私が読書を好きな理由
烏乃
第一話 愛美と読書
一
今日から新学期が始まる。それに伴ってクラス替えもあった。
愛美はおなかが痛かった。
*
「夏休みが明けたら、社会見学があります。そのための班を来週決めたいと思います」
一番気が楽なはずの金曜日の帰りの会。しかし先生の話はその気分さえも壊した。
さようなら、と声を合わせると、愛美はすぐに教室を出た。
この学年が始まって四か月。愛美は友達を作ることができていなかった。作り方がわからなかった。
一番に教室を出るには理由がある。もたもたしていると、友達がいる人に混ざって道を歩かなければいけないからだ。
別にいじめられているわけではない。いじめているわけでもない。なぜか誰も友達になってくれなかった。自分から話しかけられる性格ではないから待っていた。今でも待っている。
去年のクラスでは一緒に帰るまで行かなくても、話しをする程度の友達はいた。しかしその子は違うクラスになって、また新しい友達ができているようだった。
無意識にため息をつくと、踏み出した足元に転がっていた小石を蹴る。それは転がって歩道を飛び出し、道路にはみ出た。先生から道路に出てはいけないと言われている。愛美はその石をあきらめた。
家の周りは静かだった。同級生や年下の子たちはまだ帰ってきていないようだった。しかしそれも当たり前だ。一番に学校を出てきたのは愛美なのだから。
*
金曜日の六時間目。学活の時間に、社会見学のための班を決めた。先生がくじを引いて決めてくれたので愛美はまだ気分がよかった。
しかし同じ班には、友達同士の女子が二人と愛美、男子も三人とも友達同士だった。
その帰り道、愛美はまた石を蹴っていた。一人の下校で、石を蹴って遊びながら帰るのが好きだった。手持無沙汰にならずに気が紛れるからだ。
しかし蹴る方向を誤った。前を歩いていた女の人の靴に、コンと当たってしまったのだ。
「…………」
謝ろうかどうかと愛美が慌てていると、その女の人が振り返った。
「あ……ねぇ、愛美ちゃん、だよね」
聞き覚えのある声で女の人が喋った。
「……ルカおねえちゃん?」
近くに住む顔見知りの女子大生だった。親同士の仲が良く、年は離れているが会うたびに遊んでもらうことが多かった。
「最近会ってなかったけど、元気?」
ルカが愛美に寄り、話しかける。
「うん」
「愛美ちゃん、三年生になったんだってね。学校はどう?」
「……まぁまぁかな」
ルカは愛美に歩調を合わせる。
「あ、そうだ、読書は好き?」
「朝の時間でしか読まないけど……」
ちょうどルカの家の前に着いた。
「愛美ちゃん、ちょっと待っててもらってもいい?」
お別れかなと思いきや、不意にルカが言った。そう問いかけられて、愛美は頷くしかなかった。
しばらくしてルカが戻ってきた。手には何か紙袋を下げている。
「よかったら、読んでみて。きっと面白いから」
そう言って渡された紙袋には本が一冊と、愛美の好きなチョコレートのお菓子が入っていた。
「これはおまけ」
ふふ、とルカが笑う。
「大丈夫だよ。顔を上げていれば、大丈夫だから」
愛美にはルカがなぜそう言ったのかわからなかった。しかし、お菓子のお陰で気分が軽くなっていた。
「おねえちゃん、ありがとう!」
愛美は久しぶりに笑った気がした。
*
「愛美、今日ルカちゃんに会ったの?」
夕食の時、愛美の母が聞いた。
「うん。お菓子と本くれた」
「本はくれたんじゃないと思うけど、お菓子良かったね」
母は苦笑いを浮かべた。
「ルカちゃんも大学生だってね。早いわぁ」
箸を手に、感慨深そうに言う。
「大学って、高校生の次?」
「そうそう。すごいんだよー」
「すごいことなの? 大学って」
愛美には、高校の次が大学という感覚しかない。
「お勉強できないといけないところなんだよ。ほら、お兄ちゃんが毎日、夜遅くまで頑張ってるでしょ」
と母はテーブルの空席を軽く見やる。愛美の兄は高校三年生で、受験生であった。毎日夜七時近くまで学校で勉強し、帰ってくるのは愛美が寝る準備をしている時間が多かった。
「私もおねえちゃんみたいに大学生になれるかな」
「お勉強頑張れればね」
すると、愛美ははっとした表情になった。
「じゃあ、おねえちゃんからもらった本読めば、お勉強できるようになる?」
「うーん、それはどうだろう」
母はまた苦笑いになった。
そのあと、愛美は寝る前に本を開いてみた。紙袋に入っていた本は、挿絵のない字ばかりのものだった。
難しそう、と呟いたが一ページ目を開けた。
『ある王国の、大きなお城に、一人の小さな王子様がいた。その王子は勉学や習い事で忙しくしていたから、いつも一人だった。毎年訪れる願い事を唱える日、王子は友達が欲しいとお願いした。すると数日後、王子の元に魔女がやってきた。「町のはずれの空き家に行くといい。そこに君の望むものがある」それだけ言い残して次の瞬間には消えていた。王子はこの前の願い事のことだと直感して、すぐに馬車を出させた。魔女の言う通りの場所に行くと、寂しい丘の上に朽ちかけた家がかろうじて建っていた。王子は従者に止められるも、強引に中へ入る。そこには、王子と同じ年齢くらいの男の子が粗末なベッドで寝ていた。「君は誰?」突然の訪問に目を丸くする男の子が問いかけた。「僕はこの国の王子。君、僕の友達になってくれるの?」キラキラした笑顔で言う王子に、男の子は困ったような表情を浮かべて――』
愛美は寝るのを忘れて本に夢中になっていた。零時を回った頃に母が注意しなければ、さらに時間を過ぎていただろう。
言われて寝る体勢に入った愛美だったが、本の先が気になって瞼を閉じられなかった。こっそりと起き出して電気をつけると、また本を開いた。
『――「僕は君と友達になりたいと思った。だから怪物から助け出したんだ。それだけじゃだめかな?」王子は言った。「でも、僕は……僕には王子と友達になる資格はないんだよ。なんでボロの家に住んでるか、知らないかい?」男の子は固い表情で言った。「もちろん知っているよ。君の父上が、僕の父上と喧嘩したんだろう」「そうだよ。僕は君と口すら聞いてはいけない人間なんだ。それなのに、なんで君は僕を怪物のところから助け出したり、危険なことをするんだ。僕の存在は君に迷惑だ! 僕はそのまま……あのまま死んでしまえば良かった!」男の子が言うなり、素早く頬が打たれた。「そんなことを言うな! 君は僕の友達になる。それ以外に選択肢はない。たとえ君が嫌だと言っても、僕の言うことには逆らえない」王子は涙をこらえた目で、ひりつく頬に手を添える男の子を見る。そしてこらえきれなくなった男の子は口を歪ませた。「……嫌だなんて、言うものか……僕だって、友達が欲しいんだ。王子とだって遊びたい」男の子も涙を浮かべた。「今まで、わがままを言えなかった。言ってはいけなかった。でも一つだけ……僕は、友達が欲しい。王子と、君と友達になりたい」――』
空がうっすらと明るくなって、ついに朝が来た時に愛美は本を読み終わった。
愛美はぼんやりとしていた。眠気からではなく、読後の余韻に浸っていたのだ。言葉にはできない、はじめての感情が愛美の心を埋めていた。
そしてベッドに横たわると、本を片手にそのまま眠りについた。
*
「それでは、班に分かれて計画した通りに展示を回ってみてください」
小学三年生の社会見学は街で一番大きい博物館で行われる。
各班、楽し気に一斉に散らばる中、愛美の班も行動を起こそうとしていた。
「よし、じゃあ最初のやつ行こうぜ!」
リーダーに決まった男子が元気よく言う。
「おう!」
他の男子二人もリーダーについて歩き出す。
「……り、里奈ちゃん、果子ちゃん、一緒に行こう?」
愛美はぎゅっとこぶしを握って言った。真っすぐに二人のことを見ていた。心臓が騒がしく動いていた。
「うん! 愛美ちゃん!」
二人は笑顔で答えてくれた。
愛美はそれだけで安心した。
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