第6話

実家に戻ってから私の中で『何か』がプツリと切れました。

そして私は『いい子』ではなく『人形』になりました。笑わない。喋らない。動かない。何も食べようとはしない。ただひたすら部屋に閉じこもりました。

そんな私を見て、両親は初めて「我が子が死んでしまう」と思ったそうです。

学校から連絡を受けてもそこまでないだろうと安易に考えていたのですが、私を見て本当に「危ない」と実感したそうです。このままでは学校からの話の通り「死んでしまう」とやっと分かったと…。


それから両親は姉に私の状況を話し、病院探しをしてもらいました。姉はネットで調べていくつもの病院のリストを作り両親と一緒にどの病院に連れて行くか相談したそうです。

しかし病院と聞くだけで拒否反応を示す私を連れて行くのは至難の業でした。

運良く病院に連れ出しても病院の入り口で過呼吸を起こし失神したり泣き出したりと何件もの病院に連れて行くのを諦めそうになりましたが、私が嫌がっても力ずくに連れて行きました。


記憶のない私の手元には何件もの病院の診察券と検査結果の紙が残されています。どれもみんなたくさんの病名が書かれています。しかもどれもバラバラです。私はたくさんの病気を抱える事になりました。


いくつもの病院に連れて行かれて、結局私は実家に最も近い医院に通院する事になりました。

一番拒否反応が少なかったのがそこだからです。

決して専門の病院ではありませんでした。

そこの先生自体は精神科が専門でしたが、医院は普通の総合医院です。

先生は週一回私に通院させ、ひたすら私と話をしようとしました。何気ない話をしたりして踏み込んだ話をせず様子を見ました。

しかし私はその先生とも何も話しませんでした。ただ私は「大丈夫だ」とアピールしました。通院する必要はない、先生と話す事など無いと繰り返しました。そんな先生とのやり取りをしながら半年くらい続き、先生は今まで病院の先生と同じように自分の手には負えないと思い違う病院を紹介してきました。ただその先生が他の病院の先生と違ったのは私と話してみて「この娘は解離性同一性障害かもしれないので、自分の知っているその障害の専門の先生に任せよう」と思ったところです。


そして先生は私と母を呼び、解離性同一性障害の専門の先生がいる病院に行くよう勧め紹介状をもたせました。


私はまた新しい病院に行く事になるのかと激しく抵抗しましたが、結局母がついて行くという事で紹介状をもって行く事になりました。


それがいまの主治医がいる病院だったのです。

主治医は初めて私を診察した時からすぐ

「あなたは解離性同一性障害です」とハッキリ言い切りました。

解離性同一性障害…。初めて聞く病名です。私も母も何それ?と思いました。

主治医は私達に一冊の小冊子を渡して説明しましたが、二人ともちんぷんかんぷんでした。

今までの病名は何となく理解したのですが、今回ばかりは主治医が言う「解離性同一性障害」が何なのかさっぱり分かりませんでした。


今思えば認めたくなかったんだと思います。自分が本やテレビなどで出でくる「多重人格障害」なんだと。そんなバカな…。


主治医の第一印象は最悪なものとなりました。

インチキ先生だと思いました。こんな空想上の病名を診断した先生は嘘吐きだと思いました。


最悪な第一印象の主治医とこれから長く付き合う事になるとは私は夢にも思っていませんでした。














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