第二話 瑠歌と読書



           二



 公務員講習説明会……教職説明会……医療関係業務説明会……

 就職関係の掲示物が並ぶ壁を見て、瑠歌はため息をついた。折角四年制の大学に入ったのだ。キャリアで収入の良い職場を選びたいと考えていた。三年前までは。

 瑠歌は先日の就職セミナーで渡された冊子をとりあえず開く。大学三年生から本格的な就職活動が始まる。今はインターンシップのことやその企業のことを考える時期だ。

 瑠歌は本に関係する職業に就きたいと考えていた。出版社はもちろん、書店の社員、製本、図書館司書、ある限りの関係するものを探し出して調べ尽くした。しかし、どこか自分が納得できるような仕事が見つかっていなかった。

「あ、いたいた。瑠歌」

 冊子から顔を上げると、文乃が寄ってくるところだった。

「ああ、おはよう」

「朝から顔が暗いよー。また就活のこと?」

 隣に座るなり、瑠歌の悩みを見抜く。

「ご名答。そろそろインターンシップも絞らなきゃいけないけど、わかんなくなってきてる」

 はぁ、と重い息が瑠歌の気持を表していた。

「思い詰めすぎだよ。ほら、なんかこう……なんとなくでいいからこの仕事気になるなーとか、ないの?」

 文乃は無意識に顔の周りで手をくるくる回す。

 しかし瑠歌はうーん、と言ったきり動かなくなった。するとそれを見た文乃はきゅっと口を結んだ。

「……よし、そしたら瑠歌、今日の夜空いてる?」

 唐突な質問の変化に瑠歌は顔を上げた。

「えっ……空いてるけど……」

「それならよし。じゃ、五時半に一階の玄関ホールに集合ね」

「え、何? なんで?」

 不可解とでも言う表情を浮かべて瑠歌が文乃を見つめる。

「合コンだよ、合コン。息抜きに最適でしょ?」

 それを聞くなり、瑠歌の眉間に深くしわが寄った。

「はぁ……? 合コン?」

「こ、怖い怖い……しわ残るって……」

 文乃は顔を引きつらせて瑠歌を落ち着かせる。

「瑠歌がそういうの苦手なことは知ってるけど、一度は行ってみたらいいと思うよ。今回の相手は近所の大学の三、四年生だし。変なことはないって。ほら、就職のこと聞いてみればいいじゃない?」

 ね、と文乃が推す。瑠歌も文乃が厚意で誘ってくれていて、気を使ってくれている部分があるのは承知の上だった。

「……わかった。今回だけね。でも本当は、人数合わせでしょ」

 瑠歌は文乃に視線を向ける。文乃は明後日の方を見て聞かないふりをしていた。


           *


 夕方五時半。少し暖かかった昼間とは違い、冷えた風が出るころだ。

 瑠歌は何となく身だしなみを整え、玄関ホールに向かった。

 文乃はまだ来ていなかった。とりあえず外の風が入ってこない隙間の壁に寄り掛かる。文乃には朝に聞きそびれたことがたくさんあったのだが、一限の時に会って以来、授業が重ならず、話せていなかった。

 瑠歌に彼氏がいたことはない。中学の頃、同級生に好きだと告白されたことはあったが、急なことに怖くなって勢いで断ってしまった。

 昔から大人数で騒いだり遊んだりすることが苦手だった。その性格が災いして、高校でも大学でも友達が少なかった。しかし、本があったから、寂しくはなかった。

「ごめーん、お待たせ」

 ヒールの音と共に文乃が駆けてきた。朝とは打って変わって、髪はばっちり巻かれ、メイクは決まり、目がギラギラと輝いていた。

「相変わらずの本気度ですね……」

 久しぶりに見た友人の浅ましい本気に、瑠歌は聞きたかったことが頭から抜けたのに気が付いた。

「あ、言い忘れてたけど、お店はこの近くだよ」

 しかし唐突に聞きたいこと一つ目が回収された。

そうなんだと瑠歌は相槌を打っておいた。

 合コンの会場は駅前にあるこぢんまりとしたイタリアンの店だった。大学から歩いて来られる距離だ。店の看板に食事会歓迎と書いてあった。

 通された奥のテーブルにはまだ誰もいなかった。

「六時からだけど、少し遅れてるのかなぁ」

「総勢四人? 少なくない?」

 想像していた合コンと違う、と瑠歌は思った。

「いやいや、この隣のテーブルもうちらの席だよ。つまり総勢八人」

「そんなに多いのに、集まりが悪いね……」

 ちらりと時計を見ると、あと数分で針が直立になりそうだった。

 とその時、入口の方がガヤガヤ騒がしくなった。ドクン、と瑠歌の心臓が深く打つ。

「ごめんねー、文乃ちゃん。遅れちゃって」

 軽い感じで入って来たのは髪を茶色く染めた男性。目が大きく印象的だった。その後ろには残りの六人、男四人、女二人がぞろぞろ付いてきていた。

 瑠歌は膝の上に置いた手を強く握っていた。顔がこわばって、ちゃんと笑顔になれているのか不安だった。

 サークルや団体に積極的な文乃はほぼ全員と顔見知りのようだ。ヤッホー、と軽快に挨拶を交わしている。

「じゃあ早速だけど、自己紹介でもしますか!」

 全員が席に着き、ドリンクが回ったところで茶髪の男が声を上げる。すると賛成の意なのか、拍手が散らばった。

「俺から時計回りにいってもいい?」

 どうぞどうぞ、と瑠歌は心の中で叫んだ。その周り順であれば後半の中間方になり、印象に残りにくそうだった。

 そして瑠歌は四番手だった。つまり女子で最後の順番だった。

「小野寺瑠歌です。文学部の三年生で、趣味は読書です。よろしくお願いします」

 手短に済ませ、さっさと席に座る。パチパチとまばらに拍手が鳴った。

 しかし自分の番が終わると気楽なものだった。前に座る男性陣を眺めることもできた。四人中三人が明るく染めていたり、うっすらとパーマがかかっているお洒落髪の毛だ。しかしもう一人は染めてもいずパーマもない、自然に流している髪の毛だった。瑠歌にはそれがなんとなく新鮮に思えた。

 しばらくして料理が登場した。食事会用のコースらしく、人数分の決まった量だった。

 話す以外のやることができたので、瑠歌にはありがたかった。他の人は話しながら食べることに熱中している。

 瑠歌は一人食べながら、近日発売予定の小説のことを考えていた。それはずっと前から贔屓にしている作家の作品で、一年に一回程度の刊行ペースだ。しかし今回は二週連続発売と知って、その時は小躍りして叫んだほどだった。その作家はファンタジーを主体としたストーリーながらもミステリーまで幅広く手掛け、どの作品もムラがなく面白いと定評がある。今までも、瑠歌の人付き合いが苦手というコンプレックスを癒してくれていた。

「あの、小野寺さん?」

 不意に名前を呼ばれた。

「……はい」

「お話、しないんですか?」

 瑠歌の正面に座る、唯一自然な髪をした男性が聞いてきた。先程の自己紹介を聞いていてくれたんだと思ったが、逆に男性の自己紹介を覚えていないことに気がついた。

「あまり、こういう場所が得意ではなくて」

 不愛想だと思われかねないが、すみませんと瑠歌は席を立った。そしてそのまま女子トイレに駆け込んだ。

 鏡を見て、瑠歌はさらに気を落ち込ませた。全く笑顔ができていなかったのだ。自分では口角を上げて笑顔を浮かべているつもりだった。しかし目の前の自分は表情がこわばって、完全に場違いだ。

 無意識にため息をついていた。

 帰りたいが、文乃の手前、帰るわけにもいかない。手を洗って気持ちを入れ替えた。

「あ、すみません――」

 トイレから出た狭い通路で人と肩がぶつかった。

「あ、小野寺さん」

 目の席に座る男性だった。

「あの、趣味が読書なんですよね」

 頭を下げてそのまま戻ろうとしたところを、男性の質問が引き留めた。

「そうですけど……」

「実は俺も読書が好きなんですけど、あんまり周りに同じ趣味の人いなくて。どんなジャンルが好きですか? あ、好きな作家でもいいです」

「ファンタジー系が好きです。作家は小泉十六夜さんが……」

 読書の言葉につられ、瑠歌は答えた。

「え、本当ですか! 俺もです。俺も小泉先生の作品が好きで……!」

 ほの暗い中で、男性の目がきらりと輝いたのが分かった。瑠歌はその様子に微かに笑みをこぼす。

「あの、もう少し、お話しませんか」

 と、男性は席の方を手で指した。

「はい」

 言ってから、瑠歌は自分の頬に手をやった。心なしか、表情が溶けた気がした。

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