④

 あの後もしばらくの間は、私にとってはなんとも居ずらい雰囲気だったが、そこは付き合いの長い二人だからなのか、段々といつもの調子に戻っていき、最終的には、


「だから、ここのところは…」

「ちょっと、待て。これはどうしてこうなった?」

「ねぇ、ちゃんと人の話聞いてる?」

「聞いてるが」

「なら、判るでしょうが!」

「だから、判んないって!」


 喧しさが帰ってきた。なんだろうか、とても落ち着く。そして、ドアがノックされる。


「あなた達は本当に、仲良しね」


 今度は、雪音の返事を待たずにドアを開けたのは、冬美である。どうやら二人のやり取りが部屋の外にまで聞こえていたのだろう。だから、一応ノックだけはしたといったところだろうか。


「どこをどう見たら仲良く見えるの、お母さん」

「どこをどう見てもよ」


 冬美の言葉に、雪音は不服そうだ。言葉に出してはいないが、陽太郎も雪音と同意見のようだが、私から言わせれば、冬美の言葉に同意見だ。


「もういい。それで、何か用?」

「そろそろ、晩御飯出来るから、呼びに来たのよ」


 言われれば、とても良い匂いがする。


「すみません。何か手伝いとかすれば……」

「いいの、いいの。陽太郎君はお客さんなんだし、それに私にとっては家族みたいなものなんだから、変に気を遣わなくてもいいのよ」

「…ありがとうございます」


 冬美の言葉に陽太郎は、嬉しそうな表情になっているのを、見られまいとしてか、頭を下げる。


「ほら、行こ」


 雪音が陽太郎に声を掛け、開いていた教科書やノートを仕舞い、腰を上げる。陽太郎もそれに続くように腰を上げると、そのままベッドの上に居た、私を持ち上げる。


「お母さん、今日のご飯は?」

「お楽しみよ」


 今日は、陽太路がいるかた、きっといつもの食卓に並ぶ料理にプラスされて豪華になっているのでは、と期待してしまう。とは言っても、私は食べられないのだがな。だが、こういう時には、私の食事も合わせて普段に比べて、豪華になる可能性が高いので、期待大だ。


「グレ、腹が鳴ってるな」


 ふっ、私の腹がその期待に声を上げてしまったな………恥ずかしい!

 リビングに着くと、そこにはすでに先客がダイニングテーブルに座っていた。先客という言葉は正しくはないか。


「お父さん、お帰り。帰ってたんだ、気が付かなかったよ」


 そう、この天白家の大黒柱である、夏雄が朝と同じ席に座っていた。朝と違うのは、スーツ姿ではなく、部屋着に着替えているというところだろうか。


「ただいま。ちょっと前に帰ってきたよ。陽太郎君、久しぶりだね」

「お久しぶりです、夏雄さん」

「冬美から、連絡を貰ってね。これは、早く帰らねばと思って、仕事を全力で終わらせてきたよ」


 夏雄は普段はもう少し遅くなるのだが、今日は本当に頑張ったのだな。


「にゃお」


 私はそんな夏雄に対して、労いの言葉を掛ける。


「お、グレ。もしかして褒めてくれているのか、ありがとう」

「ほらほら、二人とも座って。ご飯にしましょう」


 冬美に促され、雪音と陽太郎はイスを引き座る。テーブルの前には、普段より多種類の料理が並んでいる。普段は、もう少し料理の数が少ないのだが、今日は多い。そして、なにより、量が多い。並んでいる料理も、唐揚げ、コロッケ、ハンバーグ、野菜炒め、普段では考えられない程、カロリー高めな食事が並んでいる。奮発し過ぎでは? ただ、しっかりとサラダもあるので、そこは救いか。


 冬美が人数分によそったご飯と味噌汁をお盆に乗せて、運んでくる。


「ありがとう、お母さん」

「ありがとうございまう」

「気にしないで、いっぱいお替りしてね。緑茶でいいかしか?」

「はい」


 冬美は頷くと、再びキッチンに戻っていき、今度はお茶の入ったカップを持ってくる。それぞれの前に置く。これで、後は食べるだけなのだが、まだ、一番大事な事がまだだ。私の皿にはまだ、何もないのだ。


「さて、じゃあグレちゃんのも用意するわね」


 冬美、頼む。あのサーモンの、トロトロサーモンの缶詰を頼む! 前出してくれたあれを頼む、まだあるのだろう!


 そして、冬美持って来たのは………トロトロサーモンの缶! 感謝する、冬美! 皿に盛られたトロトロサーモンに飛びつこうと思ったが、まだ食べる前にするべきことが残っている。


「じゃあ、食べましょうか」


 冬美も席に着くと、四人とも手を合わせて、「いただきます」「にゃあ」私も言うと、目の前のご馳走に飛びつく。他の四人もテーブルの料理に手を付け始める。


「やっぱり、冬美さんの料理は美味しいですね」

「ありがとう、嬉しいわ」


 陽太郎の言葉に冬美の声を弾ませる。


「……私だって」

「うん? なんか言ったか」

「…別に」


 雪音の呟きは、料理に舌鼓を打つ陽太郎には届いていないかったらしく、聞き返すが雪音はさっきの言葉を言うつもりがないのか、唐揚げに箸を伸ばす。そんな、二人を見て、夏雄と冬美、そして、私は温かい目で見ていた。


「そういえば陽太郎君、雪音から聞いたのだが、秋敏が近い内にこっちに帰ってくるって」

「はい。詳しい日時までは決まっていないんですけど」

「そうか、またあいつと酒を飲みたいな」

「父さんも同じ事を言ってました」

「それは、楽しみだ。あいつが帰ってきたら連絡してくれると助かる」

「判りました」


 夏雄は嬉しそうだ。以前聞いた話によれば、夏雄と秋敏の二人は、学生からの腐れ縁であり、親友同士なのだとか。家が隣同士になったのは本当に偶然だったらしい。そこから、母親同士も意気投合したらしく、家族ぐるみの付き合いが今でも続いている。


「私も春子ちゃんとゆっくり話がしたいし、また天白家と黒地家でどこか行きたいわね」

「そうだな。昔はよくみんなで遠出もしていたからな」


 そう、今でこそ両家でなにかをする機会は減ってしまったが、昔は秋敏もこちらにいたので、よく天白家と黒地家で集まっていた。私もこの家に来たばかりで、不慣れな事が多くて、苦労したのが昨日の事のようだ。


「父さんと母さんが聞いたら、喜んで、計画を立てると思います」

「秋敏さんも春子さんも、力の入れ方が当時から凄かったよね」

「あの二人は、遊びにも手を抜かないから」


 陽太郎の両親は、遊びに関しても本気で準備をして、全力で楽しむ。そう考えると、誰よりも子ども心を持っているのかもしれない。


 そんな感じで食卓は和やかな雰囲気で過ぎていく。ちなみに、私は冬美におかわりをおねだりして、無事におかわりをいただいている。


「あの頃は、こうして食事もみんなで集まっていたわね。あっ、そういえばあの時二人で食べさせあいっことかしていたわよね」


 冬美が爆弾を、といっても主に陽太郎と雪音の二人にしか効果のないものなのだが。案の定二人にはとんでもない効果を発揮した。


「ちょっと、お、お母さん、なに言ってるの!」

「そ、そうですよ、冬美さん!」

「えー、でも本当の話じゃない」

「子どもの頃の話じゃない!」

「僕達からしたら、まだ子どもだけど」

「そうだけど、私たちが、小学生の低学年とかの話でしょうが!」

「そ、そうですよ」

「あら、よく覚えているわね。懐かしいわね、お互いに、好きな物をあーんって」

「うがー!」

「ああー!」


 陽太郎と雪音の羞恥心が爆発した。


「今思うと、あの頃は常に二人とも一緒だったな。よく、私達を真似て、おままごとをしていたな」

「あった、あった、可愛いかったわ」


 夏雄と冬美の二人はどんどん過去の話で盛り上がっていく中、それに比例するかのように陽太郎と雪音は、どんどん盛り下がっていく。


「も、もういいでしょ、昔の話なんだから!」


 耐えきれないとばかりに、雪音が声を上げる。


「ええー、まだ語り足りないのに」

「そういうのは、私たちがいないところでしてよ、せめて」

「ごめんね。あまりにも二人が良い反応をするつもりだから調子にのってしまったわ」

 

 流石にこれ以上はと、思ったのか、冬美はからかうのを止める。若干拗ねた雪音ともう体力がゼロに近い陽太郎は、ようやく終わったとばかりに、揃って緑茶を飲む。


「うーん」

「どうしたの、あなた」

「いや、おままごとで何かあったような気がして」

「何かって?」

「雪音と陽太郎君が二人で指切りげんまんをしていたのを思い出したんだけど、何を約束していたのかなって」


 夏雄の言葉を聞いて、二人は揃って、ゴホゴホとむせる。うん、なんだそれは、私には身に覚えがないぞ。


「な、なんで…」

「そ、そんなこと…」


 咳き込む二人をよそに、夏雄は訊く。


「その様子だと、覚えているみたいだね。何をと訊くのは野暮かな」

「べ、別に…」

「正直よく覚えていないんですよね」


 言い淀む雪音とは対照的に、陽太郎はそう言う。その言葉に雪音が一番反応する。


「覚えていないのかい?」

「えーと、そういう事をしたのは覚えているんですけど、内容までは…」


 夏雄の問いに陽太郎は答える。まあ、聞く限りおそらく私がここに来て間もない頃、もしくは二人と出会う前の話なのかもしれない。そんなに古い出来事なら、覚えていなくてもしょうがないのか。だが、そんな風に考える私とは対照的に、一人だけそうは思っていない人物がいた。


「ねえ、本当に覚えてないの?」

「あ、ああ」

「……そっ」


 急に雪音の様子がおかしくなった。この反応はもしや。夏雄と冬美も気が付いたのか、話題を変える。


「陽太郎君、春子ちゃんは最近忙しそうね。ちゃんと休めているのかしら?」

「え、はい。帰りが遅い日が多いですけど、休める時は休めているので大丈夫だと思います」

「そう、良かった。連絡は定期的にしているけど、直接会う機会がなくて」

「僕も最近、会っていないからそこは心配していたから良かった」


 そんな話をしている中でも、雪音だけが明らかに沈んでいるのが判った。その後も雪音が元気を取り戻す事はなかった。

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