第2話
闘いの前にまず何故そうなったのかという原因を説明しますね。
解離性同一性障害になる原因は多々あるのですが、
一般的に言われるのが「幼少期の虐待」「PTSD」と言われているそうです。
虐待と言っても様々な虐待がありますが、性的虐待や暴力などの虐待等「心が耐えられないから別の人格を作って自分を守ろうとする」防御反応です。
私の場合、虐待とまではいきませんが父親からの精神的抑圧だと思います。現に私は幼少期の記憶が全くと言っていい程ありません。
私の子供の頃は、父親は家族の中で絶対的存在でした。
父の言う事する事が何より一番だったんです。父の顔色を伺いながら生きてきました。
常に『いい子』でいなければならなかった。
その体験が多重人格の基礎を作ったと言えます。
PTSDですが、私が最初に病院に行って診断されたのがPTSDでした。
PTSDになりのちに解離性同一性障害へと繋がった原因は「イジメ」です。
私は高校卒業後、とある看護専門学校に進学しました。その学校は病院で働きながら学校に通い看護師の勉強をする所でした。
その頃の私は助産師になるのが夢だったので、看護師の資格が取れたら助産師学科に進めるその学校を選んだのです。
初めて親元、地元を離れて病院の寮に入り産婦人科の病院で働きながら学校に通うようになりました。
その病院で待っていたのは先輩による壮絶な「イジメ」でした。暴言だけではなく激しい暴力の毎日。
病院の先生達、病院の先生に訴えましたが、暴言暴力はますます酷くなるばかり。
先輩達は私に暴力を振るいながらいつも「死ね」と言っていました。しかも誰にも分からないような場所を選んで殴る蹴るの暴行で私の身体は全身アザだらけでした。
そんな毎日を過ごしていると当たり前ですが病気になりますよね。
まず私は胃潰瘍になりました。誰にも相談出来ない精神的苦痛からです。
それから過呼吸。先輩達の存在を思い出すだけで過呼吸で気を失うようになりました。
でも学校だけが私の唯一の楽しい場所でしたよ。
友達にも会えるしね。
でもやっぱり心が耐えられなかった…。
そのうち私は先輩達の言う「死ね」と言う言葉に反応するようになりました。
ただし「死にたい」ではなく私は『この人達に殺される』と思ったのです。
そう『殺される』と…。
そう思い始めたら、心はどんどん壊れていきました。多分もう限界を超えていたんだと思います。
その時期から自分が自分でない事が増えました。
知らない間に違う場所にいたり、記憶が無くなったり自分で書いた覚えのないメモがあったり…。
様々な不可解な事と同時に過呼吸や失神、高熱など身体も限界を超えていきました。
でも友達には相談できても家族には言えませんでした。何を言われるのか怖かったんです。
でも心も身体も限界で『殺される』と思い、寮の自分の部屋でナイフを片手に一晩中起きて怯える生活をしているのに疲れてついに親に相談しました。
「病院の先輩達がイジメを受けているので、病院を辞めたい」と…。
父親の初めての一言は
「情けない。うちの恥さらしだ」でした。
私はこの時『あぁ、この人も私を殺すんだな…』と絶望しました。
先輩達と同じ人間なんだと。私を殺す側の人間なんだと思いました。
そこからの私の記憶はほとんどありません。
気がついたら泣きながら、姉に全ての事を話していました。ただし何を話したのかは記憶にありませんが…。
それからすぐに私の所に姉がやって来てくれました。
親も姉が説得してくれたらしいのですが、なにせ姉の家に連れて行かれるまでの記憶がないので何が起こったのか私には私には分かりません。
気が付いたら学校を休学して病院を辞めていました。
一つだけ病院の先生が最後に言った言葉だけは覚えています。
「これだから田舎者の箱入り娘はダメなんだよ。大人をあまりバカにするなよ」
です。
その言葉がその病院での最後の記憶です。
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