⑤完
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様」
陽太郎と雪音はキッチンの流し台にいる冬美に自身が使っていた食器を手渡す。夏雄は、まだテーブルに座ったままなので、もしかしたらこのまま晩酌コースかもしれない。
「やっぱり冬美さんの料理は美味しかったです」
「ありがとう。いつでも食べに来ていいからね」
「はい」
「そうそう、陽太郎君ならいつでも歓迎だよ」
「ありがとうございます」
冬美と夏雄の言葉に陽太郎は少し照れている。
「そろそろ、帰ります。今日は本当にありがとうございました」
「さっきも言った通りいつでも気軽に来てくれて構わないからね」
「春子ちゃんにもよろしく」
そんな三人のやり取りを後目に、雪音はドアを開けて、部屋を出て行こうとする。
「あっ、雪音、ちょっと待てよ」
陽太郎の言葉を無視して、雪音は出て行ってしまう。陽太郎は急いで、雪音の後を追う。当然私もその後を追っていく。
雪音の部屋に戻った私達だが、相変わらず雪音は黙ったままで、陽太郎もどうしていいのか判断を決めかねている状況は変わらずだ。
「なあ、雪音、どうしたんだよ?」
「何が?」
「何がって、さっきからお前怒っているだろ」
「別に」
言葉ではそう言うが、明らかに不機嫌なのは私でも判る。
「帰るんでしょ、早く帰ればいいじゃん」
「いや、そうだけど……」
陽太郎も次の言葉が見つからず、どうしていいのか困惑する。嫌な静寂がこの部屋を包む。
「…覚えてないって」
「えっ?」
「だから、私とした約束覚えていないって言った! 私はあの時の事をずっと覚えているのに!」
「約束って……」
どうやら、雪音が言っているのは、さっき夏雄が言っていた指切りをしていた時の事を言っているらしい。なるほど、雪音はあの時の事を覚えていて、逆に陽太郎が覚えていない事に怒っているのか。雪音にとっては、その約束というのはよほど大事なものなのだな。
「私にとっては大切な約束なの、それが、小さい時のでも。だから、覚えてないって言われてショックだった。だって、私はあの時すごく嬉しかった、今でもあの時の気持ちは覚えている」
陽太郎に背を向けていた、雪音は振り返ると、陽太郎の目をまっすぐに見て言う。涙は流していないが、その顔はとても辛そうに、私には映った。
「……」
その顔を見て、陽太郎は何かを言おうとして、言葉を発するのを止める。
「……ごめん。急に、そんな昔の事言われて、覚えていなくてもしょうがないのに、怒鳴ったりして。もう、いいから、忘れて、いいから」
そう言う、雪音の言葉と表情は明らかに相反していた。はあ、もう本当に私の主人達はどうしてこうなのだ。やれやれ、一肌脱ぎますか、いや人肌傷つけますか。
私は陽太路の足元まで行くと、その足の甲に靴下を越しに爪を立てた。
「うっ!」
陽太郎が反射的に声を上げ、その痛みの原因の私を見る。
「グレ、お前」
私に文句を言おうとする陽太郎の目を私はまっすぐに見つめる。陽太郎、本当の事を言わないとまた、同じ事の繰り返しになるぞ、私は目でそう語った。
陽太郎にそれが通じたのかは判らない。しかし、陽太郎は視線を私から外すと、いきなり声を上げた陽太郎に不思議そうな顔をして見ている雪音を見る。
「…てるよ」
「えっ」
「俺だって、覚えてるよ」
「はっ? だって、さっき覚えていないって…」
「本当は覚えてる。でも、さっきはなんていうか、恥ずかしくて」
だろうなとは思っていた。夏雄に言われた時の反応からして、判ってはいた。もし、本当に忘れているのなら、あんな反応にはなるはずはないだろう。
そして、陽太郎の性格からして、きっと恥ずかしがってそれを隠すだろうという事も。
「ふ、ふざけんな! 何が恥ずかしいだ! 別に恥ずかしい事でもないだろうが、それに相手は私の両親だよ、恥ずかしがる必要ないだろ!」
「ば、ばか、お前。あの二人だから余計に言いにくいだろうが!」
「なら、せめて私には覚えている事が判るように言えよ!」
「そんな器用な事出来るか!」
さっきまでの嫌な静寂はどこへやら、いつもの喧しい空間が戻ってきた。だが、やはりこの喧しさが心地いい。それに……。
私は、部屋のドアまで行くと、そのままいつも開けているやり方でドアノブに飛び乗り、ドアを開ける。廊下には、聞き耳を立てている、大きい子どもが二人いた。この二人も私と同じ想いだろう。
「ちょ、ちょっと、二人とも、なにしてるの!」
陽太郎は背を向けているので気が付かないだろうが、雪音はドア側が見えるので、ドアを開けた事によって、夏雄と冬美の姿も見て、驚きの声が上がる。その声で、陽太郎も振り向き、二人の存在を確認して、固まる。
「い、いや、二人がなんだか、険悪な感じになってしまったから」
「そ、そうよ。私達は心配で、ね」
見つかってしまった二人は……私のせいなのだが、しどろもどろになりながら、言い訳をする。そんな、二人とは対照的に雪音はプルプルと体を震わせている。
「もう!」
ドアノブにぶら下がっていた私を、雪音は掴むと、そのまま冬美にバトンタッチして、扉を思い切り閉める。
どうやら、私は締め出されてしまった。後に取り残されたのは、なんともマヌケな二人と一匹だけが廊下に残った。
「まあ、仲直りしたって事でいいのかな」
「いつも通りに戻っていたから、大丈夫じゃないかしら」
「にゃお」
二人は、流石にこれ以上の盗み聞きをする必要はないと判断したのか、その場から離れて一階に下りていく。
「だが、結局二人がした約束ってなんだったんだろう?」
「あら、あなたは判らないの?」
「冬美は判ったの?」
「おままごとをしていた時にする約束なんて、決まっているじゃない」
なるほど、そういう事か。冬美の言葉で私にもなんとなく判った気がする。
「判らん」
だが、夏雄だけは判らないようだ。
「まあ、近い将来、その約束は果たされかもしれないわね」
「それって……」
夏雄の言葉の続きは、言わずもがな。まだまだ、手の掛かる面倒な私の二人の主人だがこれからも見守っていこう、あの二人の関係がどう変わっていくのかにハラハラもしつつも。
「やっぱり、グレちゃん、重くなったわよね。明日から食事考えないと」
き、気のせいだ! 今朝やさっきの私の俊敏私を見ただろう? だから。どうか食事は変わらずに、いやなんだったらいつも以上に豪華な物にしてくれても……。
そんな私の願いもむなしく、翌日からの食事がより健康的な物になったのは言うまでもない。
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