第2話

 幸之助に両親はいない。


 母は彼が生まれてからすぐこの世を去り、父は狩の最中で惜しくもその命を落とした。


 齢10の頃からずっと、幸之助は天涯孤独の身であった。


 人として真っ当に生きていられるのもすべては、村人の協力あってこそ。


 血の繋がりはなくとも皆家族同然である。それがここ、柳田村の習わしだ。



「お~ここが幸之助のお家なんだね! ちょっと狭いけどいいお家だね!」


「うるさいわ、狭いは余計だ狭いは」



 突然、かわいらしいワン娘――もとい、ナツミとの同棲生活が始まった。


 基本村は余所者を嫌う傾向にあるが、そこはワン娘ケモノビト


 人懐っこく友好的な彼女の言動は、村人達の警戒心を驚くほどあっさりと解いた。


 すっかり歓迎する雰囲気ムードで、ナツミを追い出すことはもはや叶いそうもない。そう悟った幸之助は内心で大きな溜息を一人もらした。


 それはさておき。


 今日から同棲生活、か……。幸之助は改めてナツミに横目をやった。


 すっかり上機嫌で鼻歌交じりに荷解きをしては「えへへ~恩返し~」と、口ずさむ。



「……なぁ、ナツミって言ったっけ? 恩返しとか俺、本当に大丈夫だぞ?」



 お世辞でもなんでもなく、本心である。


 ついさっきまで、過去にそんなことがあったことすらも忘れていたぐらいだし、仮に記憶にあったとしても恩返しをしてほしいという気持ちはまったくない。


 あの時助けたケモノビトが生きていた、お礼を言ってくれた、たったこれだけで幸之助には十分事足りる。


 むろん、下心がまるでないわけじゃない。幸之助とて例外にもれることなく、一男として異性への興味はある。


 彼女……近藤ナツミはまごうことなき美少女だ。村の女子とでさえやったことがないというのに、いきなり同じ屋根の下で暮らすというのだから、あれこれと妄想してしまうのは男としての性だ。


 何事もなく、というのは恐らく――多分無理だろう。幸之助は心底そう思った。



「ねぇねぇ幸之助! ボクの荷物こっちに置いていい!?」


「え? あ、あぁ。別に構わないぞ」


「えへへ~ありがとう!」


「……いちいちやることなすことがかわいすぎるだろ」


「え?」


「あっ……」



 幸之助はハッとした。


 ナツミがかわいいのはもはや常識も同然であり、しかし気恥ずかしさ故口に出すことをしなかった。


 とは言え、今更否定したところでもう遅い。ケモノビトは人間よりも身体能力がずば抜けている。


 特にワン娘の聴覚は人間の何倍も優れていて、数百メートル先の音でさえもはっきりと捉えるほどだ。


 ならば至近距離による小声を、聞き逃す方が天文学的確率と断言してもいい。



「え、えへへぇ。ボ、ボクってかわいい?」


「……あぁ。か、かわいいと思うぞ?」



 ここまできたらもう、素直に白状する他あるまい。幸之助は頬をほんのりと赤くした。


 これは別段、彼女――近藤ナツミだけに限った話じゃない。なんの因果か、ケモノビトは種族問わず皆等しくかわいい。


 かわいさも千差万別で、それこそ小動物のように愛くるしくあれば、絶世の美女の如き美しくもある。


 とにもかくにも容姿から何まで最上質であるから、ケモノビトと結婚する輩は決して少なくない。


 反面、それ故にいざこざも多発するわけだが……。幸い、自分には争いの種となるだけの交友関係がない。


 幸之助はホッと、胸中で安堵の息をもらした。とは言え、それはそれで悲しくもある。



「えへへ~かわいいって褒められちゃったぁ」



 かわいいって褒めただけでこんなに喜ぶとは、どうやらこのナツミというワン娘は純粋な心の持ち主らしい。


 すっかり上機嫌な様子で、これから何をするかと見守っていると突然刃物を取り出した。


 腰の得物ではなく、荷物にあった包丁は真剣の如き美しい白輝をそこに宿す。



「お、おい何をするつもりだ……?」



 幸之助はおそるおそる尋ねた。


 包丁片手に満面の笑みをくるりと向ける仕草が、妙に恐ろしい。



「今からご飯作るよ! 幸之助もまだご飯食べてないよね?」


「え? あ、あぁ……まぁ、そうだな」


「じゃあ最初の恩返しとしてボクがご飯作ってあげるね!」


「……い、いいのか?」


「もっちろん! だってボク、幸之助に恩返しがしたいんだもん」


「じゃ、じゃあ頼もうかな……」



 屈託のない笑みに、幸之助は小さく笑みを返した。


 意気揚々と台所に立つナツミの後姿を前に、幸之助は頬をかすかに緩めた。


 冷静になって考えれば、女性からの手料理が食べれるわけである。


 両親を失ってからというものの、家事全般は言うまでもなくすべて自分でしてきた。


 時折、村の人間からのおすそ分けもあるが、大部分は自炊である。


 そして作る料理も質素にして簡素なものばかりで、いつしか食べられればなんでもいい、という結論に至ってしまうほど、幸之助の料理は至極単純なものにまで落ちてしまった。


 余談ではあるが、昨晩は米と山に生えていたキノコ類を適当に煮た物だけである。



「なんか、楽しみだな」



 腹の虫も、美少女からの手料理と言うことも相まっていつになくやかましい。


 期待する中で、鼻腔をつんと突く刺激臭が瞬時に幸之助を幸せの時間から現実世界へと強制的に連れ戻した。


 なんだ、この臭いは……!? さしもの幸之助も、これには表情かおを強くしかめざるを得ない。


 さっきまでの幸福感は露に消え、激しい困惑が胸中にて激しく渦巻く。


 臭いの元はどこから……! 周囲を忙しなく見渡して、幸之助ははたとそれを見やった。



「ふんふんふふ~んふふふんふ~ん。おいしくな~れ~」


「え、えっと……ナツミ? お前、何やってるんだ?」


「え? やだなぁ幸之助ってばぁ。お料理だよ?」


「だ、だよなぁ……ははっ」



 元凶はあろうことか、すぐ目の前にあった。


 当の本人は鼻歌交じりとすこぶる機嫌がいい。


 包丁捌きも見事なもので、慣れた手つきで食材を加工する腕前は自分とは天と地ほどの差がある。


 まるで一種の陶芸でも目にしているかのような、そんな錯覚さえ憶えるほど見事と言う他ない――ただし、臭いについてはもはや論外でしかない。


 恐るべきは、耐え難い異臭にもっとも近しくあるのに異常に微塵にも気付いていない近藤ナツミそのものだ。


 ワン娘の嗅覚は優れている分、微弱な異臭に対しても過剰に反応してしまう欠点がある。



「えっと……ナツミは大丈夫なのか?」


「え? 何が?」



 きょとんとした顔で、小首をひねるナツミ。


 本当に気付いていないのか……? 幸之助は驚愕に目を丸くした。



「いや、何がっていうか……」


「ん~? あ、ねぇねぇ幸之助! 煮物作るけど甘い方がいい? 辛い方がいい?」


「お、俺はどっちも好きだから……」


「じゃあボクの好きな味付けにするね! えへへ、おそろいだね」


「そ、そうだな……はは……はは……」



 何をどうすれば、このような臭いへと転じるのか。調味料はいったい何を用いた!? 様々な疑問が頭の中でぐるぐると慌ただしく駆け回る一方で、いよいよ嘔気をももよおし始める。


 これまで一度として病気にすら罹らなかった己が肉体が、人生初の体調不良を訴えている。


 幸之助は顔を青白くした。


 確実に悪影響を及ぼしているのはもはや自明の理で、このままここにいては命が危ない。そう判断してからの幸之助の行動は極めて迅速だった。



「ちょ、ちょっと用事思い出したから俺少しだけ外に出てくる!」


「あ、幸之助! ご飯ができる頃にはもどってきてよ!」


「わ、わかってる!」



 家と言う閉鎖空間ではなく、外という開放された空間への逃走を図る。


 外の空気とは、こんなにもおいしかったのか……! 新鮮な空気を肺一杯に取り込む傍らで、幸之助はすこぶる本気でそう思った。


 自分のみならず誰しもが当たり前にする呼吸に、こんなにも感謝した日はきっとあるまい。


 五体満足で生きている……当たり前のことだが、その当たり前について深く心から感謝の念を抱いた。


 とりあえず、今自宅に戻ることはできそうにもない。幸之助は深く溜息を吐いた。


 料理が出来るまでには、まだ少し時間がかかるだろう。


 それまでは外ですごすのが得策で、だがこれと言った予定も特にはない。


 周囲を一瞥いちべつすれば、皆だいたい考えていることは同じだ。昼飯時ということもあって、村人の姿はほぼ皆無に等しい。


 本音を吐露すれば、もうあの家に帰りたくはなかった。


 それ以前に自分の家なのに帰りたくないとはこれ如何に……幸之助は深く溜息をもらした。



「……とりあえず、ぶらっと散歩でもしてこようかな」



 幸之助は青白くした顔で、村の外へと向かった。


 その足取りはふらふらと力なく、今にも倒れてしまいそうなほどひどく頼りないものだった。

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Sevens for わんっ!~村でのんびりストーライフ満喫中の少年、突然やってきたワン娘の恩返しを受けて無双します~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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