見れども、変えられない

 幸い時間より早い。帰ろうかなと、携帯を開いた。画面に反射した。鈍器の輝きを私は確認した。


 肩に鈍い衝撃と激痛を感じて私は転がる。立ちあがろうとしても力が入らず、逆に激痛で顔を顰める。


 倒れてる状態でさらに背中に蹴りと思しき衝撃を受け、私は川の中に転がり落ちる。秋のかなり冷たい水が体を急速に冷やしていく。体の芯を撫でるように恐怖と寒さが襲い、体の震えが止まらない。


「いつまで寝てんのwww早くたてよw」


 頭を思いきり踏みつけられ、呻き声が漏れる。足を退けようと手を伸ばしたところでその手も踏まれ、ぐりぐりと踏みにじられる。


「鬱陶しいだよ、お前、いつも何もしなくて」


 足をどかして、私の顔を、サッカーのボールのように蹴り飛ばす。ツカツカと歩み寄り、髪を掴み上げて顔を覗きこむ。怒気を孕んだ瞳が揺れる。


「無駄に綺麗な容姿してさぁ、根暗で何にもしない死んだ目してるくせにッ!自分より辛い過去のやつとかッ!この世にごまんといるのにッ!自分可愛い思いで、自分は最悪だってよぉッ!!勝手に自滅してんじゃねぇよ!私だって!精一杯生きてんだよ!実の父は死んで!再婚相手にべったりで、こっちのことなんて放り投げた母!こっちにも性的なしせんむけるし、賭け事に金を浪費するクソ親父!辛さ自慢なら負けねぇわ!でもよ!それでもてめぇ、よりマシな目して生きてんじゃねぇか!」


 胸ぐらを掴みあげられ、顔面にいくつもの拳が突き刺さる。痛みは感じない。それよりも、体の痛みより心の痛みの方がつらかった。揺らがなかった心に波風が立った。


 絶望と挫折、後悔の文字で埋め尽くされ、覆われた心。それを上書きする様に流し込まれた情報は、恐怖。身体に打ちつけ続ける暴力の恐怖。自分は間違っていたという恐怖。自分は守られないという恐怖。そして、かつての自分への恐怖。


 心の殻を壊し、容赦なく心を削り落とす。自力で破らなければいけなかった殻を心ごと砕いていく。前回の時とは違い、そのくいは止まらない。どこまでも突き刺さり、内部からも抉り取る。消えるまで終わらないその攻撃に、私の心は完膚なきまでに叩き壊され、崩壊した。


「ゃめ…やめて、くだ…い…いゃ…やめて…やめて…ごめんなさい…ごめんなさぃ…いや…ぃや…いやいや…いやぁ……」


 掠れたこえで声でうわ言のようにつぶやく。


「簡単に壊れてッ!さぞ、大切に育てられたんでしょうねっ!これだから、箱入りはッ!」


 掴まれていた手を離して、倒れることは許されず膝が顎に入る。体が浮いた感覚に意識が揺れて白くなりかける。それを許さんとばかりに鳩尾に拳がめり込む。込み上げる苦い液体。


「ゲホッゲホッ…オエェェェェ…」


 黄色の液体を吐瀉する。喉が焼けるような痛み、荒れるようなゴワゴワ感を得る。苦しみに悶えている暇もなく、腹を蹴り上げられ仰向けにされる。金属バットを引っ提げて、ゆらりゆらりと近寄ってくる。


「兄の背中ばっか追いかけるブラコン風情が!この歳になってまで追いかけてキモいんだよ!!成績だって悪かないのにッ!こちとらそれに負けるッ!惨めだよなぁッ!」


 バットを振りかぶりそれが私の右肩を蹂躙する。持っている彼女自身も扱いきれていないため、衝撃はない。だが、既に傷ついた部分を殴られたことで体中に痛みが暴れ、駆け巡る。


「一つ言うぞ、お前のことなんか知るか、バーカ!絶望した程度で心が死ぬなら、人類滅んでるわ、ボケェッ!お前だけが辛いとか思うなよッ」


 体を抱えて、カタカタと震える私にバットを振り下ろす。バットが振られるたびに鮮血が飛ぶ。紅く染まり、服として機能しないほどに破かれた制服。右に左に上に下に、いろんな方向に叩きつけられる。


 悲鳴も何も出ない。いや、出せないのだ。出す暇すらないのだ。バットで無心に殴り続ける彼女は悲しみに満ちていた。


「もういいんだよ!全て!理想なんて、ありゃしねぇし。希望なんて追いかけるだけッ!そうそう期待通りになんてならないんだよ。それでも、走り抜けることに価値が見出せないなら!完璧を求めるならッ!死んじゃえ!死ねよ!今すぐ死ねよ!生きる必要なんてねぇんだよ!」


 最後に強く放たれた一言を最後に私は、耐え難い苦痛を受けた。踏みつけられ、蹴られる感覚に痛みが戻り、激しく刺す体の痛みに加えて攻撃される。悲鳴をあげども声にはならず、動かそうとする指は痙攣するばかり。


 いつしか、意識はなくなった。水に触れている感覚が最後だった。私が今、生きているかもわからない。けど、わかることは一つだけある。


 それは、兄が好きだったこと。削られて削られて最後に残った知らなかった自分。自覚はあった。それを知って、隠していた本当の自分。恥ずかしいのと、世間の目を気にしすぎで取り繕って隠した心の中の本心。兄に執着したのも目標だったのも、全ては好きだったから。


 いじめを受けていた時もそうだ。私は決して兄の迷惑になることだけはしなかった。それは感情や思考を超過して、心が動いた結果だと思う。心のままに生きるってこういうこと、そう理解できた。感情は無い方が、想いが明確になるのかな。


 なんだか苦しくなってきたな。お兄ちゃんに会いたくてしょうがないのかな。胸の辺りが重くて苦しい。今すぐに会いたい。会えるといいな。家に帰って、玄関で本当のただいまを言うんだ。それで、お兄ちゃんが優しく答えてくれて。私は微笑むんだ。いつも通りの日常に少し変わった自分を見せるの。


 壊れてから気づくこともあるんだって知った。だから、お兄ちゃんも…

 

 ここで私の思考は闇に落ちた。

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