第二章 師弟

episode.6 来訪者

 王都に来てから約半年が経った。


 俺は王都の中でも細い路地を何度も通るような人通りの殆んどない場所に自分の店を構えていた。



 始めのうちはテナントを探していたのだが、精錬炉やその他の設備が残っているような条件の良いテナントは足下見られているか尽くテナント料が高かったり、精錬炉が見たこともない最新型で結局旧式を発注しなければならず、撤去費用と設置費用だけでどえらいことになったりした。


 逆に、何もない空きテナントは目を疑う程に安いものが多いが、そもそも製錬設備が置けなかったり、拡充のしようがなかったり、と諦める他なかった。



 そうした経緯を経て、最終的に持ち主が亡くなり安く売りに出されていたこのボロ家を買い取り、リフォームした上で設備を整えた。

 初期費用こそ掛かったが、長い目で見ればテナントを借りるよりずっと安い。


 それに、都の隅でひっそりと店を構えるというのは親父さんの店みたいで懐かしさも感じられる。


だが、しかし――。



「仕事ねえ……。」



 店は木枯らしが吹くほどに人の気配はなく、引くくらい静寂に包まれていた。



 店を開いたまでは良かったんだが、とにかく人が来ない。

 入り組んだ細い路地を通り抜けた一角にあるので、ここらは人通りが極端に少ない。


 それだけなら宣伝すればいいだけの話なのだが、ここに人が近づかない一番の理由に裏路地で非合法な薬の密売が行われていたり、店の前の路地が酔い潰れた者達の汚物の掃き溜めになっていたりが挙げられ、正直どうしようもなかった。



「フレイに仕事貰いに行くしかないか……。」



 フレイとはあれから全く連絡を取っていない。

 店の場所はもちろん、開いたことさえ言っていない。

 借りていた家も黙って解約してこの店に住んでいる。


 そこまでするのは、偏にあいつが苦手だからという理由なのだが、それ以外にも何となくあいつには負けたくないと思った。


 プライドなんてものはあの日に捨てたと思っていたが、俺の中にもほんの僅かに残っていたのかもしれない。



「やっぱ自分で何とかしよう。」



 まだ一月は生活できる余裕はある。

 それに、依頼も全く無い訳ではない。


 今のところ一月に一件は依頼が来ているから、それを考慮すれば再来月くらいまでは何とかなるはず。


 あいつに仕事を貰うなんてのは時期尚早だ。

 何よりあいつのニヤニヤした顔を見るのはムカつく。



「取り敢えず適当に何か作るか。」



 そう呟いて立ち上がった時だった――。



 店の扉に付いている鈴が数十日ぶりにチャリンと音を鳴らした。



「あっと、いらっしゃい。」


 そこにいたのは女の子だった。

 パッと見で10代だろうか。まだ午前中とはいえ、こんな若い子があんな汚い路地を通ってこの店に来たことに驚きを覚えた。


 これまで依頼してきたのは、水商売してそうな風貌の女性や、どう見ても盗賊にしか見えない様相の男だった。



 だからこそ、こんな学生くらいの普通の女の子が来たことに思わず震えてしまう。



「こちらへどうぞ。」



 何であれ客であることに変わりはない訳で、とりあえずカウンターの前に来るよう手振りして座らせては、裏からお茶っ葉を持ってきて湯呑みに入れて出した。



「えっと、本日はどういったご用件で?」



 女の子は店の中をキョロキョロと見渡してはムスッとした顔で口を開いた。



「まあまあの店ね。」



 そう呟かれた瞬間、俺の中での女の子の立ち位置が決まった。



「あの、ご依頼内容は?」



 キレてはいけない。あくまで相手はお客様。それにまだ若いんだ。生意気な口を利いてきたからと言って、ここでキレるのは大人気ない。



「でも販売品の質は良いのに、外装と内装はパッとしない。ここは減点。」



 いけない。絶対にキレてはいけない。ここで客を逃せばフレイのやつに頭を下げざる負えなくなってしまう。


 そっちの方が三倍はムカつく。グッと耐えるんだ、俺――。



「連盟に登録されている店だから来てみたけど、二級製錬技師の店なんてこんなもんか。」



 聞こえるように呟いては、女は諦めたように溜息をついた。



「おい。」



 そして、そこで俺の堪忍袋の緒は切れた。


 女と目が合い、俺は一心に睨みつけてやった。



「さっきから黙って聞いてれば好き放題言いやがって……てめえ何様のつもりだ!たとえ客でも限度ってもんがあんだろ!」



 カウンターを掌で強く叩き、指を差して怒鳴った。

 もう大人気ないと言われようが関係ない。

 こんな舐めたガキに散々言われる方が癪だ。



「何怒ってんの?図星だからって大声出すの止めてくれます?」



 この女は何しにここに来やがったのか。

 商品を褒めたと思えば、店の様相に文句を言うだけ言って一向に依頼の話をしない。


 そもそもこいつは客なのか――。



「まあでも、怒るってことは最低限誇りを持ってやってるってことか。実際腕は確かなようだし。」



 女はブツブツ言いながら俺の方を見て椅子から立ち上がった。



「よし。この店で働いてあげる。私のようなエリートが腕を振るってあげるんだから感謝してよね。」



 それは、ルーンもなしに時を止める魔法の言葉だった。



「…………は?」



 その魔法は強力で、時を止めるだけでなく俺の頭の中を真っ白に染め上げ混乱させた。



「だから、この赤字まっしぐらな貴方のお店で働いてあげるって言ってるの。」



 何言ってんだこいつ。


 働く?俺の店で?お前が?何で?



「私は今年の3月に製錬技師専門学校を首席で卒業した、三級製錬技師のルイス・エンバーデンよ。優秀な私が万年二級製錬技師の貴方をサポートしてあげる。」


「いや、いらねえ。」



 女の提案に俺は即答した。



 てか、何でこいつこんなに偉そうなんだ?

 三級ってことは俺より下なのに、ここまで自信過剰になれるなんて逆に怖い。

 いや待てよ、これも一つの才能なのかもしれない……って、んなわけねえか。



 直ぐにブンブン首を横に振っては正気に戻り、再び女を直視した。



「えっとー……聞き間違い?悪いけど、もう一回言ってくれる?」


「いや、だから間に合ってるって。手は足りてるから。」



 俺が返事をすると、その瞬間ガーンという効果音が聞こえてきそうなほど女の顔がみるみる灰色に染まっていった。



 ちょっと待て。こいつもしかして面白い奴かも……?



 一瞬気の迷いが生じるも、まやかしだと直ぐに考え直した。



「えっと、えっと……その、考え直さない?」


「はあ?」



 それまでとは一点、女は焦るように震え始めた。

 マジで何考えているのか一向に読めん。



「あのさ、冷やかしに来たんなら帰ってくれ。客じゃないなら長居されても困るんだよ。」



 俺の言葉に、女は脱力したようにバタンッと音を立てて椅子に腰を下ろした。



「ハタラケナイ……ムショク……ホームレス……ウエジニ……。」



 絶望に青褪めた表情でカタコトに涙目でブツブツ呟くその姿は、まるで仲間外れにされたアヒルの子のようで、何だか俺が虐めたみたいで心にチクチク刺さる。



「お、おい。何かよく分かんねえけど、取り敢えず元気出せよ……。」



 何で俺があやしているのだろうか。もう訳が分からない。

 けど、このままには出来ないし、とりあえず機嫌を直してもらおう。


 温かいお茶を入れ直し、女の気が落ち着くまで暫く待った。



「ぐすん……。」



 目の周りを赤く染め鼻水を啜りながらも、ようやく落ち着いてお茶を飲む姿を見てホッと胸を撫で下ろす。



「……で、ちゃんと一から説明してくれ。お前は何しに来たんだ?」



 まだいじけているのか、こちらの問いに女はプイッと顔を反らした。



「ああそうか。じゃあもういい。勝手にしてくれ。俺は作業するから――」


「ま、待って!分かった!分かったから、そんな意地悪言わないで!」



 必死に食い下がる姿を見て、俺はやれやれと頭を抱えながらも椅子に腰を戻した。



「で?」



 俺はやや強めに圧を掛けながらもう一度聞いた。



「働かせてほしいの。」



 女は一度鼻を啜ってヒクヒクさせた後、始めの時のように目をキリッとさせた。



「働きたいって製錬技師としてか?」


「そう。」


「何でうちなんだ?製錬屋なんて王都には腐るほどあんだろ。さっき専門学校首席とか言ってなかったか?それなら他にもっといいとこ行けただろ。」


「それは……。」


「それは?」


「…………。」



 そこで女は口籠った。どうやら言いたくないらしい。

 まあ、言いたくないなら別に無理に聞く気はないが――。



「まあ何でもいいけどさ、さっきも言った通りうちは人手足りてるんだ。俺一人だけだけど、そもそも仕事なんて月一くらいでしか入らないし。仮にうちで雇ったとしても、製錬技師の仕事なんてほとんどできないぞ。」


「そんなの分かってるわよ。」



 途端に女は平然として口を開いた。



「じゃあ何で?製錬技師として働きたいんだろ?」


「別にこの店にそんなの求めてないわ。ただ勉強出来ればいいの。二年後の資格更新で二級になるまで勉強させてもらって、二級に昇格したら自分でお店を持つわ。」


「えっと……要は、王都で自分で店を経営するには二級製錬技士以上の資格がないとダメだから、その為に二級の俺の元で勉強したい。だからここで働きたい。それで取れたらバイバイ、ってことでいいか?」


「まあだいたいあってる。」


「なるほど。殴っていいか?」


「ひゃんっ‼」



 俺が笑って握り拳を作ると、女は両手で頭を抱え込んで身を縮めた。



「人を舐めんのも体外にしろよ。だいたいさっきも言ったが、製錬屋は他にもあるんだ。それこそ国認とか、一級がやってるとことか。それなのにわざわざうちに来て小馬鹿にして、一体なんなんだお前は!」


「うう……。」



 ぐうの音も出ない様子で唸りながら震えるだけで、女は口を閉ざしたままだった。



 埒が明かない。

 頭が痛くなってきたところでふとカウンターに置かれた女の鞄に目が入った。



「これは……履歴書か。一応はちゃんと用意してんだな。」



 女は瞳孔を小刻みに震わせながら怯えるように俺を見ているようだった。


 履歴書に目を通すと、確かに専門学校を卒業して間もないようだ。

 一緒にファイルに入っていた成績表にはランクS評価がついている。



「首席っていうのは本当なんだな。三級っていうのも嘘じゃない。その年で三級なら実際大したもんだ。」



 別に色を付けた訳じゃなく、素直にそう思って口にしたんだが、彼女にとっては相当嬉しかったのか、さっきまで震えていた瞳は飴細工のように綺麗に輝いて笑みが零れていた。



「でも、これだけ成績良いのに、本当に何でうちなんだ?首席なら国認の工房にも推薦で入れるだろ。二級になれればそれでいいとしても、経験や実績を得るためによりレベルの高いところで学んだ方がいい。ただでさえ製錬技師は今の時代倍率高くて仕事の取り合いなんだ。二級になれて店を持てたとしても、仕事を取れなきゃやっていけないぞ。」



 視線を履歴書から彼女に移すも、彼女は無言のまま俯いてしまった。



「…………駄目だったの。」



 お茶を飲みながら暫く待ってみて後、彼女はおもむろに語り出した。



「確かに推薦の話はあったの。本当ならそれで国認製錬技師のフレイテス・ナージフォンさんの工房で働くはずだった。」



 それを聞いた瞬間、俺は口に含んだお茶を思いっきり吐き出してしまった。



「ちょっ、汚な――」


「よりによって、あいつのとこかよ……。」



 俺は口を袖で拭き、そばにあった汗拭き用のタオルでカウンターを拭いた。



「悪い、悪い。で、推薦が何だって?」



 互いに気を取り直したところで、再び彼女から口を開いた。



「けど、推薦が決まって直ぐ、次席の子が根も葉もない私の悪評をばら撒いたの。親の力も使ってね。」


「悪評、か……。」



 なるほど。何となく話が見えてきた。

 何処の世界にも妬み、嫉みは存在する。俺も昔はそうだった。



「でも、根も葉もないことならはっきり否定すれば良かったんじゃないか?」


「そんな簡単なことじゃないの。その子の父親はこの国の宰相で、否定したところでどうにもならなかったわ。」


「マジか。」



 それは災難としか言いようがない。

 嘘でも何でも国の宰相が流せば学校どころか、下手をすれば王都中に瞬く間に広がるだろう。


 俺はこの店に引き籠っていたから知らなかったけど。



「何て言うか、ご愁傷さまだな……。」



 彼女は悔しそうに奥歯を噛みしめていた。


 ここまで聞けば、彼女が何でうちの店に来たかは明白だ。


 世間中に悪評が広まってしまった彼女は推薦を取り消された。

 更に、その所為でどこの工房も彼女を雇うのを嫌がった。


 まあ、嫌がった理由は悪評だけじゃない気もするが。

 性格とか、性格とか、性格とか――。



「それで巡りに巡ってここに来たってわけか。」



 俺の言葉に彼女は黙って頷いた。



 正直なところ、実際彼女を雇ったところで俺にメリットはない。


 追い出すのは簡単だ。


 だが、彼女も彼女なりに悩んでここに辿り着いたのだろう。でなければ、汚い路地を通ってこんな王都の端っこにある無名の店にまで来ることもないだろう。


 成績からみれば彼女が優秀なのは間違いない。

 メリットはないが、デメリットもないか――。



 俺は深く溜息をついてから諸々飲み込んだ。



「分かった。雇ってやる。その代わりもう文句は言うなよ。」



 その言葉を発した時、彼女の顔がパーッと明るくなった。



「ありがとう御座います!」



 その時俺は初めて彼女の満面の笑みを見た。



「なんだ、笑えば結構可愛いじゃん。」


「えっ、セクハラ?」


「……やっぱ殴っていいか?」



 こうして俺は、彼女ことルイス・エンバーデンを雇った。


 今にして思えば、この時から俺達の物語は始まっていたんだよな――。

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