スーサイドカスケード

中野ギュメ

第1話

 2023年3月19日夜。

 カチューシャを装着した少女は一人で夜の街を歩いていた。姉が死んだが自分はあの視野狭窄に陥った両親を慰める為だけの姉の代替品になるつもりはない。人間なんていつか死ぬ。何もかもが意味が無い。そう、この日までは思っていた。

 空からひらひら舞い降りたのは一枚の黒い紙。全くの黒という訳ではない。縁取りは恐らく手描きだろうが、ピンクのクレヨンかなんか、よくわからないがそんな感じの物で描かれている。ロリータとか呼ばれるいい歳した大人達が着込んでいそうな痛々しい服装とかによく付いているフリル、みたいな形状の縁取りがピンク色で描かれている。気持ち悪い。

 更にその内側にはピンク色の丸文字があり、明らかに作者の意図とか主張とかが視覚化されて剥き出しになっている。こんな文字を意図せず日常的に書く奴なんて居る訳がない。気持ち悪い。

 そして本文を読んだ。読み終えてしまった。一字一句全て残さず。

 我慢できずに気持ちを口に出す。

「気持ち悪い。」

 内容を要約すると、これは遺書である。しかも、とてつもなく気持ち悪い遺書だ。

 まず何が気持ち悪いのかというと、そもそも死ぬ理由が無い。作者の年齢は恐らく本文の内容から察するに女子中学生から女子高生あたり。思春期かそこから数年の範囲。故に、なのだろう。黒い紙面上には妄想力豊かな気持ち悪い唾棄すべき幼いピンク色の感情が踊りまくっている。気持ち悪い。

 快不快の部分を一切廃して評するならば極めて身勝手かつ攻撃的な文章だ。とにかく自分の責任という物を一切取ろうとせず相手を徹底的に非難する文章構成になっている。しかも遥か昔の出来事を口撃と自己正当化の材料として採用しているのでもしこんな昔の事を引きずる奴が居たならば法律が許す範囲で徹底的に叩き潰したい、とカチューシャの少女は心底思った。たとえそれが自分の幼馴染であろうとも。

 カチューシャの少女は未だ六歳の幼子である。まだ小学校にも入学していない。だが、そんな彼女にも吐き気を催す自己中心主義者の感情は怒りすら覚える程度には読み取れた。本来群れを形成して生活する猿の一種であるはずの人間が本能として先天的に有しているはずの他者への共感性・社会性がこの遺書の筆者から欠如している事は明確であり、そいつの中にあるのは肥大化した所有欲に過ぎない。相手を一人の人間として認識していない。自分の所有物扱いして最初から有りもしない所有権を奪われたと主張して発狂しているだけだ。権利等というものは所詮は人間の認識であり、権利自体は物体としての形状も質量も存在しない。つまりはこの遺書の筆者は自分の頭の中の妄想を書き散らしてそれを相手に読ませる事で心理的攻撃を狙ったのだ。気持ち悪い。

 この気持ち悪さだと恐らくこの遺書の筆者は昨日自殺したあの女だろう。動画サイトで登録者数十万人の大規模チャンネルを運営していたと噂されていたあの女。一回だけそいつの動画をカチューシャの少女は視聴した事があるが、開始一分で切った。喋り方も服装も何もかもが気持ち悪かったが、一番気持ち悪かったのはそいつが明らかに視聴者を意識していないどこかの誰かに向けて喋っていた事だ。騙す事すら放棄してそれで得た登録者数が数十万人。どいつもこいつも病んでいるのか。

 それともこの気持ち悪さを拒絶している自分が幼いだけなのか。ならばいずれ自分が加齢して思春期に到達すればこの気持ち悪さを合理的に理解できるとでもいうのか。嫌だ。絶対に理解したくない。

 となれば自分が取るべき手段は唯一つ。燃やそうこれ。

 心理療法の一種で嫌な物を紙に書いて眼の前で燃やして嫌な物を忘れるという手法があったはず。ソロモン・ヴェニアミノヴィチ・シェレシェフスキーがその手法で忘れる事が出来なかったのは彼が完全記憶能力者だったからであり普通の人間である自分なら大丈夫だろう、とカチューシャの少女は思いつつ、衣嚢の中からライターを取り出し、気持ち悪い遺書に着火した。

 眼の前で煙を上げて燃える遺書だが、火の勢いが予想より弱い。黒色であり普通の紙ではないからか、と思ったが煙のにおいに思わず手を離した。セルロースが焼けるにおいに混じった異質なにおいを察知したのだ。

 これは有機化学の、実験で嗅いだ事がある、においだ。確か毒物、のそれ。心理、的な攻撃だ、けでなく化学、的な攻撃までするとは、余程この遺書、の作、者は相手が嫌、いだったら、しい。こんな一、方的な凶暴性、が凝縮した廃、棄物が愛である訳がな、い。毒物、の種、類は不明だ、が、手で触、れただけで、も効果の、ある毒物と、いう、のは実、在する。先、程から、自分がこの手、紙に対、して気、持ち悪、く、なって、い、た、のは恐ら、く手、か、らの浸、透、も影響、して、い、た、の、だ、ろ、う。

「令和のチェーザレ・ボルジア。」

 その言葉を途切れいないように必死に絞り出して呟いた後、カチューシャの少女は意識を手放した。


 少女Aには自慢の幼馴染が居た。

 少女Bである。

 幼稚園と小学校は同じで非常に仲が良かった。しかし小学校の途中から疎遠になっていった。理由は、それぞれが別な道に進んだからだ。

 少女Aはギターを選んだ。音楽が好きだった訳ではない。ただなんとなく格好が良くなるから、という極めて単純かつ子供らしい理由からだった。

 少女Bはゴスロリ趣味を選んだ。ひらひらした可愛いドレスを身にまとい、動画サイトで多数の登録者を獲得していた。

 少女Aにとって少女Bは憧れであり自慢の幼馴染、だった。

 過去形である理由は唯一つ。少女Bが自殺したのだ。

 煉炭自殺。自室の窓や戸をしっかりと目張りした計画的な自殺だった。

 意味がわからなかった。何故自殺する必要があるのか、と少女Aは何度も自問したが合理的結論が出る事は無かった。

 だって疎遠だったから。

 毎日動画は視聴していたし、高評価ボタンも押していた。でもそれだけだ。互いの家が物理的に離れていた訳ではない。互いの心が離れていたのだ。その事に少女Bが死んでから気付いた。気付いてしまった。

 歩いていけばすぐに会える距離にずっと居たのに。

「もっと……気にかけてやればよかったな。」

 2023年3月19日夕方。

 少女Aがクラブハウスからの帰りの歩道橋の上でぽつりとこぼした直後、足音が聞こえた。振り向くと、そこには見知らぬ少女が居た。中学生である少女Aと同じ位の年齢に見える顔なのに大人かと見間違う程に背が高い。一方その服装は少女Aのそれに近い物に見えた。その少女は自分の事をDと名乗り、そしてこう告げた。

「貴方がAか。」

 少女Aは首肯した。それを見た少女Dも頷き、そして一つの封筒を差し出してこう言った。

「貴方に、と頼まれた。」

「誰からの手紙か。」

「故人から。」

 それを聞いて一瞬戸惑ったが、少女Aは受け取り、差出人の名前を確認した。予想通り、少女Bからの封筒であった。

 少女Aは少女Dに視線を戻し、言った。

「中身を見ても。」

「私には貴方を拒絶する権限が与えられていない。故人の遺志を優先して欲しい。」

 少女Aは少女Dの奇妙な言い方に戸惑いながらも再び首肯を返し、指で封筒の上端を千切って中の黒い書状を取り出し、広げ、ピンク色の文字を読み始めた。

『Aちゃん。お久しぶりです。元気ですか。私は死にます。今回この手紙を書かせて頂いたのはもう限界だからです。覚えていますか。Aちゃんと私とCちゃんの三人で一緒だった時を。私は後悔しています。あの時Cちゃんと一緒にあなたを捨てていればよかった。幼稚園の頃です。あなたがギターを選んでCちゃんが怒って日本を出ていきましたよね。英語ができない私には無理でした。でもこの時あなたを切り捨てていればよかったんです。あなたを私の中から蹴り出していればそれでよかったんです。そうしなかったから。私があなたを甘やかしてしまったから。私は死ぬ事になりました。』

 わからない。Bちゃんは何を言いたいんだ。

 読み進めなければいけない。だが読みたくない。明らかにこの文面はこちらを責めている流れだ。

 だが――。

 紙面から目を離して顔を上げたくとも少女Dがこちらをじっと見つめている為目を合わせる事になってしまう。この手紙を持ってきたという事は恐らく少女Bと仲が良かった人物だと思われる。こちらを見つめているのは。いや。睨んでいるのは少女Bがこちらが原因で死んだと確信しているからなのか。

 逃げ場は無い。

 大きく深呼吸した後、意を決して少女Aは少女Bからの手紙を読み進めた。

『単刀直入に言います。どうして私じゃなくてギターを選んだんですか。』

 顔を背けた。いきなり何を言い出すんだこの幼馴染は。どうにかして心も背けたい。だが、少女Dはじっとこちらを睨んでいる。逃げ場は無いのだ。本当に少女Bがこちらが原因で自殺したというのであればその責任から逃げるのは正しくない。立ち向かわなければいけないのだ。

 歯を食い縛る。自分の知らないBの姿が恐らくこの手紙の中にある。それを自分は見なければいけない。直視する義務がある。

 そう自分に言い聞かせて、少女Aは再び読み始めた。

『ギターを選んだ時のAちゃんの顔を今も昨日の様に思い出せます。私達の前に小さな体には不似合いな程大きいギターを持ってきてくれましたね。それを見たCちゃんは怒り出してAちゃんを罵倒し始めました。私はCちゃんが怒って日本を出ていってしまった時はAちゃんを捨てたCちゃんが嫌いになりました。でも間違っていたのは私だったんです。Cちゃんは間違っていませんでした。小学校に上がってあなたはどんどんギターの腕を磨いていきました。一方私は何もしませんでした。だってその時のあなたはとても輝いていたからです。自慢の幼馴染でした。上手になったギターの腕をいつも私の前で披露してくれました。あなたの口から出てくる音楽用語は何一つわかりませんでしたが、それでもあなたが私を見てくれていたから楽しかったんです。でもあなたは変わりました。小学校四年生位でしょうか。あなたは私以外の子達を集めてギターを演奏するようになりました。私達はいつも三人で一緒だったはずなのに、あなたの隣には知らない子達が集まるようになりました。あの子達は一体どこから来たのでしょうか。そしてあなたはなぜあの子達相手にギターを演奏するようになったのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。あなたの隣にいつも居たのは私だったはずです。Cちゃんと違ってあなたを見捨てなかったのにどうしてあなたは私だけを見続けてくれなかったのですか。私はあなたが理解できなくなりました。あなたを信じてついてきた私に対してあまりにもひどい仕打ちだったのです。私はあなたを信じる事が殆どできなくなり、中学はお母さんに無理を頼んで別の中学に通わせてもらいました。学校に通っている間だけはあなたを目に入れずに済みましたが、それでも帰宅する時にほぼ同時刻に帰ってくるあなたを見る度に私は心が痛みました。あなたは私を見ていなかったのに私を視界に入れる度に声をかけてくれましたね。あなたからの声なんて必要ありませんでした。私にはただあなたが隣にいてくれればそれで良かったんです。あなたが動画サイトに投稿し始めた時には私は一番最初に登録したかった。でも他の十数人が既に登録していました。一体誰なんですかあの人達は。どうして私の幼馴染に私の知らない人達が群がっているんですか。私はあなたを何度も忘れようとしました。そのために飾らないありのままの自分で演奏するあなたとは逆向きに走る為におしゃれを勉強しました。ゴシックロリータという普通の人は着ないであろう服を着るとあっという間に登録者数が膨れ上がりました。可視化された数であなたを引き離してどこか遠い所に逃げた気分になりたかったのです。でも無理でした。気がつけばあなたが投稿した動画達を何回も視聴していました。もう一度質問します。どうして私じゃなくてギターを選んだんですか。私にはもう耐えられません。あなたの隣に見知らぬ人達が群がる事も、あなたの隣に私が居ない事も、そしてあなたが私を見てくれない事も。どんなに沢山の登録者を手に入れてもどんなに沢山の高評価をもらっても、私に残された唯一の幼馴染であるあなたが隣にいてくれなければ何の意味もありません。だからもう死にます。さようなら。』

 読み終えた。読み終えてしまった。凄まじいまでに思考を奪われ、意識が朦朧とし始め、それでも脚に力を込めて少女Aは耐えた。そして誰に言い訳するでもなく、こう呟いた。

「私のせい……なのか。」

 普通ではあまりにも束縛が強過ぎる精神異常者だとばっさり切り捨てるべき怪文書は、しかしBの唯一の幼馴染になってしまったAにとっては無視出来るものではなかった。思い当たる節が有りすぎる。

 自分が今どんな顔をしているかも想像できない程に思考を奪われた少女Aの意識を少女Dの言葉が現実に引き戻す。

「やっぱりあなたのせいか。」

 やっぱり。かろうじて聞き取れたその言葉の意味を少女Aは脳内で咀嚼する。

「御覧になられたのか。」

「忘れたのか。あなたがこの封筒を開いた。」

 少女Dの言葉に少女Aは思い出す。そうだった。封筒の上端を破ったのは自分だった。

 で、あるならば。

 少女Aの思考が推論の段階に入った直後に少女Dが答え合わせを開始した。

「私はBの親友だ、と言いたいがそう思っていたのは私だけだったようだな。私を置いて先に逝ったのだからBにとって私は取るに足らない塵芥だったという事なのだろうな。くだらない親友ごっこに本気になっていた自分が馬鹿みたいだ。」

 Bちゃんはそんな奴じゃない。一体Bちゃんの何を知っているというのだ。

 思わず心の中で呟いた少女Aは紙面から目を離し顔を上げた。視界に入ったのは潤んだ目でこちらを睨みつけ、小さく震えている少女Dの顔だった。

 言葉を、失った。

 少女Dは何回か口を開いて閉じる動作を繰り返した後大きく息を吸った後に叫ぼうとしたのだろう、大きく口を開いた。しかし周囲に気を遣ったのか、口を小さくしてかろうじて聞こえる程度の声量で震えながら寂しく言った。

「どうして私はあなたになれなかった。」

 その直後、少女Dは少女Aに背を向けて走り去った。

 思考も行動も自分自身も、何もかも奪われた少女Aはその場に立ち尽くすしかなかった。

 だが状況は彼女を待ってくれない。

 突如として視界に入ってきた見知らぬ服装に身を包んだ見知ったその少女は脈絡もなくこう言った。

「君を迎えに来た。」


 少女Aが所属するガールズバンドの○○○○は少女Aの体調不良による公演中止を受け入れた。その気遣いにいつもなら申し訳無さで苦しむ少女Aだったがそんな事は考えられなかった。

 唯一自分の許に残ってくれていたと思っていた幼馴染が本当は既に遠くに居て昨日自殺した。

 そしてはるか昔に自分の許を去ったはずのもう一人の幼馴染が戻ってきた。

 何もかもを投げ出したい程に頭の中の思考がぐちゃぐちゃになってしまっている。だというのに目の前の旧友はまるで他人であるかのような口調で話を続ける。

「○○○○のギター担当、Aだね。君の才能を見込んで頼みがある。」

 その少女、Cは隣町のファミリーレストランで向かい側に座っている少女Aにタブレットを差し出した。画面に映っていたのはいつも○○○○がライブを開催しているクラブハウス。時刻は現在のそれであり中継されているようだった。

 そしてステージに上がっているのは見知らぬ四人組の少女達。全員耳にSFとかで見られるアンテナがついた円盤状の物体を装着している。それ以上に目をひくのがそれぞれの眼球だ。複雑な幾何学模様を描いており、特殊なカラーコンタクトを採用しているのか、と少女Aは思ったのだが少女Cが解説した。

「眼球が気になるのか。人間でない事を表現する為に取り付けた物で別に意味は無いよ。各種センサーで動くロボットに過ぎないからね。眼球はほぼほぼフェイクだ。」

 ロボット。

 聞き覚えがあるが場違いなその単語に少女Aは顔を上げた。そして少女Cは笑顔をつくってこう言った。

「今ここに宣戦布告する。私達は2026年までに全ての人間の音楽家達を廃業に追い込む。」

 その直後、画面の中のロボット達が音楽を奏でた。反射的にその曲名を少女Aは心の中で言い当てた。

 Rocket 88。

 最初のロックンロールであると主張されている曲だ。それを画面の中のロボット達は寸分の狂いも無く演奏していく。

「君達人間の音楽家はもう必要無い。だが音楽に通じているという事は優秀な脳構造をしているという事だ。だから君は私の……いや、君達は私達の仲間になって欲……仲間になる資格がある。だから私達と一緒に来てくれないか。」

 わからない。久しぶりに会いに来たCちゃんが一体何を言っているのか何もわからない。

 少女Cは胸元に指を当てて軽く深呼吸した後に再び喋りだした。

「私達人間は今まで乱雑に生きていた。もうそれも限界だよ。度重なる環境破壊でこの地球は既にぼろぼろだ。だというのに愚民達は耳を傾けようとせず何の努力も無しに支配者達に今まで通りの生活を要求する。はっきり言おう。資本主義も民主主義も失敗だった。これからは優秀な人間達だけが義務を果たしその報酬として現代的生活を享受すべきなんだ。」

 いきなり環境問題がどうのこうのとか資本主義とか民主主義とか言われた。逃げ出したい。そんな高等なお題目を考えている余裕なんてない。昨日幼馴染が、Bちゃんが死んだのに、なんでそんな事言うのCちゃん。

 少女Cは一瞬少女Aから目を背けたがすぐに視線を戻して少女Aに言った。

「さっきも言ったけど私達人間は乱雑過ぎたんだ。本来ならば生存競争が起こって適した個体だけが生き残り種族の最適化が行われるはずだった。それを平等だとか人権だとか何の役にも立たない肥大化した妄想で取り除いたから今の地球の惨状がある。私達は再出発すべきなんだよ。君達音楽家は優秀な脳を有している。だから君達の遺伝子は次の人類という新種族を作る為に必要なんだ。」

 少女Cはタブレットを回収し席を立ち、そして一枚の紙を差し出した。

「会計は私が済ませておくよ。もし私を信よ……私の言葉を信用してくれるならそこに書かれてある電話番号に一報を入れてくれ。」

 そう言って少女Cは立ち去った。

 一人残された少女Aは店員が注意するまで卓上の紙をじっと見つめるしかなかった。


 CちゃんはCちゃんじゃなかった。

 少女Aはそう結論付けた。ぐちゃぐちゃの心のままでは何も出来ないから店を出る為に無理矢理結論付けたのだ。

 気付いてないと思ったのかな口調変えてたけど絶対Cちゃんだよねあの頃のままだったよなんで私を置いていったの私がギター選んでなかったらそばに居てくれたの私が変わる訳じゃなかったのに私がギターを選んだだけで私を捨てたのそうじゃないよね私が悪いんだよね私がCちゃんを見ていなかったからCちゃんは怒って出ていったんだよねそうなんだよね。

 ひたすらあてもなく夜の街を少女Aは歩き続けた訳ではない。身体のあては無くとも心のあてはあった。ひたすらに自分を責め続ける。それが彼女の心を人生の終着駅までに運ぶ燃料だった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」

 ひたすら居なくなった二人の幼馴染に対して謝罪し続けながら、それでも思考を放棄できずに少女Aは歩き続けた。

 あの少女、Dという人物は『私には貴方を拒絶する権限が与えられていない。』と言っていた。与えて欲しかったんだろうな、Bちゃんから。『好きにしていいよ。』って言って欲しかっただろうな。Bちゃんの一番になりたかったんだろうな。だったら何故自分はその座を退かなかった。『音楽に専念するからもう会わないで。』と言えば良かったのだろうか。何も正解がわからない。どうすれば良かった。

 どうしてこうなった。自分はかけがえのある楽器の為にかけがえのない二人を失ったのか。そもそも自分は何をしたくて音楽の道に進んだのだ。誰かの為にではなく自分がなんとなく格好が良いから、という理由で選んだはずだ。その時に二人に訊けば良かったのか。『私に何をして欲しいのか。』訊いたはずだよあの人に。何も選べなかった私に『選ぶのは君だ。』とあの人は言ってくれたじゃないか。だから自分で選んだのに、なんでこんな事になる。あの人のせいだ。いや違う。私のせいだ。

 自分で選ぶという事は責任を自分で負うという事。

 少女Aは何もかも投げ捨てたくなった。何も知らなかったあの頃に戻りたい。自分からは何一つ選ばず周囲に流されていたあの頃に。

 いや既にそうだったはずだ。バンドに入ってからは流されるようにライブを延々と続けていた。思えば構成員達との会話はその場の即興ばかりできちんと論理的な返答をした事が無かった。つまり自分にとってあそこは居場所ではなかったのだ。

 なのに自我を持つ事を放棄し幼馴染の動画を再生して高評価ボタンを押すだけで自分という者を演じていた気分になっていた。

 これは罰だ。自分はとっくに抜け殻だったのにその事を自覚しないで期待させ続けた罰だ。自分には何も残っていないからもうどうにもならないからだからさっさと捨ててくれと言っていれば良かったのだ。失望されれば良かったんだ。もうどうにもならないけど。

 消えちゃえ。

 その四文字が脳裏に浮かんだ瞬間、少女Aの身体は屋上の床を離れ、空中へと放り出された。彼女が手に持っていた少女Bの遺書は風に流され彼女を永遠に置き去りにした。


 2023年3月20日。

 少女Aが死んだ事を少女Cは知った。昨夜の事だったらしい。

「選んでくれなかったか。」

 少女Cは心の底から脱力して呟いた。

 そうだろうな、と気づいてはいたのだ。そうだったんだ、と気付いて欲しかった。

 自分の何が悪かったのは極めて単純明快だ。理論武装した事だろう。理論は必要だ。相手を説得するのに説得力を放り投げるのは馬鹿だけだ。武装は必要無かった。

 相手が求める物を提示し、自分も要求を伝え、互いに妥協点を探る。それが正しい交渉の手順という物だろう。だが自分はそうしなかった。出来なかった。

 だって自分はこの十年間必死になって頑張った。何も無い小娘が必死に勉強して下げたくもない頭を下げて利用する為だけに近付いてきた大人達を説き伏せ予算を獲得しここまで来たのだ。それを捨てる事なんて出来なかった。

 少女Aも同じだったはずだ。十年間を音楽に捧げ、天才少女ギタリストとまで言われるようになった。長年続けた半ば自己と同一化した生き様を捨てろなんて言えない。音楽の価値は少女Cには理解できなかった。だからあの時ギターを少女Aが選んだ時に激高した。

『そんなくだらない物に執心するなんて見損なったよAちゃん。』

 言わなきゃ良かった。相手に捨てさせる事が出来ないならば捨てれば良かったのだ、自分を。

 だけどそうしなかった。最善だと思ったのだ。これ以外に手は無いと思った。自分の知る限りの情報を叩きつけて少女Aの築き上げた物を無価値だと思い知らせる必要があり、その後で少女A自身の価値を認める事で説得しようとした。最初の攻撃を徹底する事で徹底しなければならない程に少女Aにはそれだけの価値があるのだという事を示したかった。だが伝わらなかった。攻撃を攻撃としか見做してくれなかった。あの子は私の理解者になってくれなかった。

 情に訴える事は絶対に出来なかった。途中『自分達』ではなく『自分』を選んでくれるように口走りたくなったが、それでもあくまで公的な理由から誘いに来たのだという建前を通さなければいけなかった。納得して欲しかった。認めて欲しかった。この十年間の苦悩を。必死に頭を下げ続け、努力し続け、そして手に入れた結果を。価値ある物だと認めてほしかったのだ。感情ではなく理屈で。緻密に築き上げられた自分の成果を他の誰でもないただ一人の幼馴染に認めてほしかったのだ。

 だがそんな事は最早どうでもいい。自分が取るべきだった最良の手段はひたすら自分を否定して頭を下げて一緒に居てもらう許しを請う事だったのだ。捨てればよかっただろう。当初の目的はあの子を音楽から取り戻す事だったんだから。音楽なんて捨ててくれ。私も技術を捨てる。だから二人で。と言えればそれで良かったはずだ。

 言えなかった。

 もうどうにもならない。あの永遠の輝きを放つ唯一無二の少女は永遠に失われてしまった。自分のせいだ。

 せめて死ぬのが後一日遅ければ、自分の言葉に耳を傾けてくれたという欺瞞を自分に言い聞かせる事は出来ただろうに。

 自分の手元に残ったのは結局逆らう事の無い機械仕掛けの人間もどきだけか。こいつらに少女AのSNS上の発言等を飲み込ませればそれらしい性格を模倣してくれるだろうがそんな物に価値は無い。たった一つの本物以外は何もかもが紛い物でしかないのだ。

 だからそれを手に入れられなかった自分の人生にも何の価値も無いのだ。

 少女Cは予め用意していおいたカプセル錠剤を自分の人生を終わらせる為に服用した。それ以外の選択肢なんて無かった。


「あのさあ。」

 少女Eは集まった構成員達に告げた。

 ここはガールズバンド○○○○が普段から使っているクラブハウスだ。その窓側にある四角いテーブルを囲む四つの椅子に四人の少女が座っていた。○○○○の残存構成員達。彼女達はこれから構成員ではなくなっていく。

「私達、ここに居る理由、ある?」

 少女Eのその言葉に誰も異を唱えなかった。ただ一人、新参の少女Hを除いては。

「それは流石に薄情が過ぎるという物だよ。」

 他の三人が少女Hに一斉に目を向けた。少女Hはそれに怯む事無く悠然と言い返した。

「Aちゃんの気持ちも考えなよ。」

「死んだらただの物体。気持ちなんて存在しない。」

 即座に冷徹に反論したのは少女Fだ。常に何を考えているのかはわからない無表情ではあるが、色々バンドの為に手配してくれた屋台骨だ。

 少女Hは苦笑しながら釘を刺す。

「ひっどいなーFちゃんがここに居られるのはAちゃんのお陰でしょ。いじめられていたFちゃんを助けてくれたのがAちゃんだったでしょーが。」

「それは心の底から感謝している。しかしあのままいじめられていても死ぬ訳ではないと判断している。その上私は○○○○の為にひたすら従事し続けた。恩は大体返せたし、私はAに死ぬように要求した事は一度も無い。私がこのバンドに残留する理由は無い。」

「ほーらまたそんな理屈っぽい喋り方。やめなよ。そんなんだからAちゃんに嫌われて捨てられて逃げられちゃったんじゃないの。」

「その判断に根拠は無い。そして私が恩があるのはAに対してだけであってこのバンド全体には全く無い。Aがバンドを続けたいと言ったからAの為にバンドを維持し続けていたに過ぎない。」

 少女Hは卓上に乗り出した上体を椅子へと戻して深く座り直した。納得した訳ではなく説得を諦めたのだ。そして今度は少女Gに目を向けた。

「Gちゃんはどう思うのかなー。皆と一緒に居たいって思うよねー?」

「私は。」

 言葉が続かない。だってそうだ。少女Gは普段から少女Aとばかり話していた。構成員達のほとんども大体そうではあるのだが、特に少女Gは他の構成員達の語気が少しでも強いと感じたらすぐに少女Aの後ろに隠れて極力言葉をかわさないようにしていた。

「まあ、そうだろうね。Gちゃんはいつもそう。Aちゃんが居ないと賛成も反対も出来ないんだよね。」

「やめなよ。」

 少女Hの言葉に少女Aと同期の少女Eがたしなめる。だが少女Hは続ける。

「やめないよ。だって皆世話になったでしょ。なのにAちゃんが死んだらもう集まらないなんて酷くない?」

「じゃあ、訊くけどさ。私達、互いの電話番号知ってる?」

 少女Eの言葉に少女Hは黙った。構成員同士の連絡はほとんどが少女Aを通して間接的に行われていた。互いの電話番号は知らない。だって少女Aが居てくれたから。

「でしょ。だったらAちゃんが居なくなったら解散するのが筋ってもんじゃないの。」

「でもでも、それじゃあ寂しいし。」

「寂しさなんて皆Aちゃんを失ったから寂しいんであって、仮にこの中の誰かがAちゃんの代わりに居なくなっても全然寂しくないでしょ。」

 少女Eの追撃に少女Hは何もできない。FもGも顔を伏せる。Eの指摘は当然の物だ。皆にとって価値があったのは少女Aだけ。結節点であるAが居たから皆一緒に居られたのだ。少女Aが『もうバンドやめる。』の一言を口にすれば全員がそれに従っただろう。それ位このバンドに全員が価値を感じていないのだ。

 少女Eは言葉を取り上げられてこちらを睨みつける事しか出来ない少女Hの意図を考える。

 ――新参だからか。

 新参だから、少女Aとの共通の思い出が薄いから。だから、なんとか他の構成員達から少女Aについての情報を絞り出し思い出の薄さを埋めようとしているのだろう。であるならば今のように他の構成員達に喧嘩腰の態度を取るのは下策としか言いようがないのだが。

 嫉妬は醜い、とは言わなかった。嫉妬する気持ちがEの心にもあったからだ。

 結局誰も選ばれなかった。誰か一人が少女Aの一番になれていたら、少女Aが自殺する事は無かったのだろう。だがそうはならなかった。自分達は少女Aにとってただの背景に過ぎなかった。このバンドはただの容れ物でしかなかった。だからもうおしまい。

 内心で結論付けた少女Eは立ち上がり鞄を持ち上げて表面上はそうだと悟らせない平静さを装って強がりを言った。

「もう会う事は無いだろうけど、程々にしときなさいよ。死んだ人間に引きずられるなんて私はまっぴらごめんだから。」

 Eは走って逃げたくなるのを我慢して歩いて立ち去った。

「私も失礼する。」

 そう言い放ってFも立ち去った。

 残ったGをHは見つめ、そして上体を乗り出して卓の天板に手を突いて叫んだ。

「Gちゃんは!」

「ごめんなさい。」

 頭を下げたGは即座に離席し、その場を逃げるように走り去った。後に残されたHは静かに震えていた。


 Aちゃんは私の神様じゃなかった。

 Gはそう結論付けざるを得なかった。だって神様は信者を見捨てないから。

 Gの家はいわゆる新興宗教の家系だった。今思えば最初から狂っていたのだが、途中までは上手くいってたんじゃないのか、とGは思っている。だって狂っている事と無茶苦茶狂っている事、双方比較したら明らかに前者の方がましだから。

 教団が破滅的状況に陥ったのは予言されていた破滅が訪れなかったからだ。詐欺師が自分の術中に嵌ったのか、それとも最初の詐欺師達が既に逃げ出して騙された被害者達しか残っていなかったのか。とにかく教義を信じた信者達による内部抗争が激化し、少女Gの両親は駄目になってしまった。具体的にどう駄目になったのか、という事はGはよく知らない。教団の経営する学校で教義を重点的に教わっていたのも理由の一つだろうな、とGは自己分析した。バンドに加入して同年代かつ他地域の女子というのと初めて触れた。その結果自分の知能とか知識とかいうのが著しく劣っている、という事実に少女Gは直面した。他の構成員達の言葉には自分が理解できない単語が少なくない数含まれていたのに対し、少女Aは少女Gが極めてわかりやすい話し方で話してくれた。楽器の演奏の仕方も手取り足取り熱心に教えてくれた。

 神様だと思った。

 両親が教えてくれた神様は両親がどこにも居なかったと言っていたが、じゃあ何に縋れば良いのか。教団の崩壊によって少女Gの家族は何をどうすればいいのかわからなくなった。なんか両親は精神的に大変な事になったっぽいが少女Gにはよくわからなかった。両親を疑う事自体に慣れていないので多分新しい事をするのだろう、位にしか言語化できず、しかし本能が感じた漠然とした不安が少女Gの心を支配した。

 貯金箱に入っていた小銭をひとつかみポケットに突っ込んで不安から逃れる為に家を出たが、10分も経過せずに路上で泣き叫ぶ事になった。自分が何をどうした所で現実が変わる事は無い、という程度の事位、少女Gの劣った知能でも理解出来たからだ。

 そこに颯爽と現れたのがギターケースを背負った少女Aだった。比較的背が低い少女Gの目線に合わせるように身を屈めて優しく話しかけた。しかし少女Gには何を言っているのかわからなかったので、少女Aはゆっくりそしてわかりやすい簡単な語彙で話しかけ直した。

 生まれて初めて、家族以外の人が自分のわかる言葉で話してくれた。そして家族と異なり非常に落ち着き、そして笑いかけてくれた。

 居るじゃないか、神様。今、ここに。

 少女Aに連れられてクラブハウスで食事をもらった。少女Aは少女Gに色々な事を教えてくれた。楽器の使い方は勿論の事、学習範囲の拡大や、礼儀作法等。

 それでも少女Aが少女G以外の人物と話している時の会話は少女Gには聞き取れなかった。でも良かった。だって自分の神様が目の前に居続けてくれるのだから。神様である少女Aの居るクラブハウスは少女Gにとって神殿に思えた。

 ある程度自分でも習熟が進んだな、と少女Gが自覚を持ち始めた所で少女Aは少女Gにバンドへの加入を提案した。断る理由はどこにもなかった。大勢の人達の前で自分の神様と一緒に演奏出来る。それは少女Gにとってとても充実した生活だった。

 それからしばらくして少女Hが現れた。自分と同じ様に少女Aが拾ってきたのだろう、と少女Gは思った。だがそれにしては賢かった。明らかに自分よりは賢い。そこで少女Gは気付いた。ああ、そうか。自分は他の普通の人達より劣っていたんだ。

 このクラブハウスという場所は少女Aという神様が座する神殿等ではなくただの普通の人間が娯楽の為に集う場所だという事を今度こそ完全に理解したのだ。少女Aと会話していたのは神に傅く事を許された社会の上位層等ではなく普通の人間。その会話を理解できなかったのは自分が劣っていたから。

 それでも、少女Aには恩義を感じていたし、そういう相手を他にどう呼ぶのか知らなかったから少女Gの中で少女Aは神様であり続けた。

 だが少女Aは突然自殺した。

 理由は不明。ただ一つ言える事は『神様は死なないんだよ。』と幼少の自分に両親が繰り返し言っていた言葉に反していたので、少女Gの中では名実共に少女Aは神様ではなくなった。

 何故こうなったのか。

 他の人達との交流も原因の一つだったのだろうが、自分が思い当たる事なんて自分が悪いという自責の念位しか無い。

 だってそうだ。明らかに自分は皆の足を引っ張っていた。明らかに低い知能に明らかに低い技術。そんな奴が天才ギタリストが率いるバンドに混じっていたら、さぞかし邪魔だっただろう。その自覚はあったはずだ。だから必死になって少女Aの手伝いをした。食事の時は真っ先に少女Aの所へ料理を持って行ったし、少しでも疲れているようだったら代わりにギターケースを背負った。

 それが駄目だったんだろうな。

 教団が崩壊した理由は誰もが神様を信じていた事。頭の良い詐欺師なら既に逃げ出していただろうが信じる者達は信じていたが故に逃げ遅れたどころかそもそも逃げる必要性を理解できていなかった。

 自分もそうだった。少女Aという一人の人間を神様だと思い込み、信じ、その為に尽くした。だから崩壊する事に気付いていなかった。どんなに飾った所で少女は所詮少女であり神様ではない。にもかかわらずに神格化し一人の人間として扱わなければどうなるか。決まっている。重責に耐えきれず潰れてしまう。

 必死になって少女Aの為に尽くした。それは決して少女Gだけではない。他の構成員達も少女Aの為に常に粉骨砕身だった。

 つらかったんだろうな。皆の期待に答えるのが。

 幼い頃、宗教が理解できずに何度も両親に叱られた事を少女Gは思い出す。望み通りの子供に育たないと罰が与えられる。そういう環境で育ってきた少女Gにとって、周囲の環境が毒になるのだという事はわかりきっていた。そのはずだったのに。

「私達が殺したんだ。私達の神様を。」

 そう呟きながら少女Gは少女Aが落下したアスファルトの路面をじっと見つめた。既に死体は撤去されており大多数の人間にとっての日常は戻っていた。こうやって価値は無くなっていく。忘れされられてしまう。神も人も。

「ごめんなさい。」

 そう言って少女Gは立ち去った。

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スーサイドカスケード 中野ギュメ @nakanogyume

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