文章の解釈は自分次第

 パタンと本が閉じられる音で俺は意識を現実に帰還させる。腸が煮えたぎる。自分勝手な都合によって、他人を殺してよい理由にはならない。自分の大切な妹がその八つ当たりによってボコボコにされた挙句、衰弱して溺死をしたことは許せなかった。


「…見なければ良かった?」


 少女が聞いてくる。心の底を見透かすようにその声音は至って平坦だった。その声に冷静さを取り戻し、俺は言う。


「いや、大丈夫だ…うん…」


 過ぎた怒りの後に、押し寄せるのは悔恨の波。あの日、気づかなかったこと、助けられなかったこと、様々なできなかったこと。自然と握っていた拳に力が宿る。悔しさで胸がいっぱいで、知らなかった頃の目的を忘れかけていた。妹から見た自分を知る。そして、死んだという事実を再確認し、それを引きずらないと区切りをつけることを。


「望み、迷うならば扉は開く」


「もうこねぇよ、くそったれ」


 挨拶代わりに、悪を吐き捨て扉を開ける。そこは、知らない場所などではなく、自分もよく知る自宅だった。廊下の窓の外では、空が夕日で赤く染まっていた。扉を閉めて再び開けると、そこは懐かしいあの日のまま停滞した時間だった。


 妹の遺品を一つ一つ眺めては片付けていく。ポロリポロリと涙が自分の膝を濡らす。嗚咽を押し殺して、懐かしい思い出たちを心の内にしまう。


 不意に静寂を破る電話の着信音。スマホを確認すると、電話の相手は父だった。ここ数ヶ月ほど、顔は見ても会話をすることはなかった。最後に話したのも事務連絡のようなものだった。不思議に思い、すぐにボタンを押す。


「あー、もしもし。コッコこけっこココッコケー!」


「もしもし、どうした親父」


 この謎の鳥の鳴き声みたいなのは、親父が決めた電話のあいさつだ。オレオレ詐欺の防止とか言ってたな。


「あー、いや。明日は墓参りだからな、お前に出席して欲しいんや」


「なるほど、うん、今年は参列するつもりだった。もちろんいくぞ」


「ああ、よろしく頼むよ」


「了解、明日は休みが取れてるから、よかったわ」


「そうか、それは本当に良かったな」


「当たり前だろ、あいつの祝うべき日だったからな」


「そうか、そうだな」


 電話を切る。明日は優花、妹の誕生日である。ただ、妹の命日でもあるのだ。素直に喜ぶことができない複雑な想いが胸の中に燻る。


 あの日は、誕生日の準備をして妹が帰ってくるのを待っていた。いつまで経っても帰らない妹。ひたすらに、待ち続けてもこなかったあの時の悲しさが胸を締める。何とも言えない辛さが体を覆う。


「そうだ、散歩でもするか」


 夜の風が玄関から吹き込んでくる。心の中を換気するように、顔に張り付く冷たさが頭を冷やす。澄んだ思考が彷徨える気持ちを追い払う。ぬるりと空気を切り裂き、自分の足を前に進めた。玄関を跨ぐとき、名も無い夜に飲み込まれるように俺は歩き出した。


 どこにいくかも分からず、ひたすら歩き続けた。日中は煌びやかな街の光も今は消され、不安を煽るような暗さが満たす。自分がしてやれなかったこと。やらせてあげたかったことを一つ一つ噛み締め、歩いた。


 ふと、足が止まった。見覚えがある。それでも記憶の通りではない公園。思い出の中の情景と変わり過ぎてしまった。それを見ると、思い出すらも変わってしまうようで哀しくなる。変わらない想いも残っているのに。


 近くの自販機で缶コーヒーを買う。公園のベンチでそれを呷る。コーヒーの苦さが急に優しく思えて、笑みが溢れる。夜空を見上げると、広がる星々の輝き。まるで、俺の中にも希望があるかのように光っている。


 月の光を受けて反射した缶コーヒーの輪郭。その輪郭に銀色の輝きが落ちる。ポタポタと落ちていく、その水滴が地面に伝って落ちたとき、懐かしさがフラッシュバックした。


 あの日、妹は泣いていた。嗚咽を漏らさず、静かに涙をこぼしていた。それを慰める僕の姿が目に映る。俺はなんて言ってたんだろう。少し耳をすませば思い出すその言葉。


「何でお前が泣くんだよ。負けたのは僕だぞ。人のことで泣くなよ」


「だって、悲しいんだもん」


「人のために泣けるお前は、僕よりよっぽど強いよ」


「…ねえ、お兄ちゃん。私はね、お兄ちゃんのことがすっごい好きだと思うの。何でかはわかんない。だからね、お兄ちゃんが負けたりすると私も悲しい」


「そうか、ありがとね」


「うん、もしね。私がこの想いを忘れたとき、それは私じゃないと思うの。だから、なんだろね…わかんなくなっちゃった」

 

 やっとわかった。自分が愚かでクソ馬鹿なひどい兄だってこと。妹が最後に思ったこと、伝えたかったこと。やっと理解できた。これは俺なりの解釈。でも、それでいいんだ。それが正解なんだ。自分の解釈でしか、物語は進められないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る