③

 カリカリとペンをノートに走らせる音だけが、今この部屋の中に響いており、二人は、会話をほとんどせずに、真面目に勉強を………、


「だから、公式を使って、解けば答えが出るでしょ!」

「いや、だから、どの公式の事だよ!」

「ちょっと前に、授業でやっていたでしょ! なんで、覚えてないの!」

「寝てたんだよ!」

「威張るな!」


 真面目に勉強をしているのは、間違いないが、決して静かに集中してなんて事に

はならなかった。いや、逆に言えば、いつも通りの二人だからリラックスしているとも言えなくはないか。


 しかし、これが雪音の部屋で良かった。もしも、図書室や喫茶店なんかでこれをやられては、周りに迷惑を掛けるに違いない。


「ほら、これで解けたでしょ」

「おお、なるほど!」


 騒がしくて、大丈夫かと心配になるが、これがこの二人にとっては通常運転なのだろう。無事に問題も解けたようだし。


 勉強を開始してから、一時間ぐらいだろうか。雪音の部屋のドアがコンコンとノックされる。


「はーい」


 雪音が返事をすると、ドアをノックした人物は冬美であった。


「ごめんね。二人とも勉強中に」

「いえ、大丈夫です。ちょうど、一区切りついたところだったので」

「そう、良かった。陽太郎君が久しぶりに来てくれたのに、何も用意してなくてごめんね」

「いえ、そんな、本当に大丈夫ですから」

「もう、この子が、陽太郎君がウチに来るなら来るってちゃんと教えてくれれば…」

「別にいいでしょ。いちいち、お母さんに言う事でもないから」

「そうもいかないわよ。思春期の男女が同じ部屋に二人きりだなんて、気を遣うこっちの身になりなさいよ。今だって、ノックして入るのにどれだけ勇気がいったか」

「変な気遣いは止めてよ!」

「何もありませんから!」


 二人は猛抗議する。それに対して冬美は、ニヤニヤを意地悪そうな表情をしている。ああ、これは…冬美は完全に二人を揶揄っているな。


「えー、そうなの。私としては別に構わないけど」

「構うから!」

「そうですよ! それに、こうしてグレもいますから、そんな事にはなりませんよ」


 おや、では私がいなければ、そういう事が起きても構わないと捉えてもいいのか、陽太郎。私は、ベッドから降りると、部屋を出て行こうとする。


「待て、グレ。違うから、そう意味じゃないから! だから、戻ってこい!」

「そ、そうよ、グレ、戻ってきて!」


 これは、あれか、逆張りすればいいのか。本当は出て行って欲しいという解釈でいいのか? そんな私を冬美が抱きかかえる。


「じゃあ、お邪魔みたいだから、私と一緒に行きましょうか、グレちゃん」

「にゃ」


 そう言って、回れ右をする。そんな、私達に待ったを掛ける二人がいる。


「お母さん、待って。邪魔じゃないから、てか、なんの邪魔なのかも判らないから」

「えっ、勉強のでしょ」

「………」

「なんだと思ったのかしら、この子は」

「うがー!」


 明らかに、揶揄っているな、冬美は。こんなに生き生きしている冬美はそうそう見ない。いや、そうでもないか。結構な頻度で娘を揶揄っている、主に陽太郎との事で。


「あ、あの。冬美さんは何か用があって雪音の部屋に来たのでは?」


 このままでは、収集が付かないと思ったのか、はたまた自分に飛び火すると考えたのか、陽太郎が話題を逸らす。陽太郎の言葉を聞いて、冬美は「そうそう」などと言って、ここに来た本題を話し始まる。


「陽太郎君、今日は春子ちゃん帰り遅いんでしょ?」

「そうですけど……どうして知っているんですか?」

「春子ちゃんにさっき連絡して聞いたの」

「なるほど」

「それで、陽太郎君が良ければ、晩御飯を一緒にどうかなって思って」

「えっ、でも迷惑じゃ…」

「迷惑じゃないから、大丈夫よ。じゃあ、春子ちゃんには私から伝えておくわね」

「は、はい。ご馳走になります」


 終始冬美に圧されまくり、というか確認するまでもなく決定事項のような感じではあったが、こうして天白家の晩餐に陽太郎の参戦が決定した。陽太郎は了承した後、雪音の方を見る。


「なに?」

「別に」


 陽太郎はおそらく、雪音の押しの強さは母親譲りだったのかと納得しているのだろう。


「じゃあ、頑張ってね」


 そう言うと、冬美は私を抱えたまま、部屋の扉を閉めた。


「いい加減、何か進展しないかしら、あの二人」


 しれっと、二人っきりにする事に成功した、冬美はそう呟く。その意見については私も同意見だ。すると、部屋のドアが開く。


「お母さん、グレは置いてって!」

「惜しい」

「何も惜しくないから」


 雪音冬美の腕から私を取り戻すと、そのまま自分の部屋に戻る。


「本当に変な気遣いばっかり、グレもお母さんに加担しなくていいから」


 雪音はベッドの上に私を降ろす。加担も何も、私は気が付いたら連れ出されていたから、不可抗力というやつではないか? だが、降りようと思えば降りることが出来たのは、伏せておくが。


「はあ、変な横やりがあったけど、勉強の続きしようか」

「あ、ああ」


 と先程と同じように勉強をし始めるが、変に二人が意識し始めてしまったのか、妙に口数が少なくなっている。あの喧しさはなりを潜めている。

 はっきり言おう、私にはこの雰囲気は耐えられない、疎外感が本当に凄いのだが! 早くこの空間から逃げ出したい。冬美頼む、私をここから連れ出してくれ!

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