人生とは一種の創作物である
「ただいま…」
誰もいない家に声が木霊する。ここは俺たちの家、俺と妹の家。数年前までは1人じゃなかった。妹は元気に学校に通っていたし、俺も就活に追われながらも学校生活を楽しんでいた。親は時々帰ってくるけど、いつも忙しそうに働いていた。あの日までは。今でも残り滓のように頭にこびりついて離れない。苦々しいじゃ最早言い表せないほどの暗い記憶。今も心に楔を打つ、妹がこの世から消えた日のことを。
廊下をすぎ、階段を登り2階の自室へ向かう。途中、あの日から開けてない妹の部屋を過ぎる。唇を固く結び、奥歯がギリギリと鳴る。自室の扉を蹴破るように開けて、中に転がり込む。ベッドと机、タンスそれしかない簡素な部屋。ベッドに倒れ込み、天井を仰ぐ。あれから、何をやるにも力が入らない。気持ちも入らない。うまくいくことはなくても、失敗することはないなんの変哲もない普通の結果。ちょっと前は違ったのに。
「このまま、生きたまま腐ってくのか…」
思わず呟いた言葉が、意外と胸にスッときて苦笑いが出る。
「あいつも、こんな俺じゃ嫌いになるよな…」
そうだ。俺はあいつの兄なんだ。こんな半死半生の姿じゃ、カッコ悪いだろ。手本になれるように、そう見せてきたのじゃなかったのか。俺は立ち上がって部屋を出た。向かう先は、もう何年も開けてない妹の部屋だ。
妹の部屋のドアの取手は埃を被っていた。少し緊張する。あの日から動いていない時間を動かすのだ。俺は取手を握り、意を決して中に入る。でもそこは、記憶にある妹の部屋ではなかった。
どこまでも本棚が立ち並び、果てが見えない。本棚は空中にまで規則正しく並べられていた。そこに広がっていたのは巨大な図書館だった。重厚感のあるしっとりとした空気が、書店などではないことえお感じさせた。
俺の家の間取りにはこんなところはない。奥行きもこんなにあるはずがない。何が起きているんだ。目を擦ったり、頬をつねっても目の前の光景は変わらない。俺は、疲れすぎてどうにかなってしまったのかもしれない。
「永劫図書館にようこそ。全ての軌跡と世界を此処に記す、色褪せない記憶と物語を刻む場所。貴方達が求めるものも、何処に。辿り着いた奇跡に、祝福があらんことを」
そんな声が頭上から聞こえた。そこにいたのは黒い少女だった。漆黒の長い髪と真っ黒いワンピース、この世の闇を煮詰めたような視線でこちらを見下ろす少女。表情からはっきりと感情が読み取れないのが怖かった。
「なんで、ここに?俺が?」
黒い少女は俺の前に降り立ち、一言言った。
「迷い人」
迷い人ってなんだろう。ここに迷い込んだ人のことを言っているのか、あるいは何かに迷っている人のことを言うのか。さっぱりわからなかった。
こうなったら、もうなるようになれと半半ば考えることもあきらめた。ここで止まっていてもしょうがない。怖いけれど、確認するしかない。ここがどこに繋がっていて何を目的としているのかを。この時、自分はもう妹の部屋に来た当初の理由を忘れていた。
俺は恐る恐る前に足を出し、図書館に入る。図書館に入ってからわかる圧倒的な量の本。数えきれない本棚が鎮座して、圧巻の一言に尽きる。さらに、その書籍たちは昔の書物から最新のものまであらゆる種類の本が揃えられている。とても興味がそそられる。こんなに本があるのが信じられない。俺は感嘆の声を漏らしながらしばらく歩いて回った。
しばらくして、棚の色が違うコーナーを見つけた。それは題名がなく、著者だけが記されていた。どのような本だろう。手に取ってみる。ずしりと重みがかかった。ただ重い本というのではなく、体全体に重みがあるように感じられる。なんだこの本、明らかに普通の本ではない。
「それは、人の一生が書かれた本。人が亡くなることで完結する、その人の物語」
ページを開いてパラパラめくる。リアルな感情とリアルすぎる出来事に心が震える。これは、現実でも起こりうるのだと。フィクションじゃない、体験談をより正確に面白く記してあるんだと。
「まだ生きている人の本はどうなるんだ?」
ふと疑問に思い、尋ねてみる。
「途中まで書かれて先は白紙」
別の本を手に取って見せる。確かにその先は白紙になっていて、今も自動的に字が追加されている。物語が進んでいるってことなんだろう。
「…妹の本はあるのか?」
人の一生を書いた本と聞いた時から、知りたいことがあった。それは妹がどんな世界を見て、どんな感情を抱きどんな世界を望んだか。それをただ知りたかった。あの日から、自分はあいつにしてやれていただろうか。兄らしくみえていただろうか。妹のことしか頭に入ってこなかった。自分のせいで死んだのではないかとか、考えに考え、生ける死人のような虚な生活を繰り返した。
「あります」
「見せてくれ‼︎」
俺は声を大にして叫んだ。どうしても知りたい。その想いでいっぱいだ。
「…本当に確認するのですか?」
戸惑うように、値踏みするような視線を少女から感じる。知りたくないものを知らずに済むいまのままがいいんじゃないか。言葉にしないけど、伝わってくる。それでも知りたい。自分は何かあいつのためにできていたのか。支えになれていたのか、喜んでくれていたかを。
「…覚悟を確認しました」
遠くの本棚へ向かい、空中に浮かぶ本棚の一つが彼女に引き寄せられるように降りてくる。そして、一冊の濃い紫色の本を取り戻ってくる。その妹の物語を少女が開き、俺は意識を彼方に吹き飛ばされた。
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