八百万の河
どのくらいの時が過ぎたろうか。暗がりの狭い
窓どころか隙間も無い駕籠の中からは、外の様子は全くわからない。
帰り道がわからないよう、アマリは道順を教えられていない。駕籠を運ぶ従者達も、神界への行き方は途中までしか知らず、そこからは別の者が引き継ぐ、という
規則的に左右に揺れる駕籠の中で、懐からふと、布に包まれた一つの陶器の小瓶を手にする。今日、支度の最後に持たされたのが、これだった。いざ贄となる際、なるべく苦しまないよう、せめてものはからいだと、母から渡されたもの。強力な催眠作用の薬らしく、神界に着いたらすぐに飲むよう言われた。
そんな
せめて正気を保っていられるうち……恐怖や怨恨に狂い、見苦しい様を晒しながらは逝きたくない。それが、今のアマリに残っていた、唯一の自尊心だった。
――もう、今すぐ飲んでしまいたい……
何に対してかもわからないまま、瓶を握りしめながら祈り、逃避するように視界を閉じた。
「尊巫女様。大変お待たせ致しました」
「通過地に到着しましたので、お降り下さいませ」
さすがに疲労と睡魔に負け、うつらうつらと
ぼやけた視界に映ったのは、
「ここは……?」
「
従者の一人が、重々しい口振りで説明する。その名と存在は、尊巫女としての知識の一つとしてアマリも知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。ごく限られた者しか行けない禁じられた聖域だとも両親から聞いていたが、どんな時に何の目的で利用するのかは、何となく察しがついていた。
「……我々は
続けて告げた従者の言葉に不安になった時、少し離れたところから、彼らとは異なる声が降ってきた。
「尊巫女様。お初に御目にかかります」
声のした方――岸辺に二つの人影があった。藁作りの傘を深く被り、舟番の格好をした男達が、先端に純白の
「……
「厄界の
「我々は、この八百万の河の番人。ここから神界に行くまで、貴女様を無事にお運びするのが役目でございます」
言葉使いや物腰は丁寧だが、その佇まいは明らかに人族では無い、独特のものだった。辺りに
ふと、彼らが手にしている
「――結界、ですか?」
少し意外に思い、おののきながら問いかける。ここは
しかも、彼らは神界ではなく
「左様でございます。ここは人族と神界の境目。護りが曖昧になり、道中、貴女様を狙った
白地の羽織姿の彼らは、河の番人というよりは、
「……では、我々は此れにて。失礼致します」
順々に丁寧に頭を下げ、別れの挨拶を告げた従者二人は、
「「どうぞお乗り下さいませ」」
彼らの姿が見えなくなった頃、異界の番人達が、
ゆらり、ゆらりと今度は不規則に全体が揺らぎながら、闇夜に染まる河をひたすら進む。
「
軽い酔いと雪降る深夜の冷え込みが
「……貴殿方は、妖厄神
「これは珍しい。あの方をそのように呼ばれる人族は、貴女様位ですぞ」
彼は愉快そうに、軽い笑い声を上げた。
「何故ですか? 禍神といえ……神様でしょうに」
「その通り。が、大抵は『厄病神』『妖厄神』などと呼び捨てる。むしろ、我々が問いたいものだ。何故、そのように?」
彼女の方は見ず、少し皮肉るような口振りで、番人は逆に尋ねる。アマリは返答に詰まった。無意識に口にした名称だが、今から会いに行く者は、あくまで神族の長なのだという、欠片程になっていた尊巫女の
「……」
「もうじきです。到着次第、長様が風の如く参られます。お覚悟を」
うつむき、無言になったアマリを
懐にしまっていた
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