、視野が広く、状況判断が正確で人との付き合い方も上手い。
こいつが商人になったと聞いた時は自然と納得したもんだ。
「俺なんかに気遣うなよ、まったく。」
「それだけ貴方のことが好きなのよ。私も、ルクスもね。」
ミシェ姉に言われるとなんだか照れる。
初めて会った時は、正攻法な作り方以外認めない堅物でやたら文句ばかり言ってくるので良い印象はなかった。
けど蓋を開けてみれば、勉強熱心だし、他人の話もちゃんと聞く。
聞いた上で理論立てて反論してくるから怒っていても会話が成立する。
それに、たとえ自分は損しかしなくても筋が通ってなければ間違ったことをしない人だ。
まさに正義という言葉が似つかわしい稀有な例だ。
だからこそ、学校で浮いていた俺ら3人もミシェ姉だけは心から信頼していた。
俺達はオーツをそのままにして3人だけで乾杯し、仕切り直した。
すると、乾杯したにもかかわらず口を付けずにジョッキを置いては、ルクスが深刻な顔色で見つめてきた。
「どうかしたか?」
ルクスはテーブルの上で肘を突いては両手を汲むも口を閉ざしたままだった。
「マジでなんだよ。調子狂うな。」
「いや、その……一応お前の耳にも入れておいた方が良いかと思ったんだが、やはり言って良いものか悩んでな。」
ルクスがここまで躊躇うのは珍しい。
珍しいからこそ俺は何となくピンときてしまった。
たぶん皇宮の、それも俺が関わったことがある件で何かあったんだろう。
「もしかしてあのことかしら……?」
ミシェ姉にも心当たりがあるようだ。
評議会の副議長ともなれば、皇宮との直接のやり取りはなくとも情報自体は入ってきても何ら不思議ではない。
ミシェ姉の表情も暗い所を見ると、少なくとも良い話ではないのは分かる。
「話してくれ。俺も近いうちに行くんだ。皇宮で何かあったのなら知っておきたい。」
たぶん二人の様子からして只事ではない。
何を話されても平静を保てるだけの覚悟はしておくべきだ。
「本来ならこんな場所で話していい内容ではないんだが、お前には早く知っておいてほしいから今言おう――。」
やたら前置き長く勿体ぶるルクスに、緊張を覚えて喉奥の唾を飲み込む。
「10日ほど前から皇宮で【
その単語を聞いた途端、俺の中で何重にもしてあった自分を抑える鎖が一瞬にして粉々に弾け飛ぶ音が響き渡った。
「はあ!?ふざけんな!!どういうことだよ!?」
立ち上がって声を荒げる俺に、店中の視線が一斉に集まった。
だが、そんなことを気にする間もなく俺はルクスの重鎧の襟元を両手で掴んでは軽々持ち上げ迫った。
「気持ちは分かるが落ち着け、ウェイ。」
「落ち着けだあ!?てめえ、自分が何口走ったか分かってんのか!?適当なこと言ってんならぶち殺すぞ!!」
そう怒鳴った後のことはよく覚えていない。
気づいた時にはルクスを殴り、ルクスに殴られ、十数年ぶりにガチの喧嘩をしていた。
でも、それでよかったと思う。
【覇魔石】——本来ならその単語自体聞かれてはまずかったと思うが、俺達がいきなり本気の喧嘩をおっぱじめたことで周囲は『もっとやれ』と煽る者や、収拾をつけようと必死に割り込んでくる輩でごった返してそれどころではなくなっていた。
暫くしてほとぼりが冷めると、店主に滅茶苦茶怒鳴られ店から追い出されたところで、俺達は高台の公園に移動しては酔い覚めには心地よい風を浴びながらベンチに座っていた。
「その……悪かったよ。」
「いや、俺の方も切り出し方が悪かった。」
お互いに顔面を青く腫らしながら、向かいの柵越しに見える夜景を眺めた。
「まったく貴方達は……。常連だから許してもらえたけど、出禁になったらどうするのよ。私の好きなカクテル飲めるのあそこだけなんだから。」
「すみません……。」
「ごめんなさい……。」
ミシェ姉から氷袋を貰い、頬に当てながら反省する。
いくら何でもやり過ぎだった。
「オーツは?」
「あっちのベンチで寝かせてる。」
「そっか……。あのさ、ルクス。さっきの話だけど――。」
「ああ。」
先程までとは違い公園には俺ら以外誰もいない。
もちろんそれだけではないが、さっきまでよりルクスの口は軽そうに見える。
「10日前、皇妃陛下が突然皇宮の者達を全員集めて告げられたんだ。これから当面の間、皇家は【覇魔石】の研究に努める、と。」
「皇妃が直々にか?」
「ああ。」
「何でそんな急に?」
「分からない。“あの事故”があってから覇魔石の研究はずっと禁忌とされ止められてきた。その危険性は皇家の方々が一番理解しておられるはず。にもかかわらず、皇妃陛下はそう宣言されたんだ。」
皇家は、魔法をこの世に生み出した第一人者の血筋だ。
その為、古文書を含む魔法史の全てを記録した書物たちが皇宮に保管されており、それらを継承されてきた。
だから皇宮では皇家とそれを補佐する者達で最先端の魔法研究が幾星霜なされてきた。
魔法が魔法陣からルーンに置き換わった今もなおそれは同じだ。
「皇王様も当然了承してるんだよな?」
「もちろん。今回の件に関しては皇家が主導で動いているからな。ただガレリオ殿下だけは反対……というより納得していない様子だったな。」
「まあ、あの皇子なら無理ないな。」
皇宮にはあの子に会いに行くだけのつもりだったが、これは流石に皇王や皇妃に謁見しないとダメかもな。
今の話だけじゃ情報が足りなすぎる。
皇家が主導で動いているということは、何かしら重大な理由があるのは間違いない。
「だから皇宮は今かなり荒れているよ。またあの悲劇を繰り返すんじゃないかって。」
「だろうな……。」
俺が決心した途端これか。
ここまでタイミングがいいと、これも運命なのか。
いや、呪いという方が正しいのかもしれない。
「何だか嫌な予感がするわ。議長もこのところ様子が変だし。ねえ、ウェイ。あなた皇宮にはどうしても戻らないの?」
「ミシェ姉……。」
ミシェ姉もルクスたちも、俺のことを想っての発言なのは分かる。
それだけに、出来ることなら戻りたいと思わないこともない。
「さっきも言ったけど、世間に認知された以上あなたの過去はいつまでも隠し通せるものではないわ。そうなれば皇家も、王家も、国認の製錬技師達だって、あなたを二級のままにしておくことに納得はしないでしょう。」
ミシェ姉の言い分も尤もだ。
今まであの事故が表ざたにならなかったのには3つの理由がある。
一つは、皇宮、もとい皇家が世俗と隔離されているから。
皇宮で起きた事件・事故は宮内庁が公表しなければ世俗に伝わることはない。
もう一つは、俺が国認製錬技士の資格を一度も取っていないことだ。
製錬技師は普通、専門学校に通い、その成績で卒業時に三級から五級の資格を手にする。
その後何処かの工房に就職し、二年に一度の資格更新の際の昇級試験で昇級していく。
だが、俺はその通常のルートを辿っていない。
だから俺のことを知っている人間は直接関わりがあった者に限られる。
そして最後の理由——それは、俺を除く《あの事故》を知る者達全員が、あの事故に関するあらゆる情報を抹消しようと躍起になっていたからだ。
当時はどうして誰も何も言わなかったのか理解に及ばなかったが、今にして思えば皇王様やルクス達の気持ちも分からないでもない。
でも、だからこそだ――。
「ミシェ姉には悪いけど、やっぱり俺は戻らないよ。今の俺はあの頃とは違う。一人で先陣を切れるだけの腕も気力ももうないよ。」
「けど、それじゃあ――!!」
「ミシェ姉!!」
季節外れの颪か、捲し立てるかのように荒げた俺の声を乗せてビューッと突風が吹き荒れた。
「頼むよ、ミシェ姉。これ以上俺を困らせないでくれ。」
「…………。」
ミシェ姉は何も言わず俺から目を逸らした。
その時のミシェ姉の何とも言えぬ物悲しい顔に、俺の心はズキンッと釘でも打たれたような痛みを覚えた。
しばらくの間、公園は涼しい風が吹くだけで静寂に満たされていた。
「悪い。明日は朝早いし、もう行くよ。」
「何かあるのか?」
立ち上がった俺をルクスが心配そうに見つめてくる。
「ああ。明日ルイス達が来る前に作っておきたいものがあるんだ。」
「作りたいもの?ルーンか?」
「いや……んー、まあ内緒だ。」
「何だそれ。」
ルクスは鼻で笑うと気落ちしたように肩を落とした。
「まあいい。今日は色々といっぺんに話して悪かった。」
「いや、話してくれて良かったよ。皇宮に行ってから知ったんじゃ、最悪俺、皇王様殴ってたかもしれないし。」
「おいっ!?」
「冗談だよ。じゃあな、ルクス。ミシェ姉もまた今度飲もう。」
「ええ。おやすみなさい。」
そう言って別れを告げると、酔いが冷めきらない内に俺は店へと戻った。
「まったくあいつは……。」
「まあいいじゃない。以前に比べたらあの子本当に明るくなったわ。」
ミシェルの優しい微笑みを見て束の間心安らぐも、ルクスは直ぐに顔を強張らせた。
「ミシェ姉は正直なところどう思ってる?」
「どうって、覇魔石の研究のこと?」
ミシェルの返しにルクスは真剣な面持ちで頷いた。
「正直、皆焦ってるように思う。私はアブサレム議長から間接的に聞いているだけだから詳しくは知らないけど、今の皇家は何か大きな問題に直面しているように思うわ。それこそ国の存亡にかかわるレベルの。」
「やっぱりミシェ姉もそう思うか。」
ルクスは腿の上に肘をついて顎の下で両手を汲んだ。
「ルクス、貴方はどう思っているの?皇宮で働いている貴方の方が詳しいんじゃない?」
「まあ……。」
ルクスは組んだ手の上に額を突いて少し悩んだが、気持ちを落ち着かせたところで顔を上げた。
「俺には皇家の方々がウェイを取り戻そうとしているようにしか見えないんだ。」
「ウェイを?」
ミシェルは眉根を寄せて訝し気に首を捻った。
「ああ。本当の所は俺にも分からない。けど、今の皇妃陛下の様子を見ていると、ウェイを皇宮に呼び戻してもう一度第一線で使おうとしているとしか思えないんだ。」
「その根拠は?皇妃陛下は当時も今も、ウェイのことを一番に考えてくれている人と聞くわ。私にはとてもそうは思えないけど……。」
「俺だって信じられないさ。けど、覇魔石の研究をすると言い出したのは皇妃陛下ご自身なのはミシェ姉も知っているだろ?」
「それはまあ……。でも、じゃあ皇妃陛下はウェイを皇宮に連れ戻す為にもう一度覇魔石の研究を始めたって言いたいの?」
「若しくは覇魔石の研究をせざる負えなくなったからウェイを連れ戻そうとしているのかもしれない。」
情報を擦り合わせていく内に、それが徐々に現実味を帯びてくるのを二人はひしひしと感じていった。
「仮にそうだとしても、私は反対よ。今のウェイは事故の前と比較してもイキイキとしてるし、何よりやっと普通に生活できるくらいに戻れたのよ。これ以上あの子に精神的負荷を掛けさせたくないわ。」
「同感だ。ウェイにはもう覇魔石には関わって欲しくない。出来ることなら巷の小さな製錬屋でまったりと商売しててほしいよ。もう誰も悲しい思いをしてほしくない。」
冷たい夜風が一層冷たく肌に刺さるのを感じる。
もうすぐ月も傾き始める。
解散するには丁度いい頃合いだ。
「皇妃陛下には何とか真意を聞いてみるよ。ミシェ姉も、もしもの時は評議会にも迷惑を掛けるかもしれない。」
「分かった。けどルクス、貴方も無理はしないでね。」
「ああ。ありがとう。」
気づけば風も吹き止んでいる。
こちらも明日は早い。
夜が明ける前には皇宮に戻らなければ――。
物思いに耽りながらルクスも帰路に着く。
「あっ、オーツのやつ忘れてた……。」
ただ一つ公園に忘れ物を置いて――。
「まあいいか。目が覚めたら自分で帰るだろ。」
月夜の下で、オーツェンのくしゃみが静寂な街に響き渡った。
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