二人目 弾ける魔女

 ――打ち上げちゃおうよ。みんなで、どーんとさ!


 そう言って大きく両手を広げてみせた彼女は、なんだか子どもみたいで。私も、周りの友人たちも、おかしそうに笑っていた。


       *


 サワコに出会ったのは、私が大学に入学してすぐのことだ。同じ学科で、必修科目の席が隣同士だった。

 離れた県から出てきた私には知り合いがいない。そしてそれは、彼女も同じらしかった。

 私たちはすぐに仲良くなった。というより、私が仲良くなりたくてたくさん話しかけた。意外にもサワコはとても気さくな女の子で、そうでなければ私はただの鬱陶しい人になるだけだったから、本当に良かったと思う。

「……」

 隣に目を向けると、サワコは今日も凛とした表情で前方のホワイトボードを見つめている。そしてその横顔こそが、私が彼女とお近づきになりたいと思った要因だ。

「なぁに?」

 私の視線に気づいたのか、こちらを向くこともなく訊ねてくるサワコ。まさか見惚れていたなんて言えるわけもなく、何でもないよ、と首を振った。

 するとそれ以上追及することもなく、というより私の答えに反応することもなく、彼女はノートにペンを走らせ続ける。

 しかし私は、その瞳が先程よりも柔らかくなっていることに気づいた。伊達に三か月間も眺めていない。……こんなことを言えば、彼女に無視されることは決まっているけれど。

 話すようになってわかったことだが、サワコはとても自由だ。

 それは人に迷惑を掛けるような類のものではなくて、自分の自由さを他人に押し付けるようなものでもなくて。

 今まで私は、自由人というのはとっつきにくいものだと思っていた。自由である自分に酔いしれたり、他人に見せつけるように振る舞ってみたり、はたまた、それを隠そうとしてみたり。彼女はそのどれでもない。

 あくまで、自然に。

 サワコの自由さは、いつだってその場に溶け込んでいる。彼女が都合の悪いことに耳を貸さないことだって、まるで、シャーペンで書き間違えた部分を消しゴムで消すことのように、当たり前に思えるのだ。

 きっと昔から、誰にも媚びることなく、そして誰かに遠慮させることもなく、自由に生きてきたのだろう。


 そんな魅力を持った彼女に、友人が私一人だけ、ということはあるまい。

 私たちは基本的に、同じ学科の、サークルに入っていない男女五人で行動している。サワコ自身は、やはりここでも自由で、時折ふらっとどこかへ行っては、誰か知らない人と話していることもあるけれど。……講義以外での彼女については、グループの誰も、よく知らないのではないだろうか。

 少なくとも私は、彼女のバイト先が海辺のカフェであり、その近くのアパートに住んでいるということしか知らない。講義中であれば、サワコの微妙な表情の違いにも気づけるのに。何だか悔しいけれど、それが事実なのだ。

 来週からのテスト期間が終われば、大学は夏休み期間に入る。最近はその話題で持ち切りだ。モトヤとハルキは、男二人でジム通いするらしい。

 それを聞いたもう一人の女の子であるミヤコが、「この五人でもどこかへ遊びに行こう」と言い出した。みんながそれに賛同する。私はスマホで、この辺りに手軽な遊び場がないか検索した。

「やっぱ海だし、マリンスポーツ的なのが多いね。でもモトヤたち運動ばっかになっちゃうかな?」

「いや、その夏のためだから良いよ。なぁ」

「うん」

 モトヤたちはそう肯定してくれたが、私とミヤコは顔を見合わせた。

「え、夏のため? 身体づくりってこと?」

 そう聞くと、彼らは「うん、まぁ……」と恥ずかしそうに視線を泳がせる。ミヤコが

「あはは、遅くない? 間に合うの?」

と笑うと、

「だ、だから夏の終わりくらいにしてくれよ」

なんて懇願してくるモトヤ。人差し指でそのお腹をつついてみると、うん、まぁ、確かに……ちょっと頑張った方が良い、かな? って感じだ。「ちょ、やめろっ!」と睨んでくる彼に、ふふんと笑い返す。

 これなら、もう少しからかっても良いだろう。

「まぁ? 私たちは? 来週からでも水着姿になれるんだけど?」

「うんうん。しょうがないから、モトヤとハルキに合わせてあげるね」

 ミヤコも乗ってくる。私とミヤコは、痩せ型だ。私が高身長のヒョロヒョロ系で、ミヤコは小柄で全体的にどのパーツも小さい。わかりきっていることだから、みんなの視線はサワコの方へ向かう。

「……」

 普通体型のサワコは、運動をしているとは思えないような白い肌なのに、膝丈のスカートから覗く足も、タイトなTシャツによって見える上半身のラインも、綺麗に引き締まっている。特段スタイルが良いというわけではないが、この中でいちばん健康的に水着を着こなせるのは、間違いなく彼女であろう。

 はぁ、とハルキが諦めの溜め息をつく。

「じゃあさ、前半に何か別のことして、後半に、そのマリンスポーツ? やろうよ」

「良いね。何も一回に絞る必要ないもんね。うーん……あっ、これは? お祭だって」

「祭っ!?」

 今までぼんやりと話を聞いていたサワコが、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。その拍子に倒れそうになった椅子を、見事な反射反応でがしっと掴んだ。ひゃあぁ、と漏らした彼女の声と、手の動きが全く合っていない。

「あっぶなぁ! で、何、祭? 海で?」

 ついでに物凄い勢いで迫ってくる。ミヤコが若干引いていることには気づいていないようだ。

「そ、そう、海で。……再来週の土曜日だね」

「よし! 行こう!」

 慌てて予定を確認する。……良かった、空いてる。しかし隣では「うわっ」と声があがった。

「シフト入ってるわ……店長に替えてもらえるか電話してくる」

 すぐに立ち上がり、スマホを耳にあてるモトヤ。彼の決断はいつも早い。この調子ならすぐに決まるだろうから、話を進めていても問題はないだろう。

「サワコ、祭好きなの?」

「祭が好きっていうか、私、地元の木だらけの祭しか経験ないから」

「木だらけって」

 彼女が言いたいのはきっと、山とか森での祭のことだろう。そんなありふれた祭を、また違った妙な現実感で言い表せるサワコは、やっぱり不思議だ。

 そんな風に話していると、モトヤはすぐに戻ってきた。オーケーマークを作った手を振っているから、やはり無事に替わってもらえたようだ。


       *


 祭の当日、私のアパートにはサワコとミヤコが来ていた。何を隠そう、私は浴衣の着付けができるのだ。

 先週テストが終わった日、私たちは電車で三駅のところにある商業施設へ行って、それぞれ浴衣を買った。みんなバイトしかしていないから、お金はそれなりにあるのだ。サワコは水着も買っていた。

 浴衣は、私が臙脂色にトンボが描かれているもの、ミヤコは白地に桃色の花柄が可愛らしいもの、サワコは橙色に金魚が描かれているものだ。

 三人でお揃いの帯留めも選んだ。シンプルな銀色の帯留めだが、中央のとんぼ玉がすごく綺麗。それに、実際に着付けていくと、それぞれの印象は違うのに、三人の雰囲気はちゃんと合っている。洗面所の鏡の前で並んだ私たちは、満足げに頷き合った。


「おぉ来た来た! 可愛いじゃん」

「うん、似合ってる」

 待ち合わせ場所に向かえば、先に着いていたモトヤとハルキがそう褒めてくれる。ミヤコが嬉しそうに、その場でくるりと回った。

「着付けてもらったんだよ」

 こちらを見て得意げにしているミヤコに、気分が上がってくる。私はサワコの手をとって、祭会場へと足を進めた。

「わぁ!」

 海沿いの道に出ると、日暮れ前の、湿気を含んだ熱い風が吹き付けてくる。いつもは不快に感じるそのべたつく風も、今日は心地よく感じられた。浴衣を着ているからだろうか。

 道の砂浜側に沿って、たくさんの屋台が並んでいるのが見える。

 思わず早足――といっても浴衣でできる範囲だが――になって、私たちは砂浜の方へ近づいた。

 射的、紐引き、ヨーヨーすくい……。

 食べ物だって揃っている。大判焼きやりんご飴、海の町らしく、海鮮の串焼きを出している店も多い。

 私たちは思い思いに買って、食べ歩きを楽しんだ。


「……あれ、船かなぁ?」

 ずっと海の方を見ていたサワコが、ふいにそう言った。わたあめを持った手で指された方向を見ると、確かに小舟が海に浮かんでいるのが見える。

 旗のようなものがいくつもはためいていて、人だかりができていた。

「祭のかもね」

「行ってみようか」

 ハルキの予想通り、祭の本来のメインイベントだったらしい。この辺りの漁師が集まって、安全と豊漁を願うものなのだと、近くにいたおばさんが教えてくれた。

 その話をいちばん真剣に聞いていたのはサワコだ。

 やっぱり祭が好きなんじゃん、と思いながら、私は浜辺に目をやる。

 私たちと同じくらいの年齢のグループや、カップルがたくさんいた。彼らの多くは、手持ち花火をしているようだ。

「……そういえば、花火は打ち上がらないんだね」

 私の地元の祭と言えば、花火があるのが普通だった。当然今日も見られるだろうと思っていたが、そんな話はどこにもない。

 海で見る花火を楽しみにしていたことを、今思い出してしまった。

「うーん、ないみたいだね」

 またスマホで調べてくれていたミヤコが残念そうにそう言った。私もそれを聞いて、がっくりと肩を落とす。

「……せっかくだし、手持ち花火でもする? 結構やってるみたい。売ってる屋台があったからかな」

 同じように周囲を見ていたハルキがそう提案してくれた。少しだけ残念に思いながら、仕方ないとそれに頷き、砂浜を出ようと歩きだす。

 と、サワコが立ち止まっていることに気づいた。

 振り向くと、海に向かって棒立ちをしている彼女。日が落ちかけた薄暗い景色の中で、浴衣の金魚が泳いでいるように浮かび上がって見える。

「打ち上げ花火、私も見たかったなぁ……」

 そんな呟き声も、風に乗って泳いでいるようだ。その響きが寂しそうで、私は思わずドキリとした。

 ふわり、と髪を揺らして、サワコはこちらに振り返る。

「ねぇ、打ち上げちゃおうよ。みんなで、どーんとさ!」

 同時に広げられた両腕と、短めの浴衣の袖。

 寂しそうな表情かと思われた彼女のそれは。

「……ふふ、花火みたい」

 ミヤコも私も、みんな笑っている。

 弾けるような笑みを浮かべたサワコの周りで。散りばめられた、火の粉のように。

 それは確実に、私たちの大切な夏の思い出となった。思い出ブックがあったなら、文句無しの表紙行きとなるような、眩しい瞬間。

 私はそれを、確かに掴んだ。そう、思った。

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