登場人物というお人形

 私はいつものように登校する。同じ学校の生徒にぶつかられるのなんて日常茶飯事。なかった日には空から槍が降り注ぐだろう。学校に近づくにつれて頻度は上昇し、侮蔑の視線も多くなる。


 下駄箱に靴を入れようと、しゃがんだ時だった。後ろから突き飛ばされ、ごろごろと私は床に転がる。


「何転がってんのw汚いんですけどwww」


 ニヤニヤと笑いながら、見下ろす女子たち。いつも私にちょっかいをかけてくるいじめ集団の一つ。髪を染めたり、制服を着崩したり、無駄に派手な格好のいわゆる陽キャといやつ。全員が口元を隠しながら、失笑している。


「さっさと消えてよね。邪魔なんだけど存在が」


 いつも通りの暴言に、私は目を閉じる。この後に起きることを、怖がるように。でも、今日はなぜか、痛みを感じなかった。


「さっさと退けよ、カス」


「誰の許可得てうちらの邪魔するの?」


 普段ならあの暴言の後はきまって蹴りが飛んでくるのに。不思議と怖気が体に走る。体を抱きしめながら、私は下駄箱に這い寄る。そこを冷めた目で通り過ぎる彼女たちの背中を見送り、私は下駄箱を開ける。


「あれ…何か入ってる。手紙、かな」


 そこには、真っ白な封筒が入っている。中身を確認してみて、私はその手紙を取り落とす。それは決してラブレターとかではなく、呼び出しの手紙だった。差し出し人は、さっきの集団のうちの一人。ただ、放課後にとある橋桁まで来いという命令のみが書かれている。


 始業開始五分前のチャイムが鳴り響く。乱暴に命令書を鞄に埋め込み、私は教室に向かう。授業開始に間に合うだけの適度な速度でゆっくりと歩みを進める。誰もいない昇降口に、一つの足音が響くだけ。


 教室から一斉に椅子を引く音が聞こえ、後ろの扉からゆるりと席に着く。教師から連絡事項を聞かされ、プリントが配布される。淡々と進む授業がなんだか今日は憎たらしかった。


 次の時間も特に指名があったりはせず、あっという間に昼休みまで時間が過ぎた。弁当を取り出そうとして、朝の紙が目に入る。どうせ少し過激ないじめをされるだけだ。いつもとなんら変わらないはず。その時、私は鳥肌が立っていることに気づかなかった。


 弁当を開いて食べようとしたところで、あのお邪魔虫がやってくる。


「ねぇ、見てよこれ。私のより豪華とか許せなくない?マジでないわー」


 私の弁当を、ゴミ箱の上でひっくり返す。ボトボトと兄が私のために作ってくれた料理の品々が落ちていく。無残な姿になっていく弁当を私はいつものように眺めることしかできなかった。


「ほら、返すわよ。受け取りなさい」


 彼女は弁当箱を投げ返す。鳩尾にそれが刺さり、私は苦悶の声をあげてうずくまる。


「ああ、それとこれも要らないわ」


 ベチョっと音を鳴らして、私の目の前に何かが落ちてくる。痛みで顰め、細くなった視界を下に移す。


「トイレに落ちてたわよ、可哀想にねw」


 それは、私が次の授業で使うはずの教科書だった。濡れて破れた箇所も見受けられ、とても使える状態ではない。


 そこで、つぎの担当教師が入ってくる。私が教科書を忘れたと伝えると、課題をたんまりくれた。おまけに、舌打ちと説教もセットだ。セットでお得とはいうが、全然お得ですらない。嬉しくなんてない。


 席に戻る途中、彼女が悪い笑顔をしていた。そして、私に気づくとニチャァッとした笑みを向けてくる。ニヤつき具合から、彼女かその取り巻きたちの誰かがやったんだろう。何度も何度も懲りない人たち。


 本来なら、心が痛いのだろうけど、何も感じない。慣れてしまったのもあるけど、心が動かないのだ。嬉しい悲しいそんな気持ちなんて久しく感じない。ただ、全てがどうでもよくて何も感じれない。


 そして最後のコマの授業が始まり、しばしの間、ノート取りマシーンのようにひたすら黒板を写していくのだった。


 授業も終わり、喧騒が教室から去っていく。静けさがこの場を満たし、取り残された異物に笑顔を見せる。チカチカと時計の針のなる音に耳を澄ますだけで、自分がいなくなったように思える。


 生きることもどうでもよくて、それでも何故か死にたくなくて。単調な日々を消化する日々を忘れさせてくれる。このまま、空気に溶けてしまいたい。そんな気持ちに幾度となったことか。山手線のようにループして、同じ時間を浪費する。


 放課後の教室を照らす窓からの光がオレンジになり始め、私は教室を出る。これから起きる教育的指導という名のいじめを受けに河川敷に行くのだ。いかなる理由があったとしても行かなければならない。行かなければ、兄に迷惑がかかる。家の特定はされているから、きっと家にも押しかけてくる。それだけは、なぜか嫌だった。


 下駄箱の中の靴には、鉄板ネタの「靴の中に画鋲」が行われていた。数えることも億劫な回数を繰り返され、今はもうただ見飽きた日常風景でもある。


 画鋲を元の場所に返して、ボロボロの傷みだらけの革靴を履く。既にあってないような靴裏の感触。地面の凹凸をほぼ直に受けながら、校門をくぐり抜ける。


 学校を出て、やや繁華街の方へ南下する。横を見れば、会社終わりの乗用車や夜勤で荷物を搬送するトラックが忙しなく駆け抜けていく。交差点では、歩行者信号がイラついたように点滅を繰り返す。繁華街に近づくにつれ、人通りも増えて学校とは違った騒がしさを醸し出す。


 繁華街の人混みに揉みくちゃにされ、おぼつかない足取りで通りを進む。日は傾きかけ、淡くオレンジに街並みを染める。向かう方向は、市街地のはずれのため車通りも次第に減っていく。


 川岸の堤防を走るランナーが見える。もう少しで着くだろう。指定された時間は午後の五時半。陽が落ち、周りは薄く暗くなる時間帯。気にしなければ、橋桁の下の空間なんて見えることはない。


 そういうことを考えてだろう。この時間の場所を選んだのは。見られない位置と時間帯をわざわざ選ぶだけのやばい理由がある。


 それを理解する必要もない。砂糖に吸い寄せられる蟻のように私は階段を降り、川原に足を運ぶ。まだ、彼女の姿を確認することができない。約束の場所にはついていないようだ。


 一筋の悪寒とともに、私は橋桁に歩いていく。そして、未来への光が閉じるように、日が沈んでいった。

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