④完
私達は同じように、座っている。先程と違うのは、私達が圧倒されているということぐらいだろうか。
彼女達は今、演奏を終えて裏に戻っていった。隣に居た赤崎さんもそれに合わせるように、扉の向こうに消えていった。後に残されたのは、呆けている一人と一匹だけだった。
いつまでその状態でいたかは覚えていないが、戻ってきた雪音の声によって意識が戻った。
「ちょっと、大丈夫?」
「あ、ああ…」
陽太郎の心ここにあらずという様子に声を掛けるが、陽太郎の反応は未だに覚束ない。かくいう私も同じような状態なので、人の事は言えない。
「もう、しっかりしてよね。ほら、帰るよ」
「えっ? いいのか、他の人は?」
「さっき詩音先輩から軽いアドバイスを貰ったし、私達の反省会はまた後日にするから、とりあえず今日はもう解散ってことになったから。後の二人はもう少し残るらしいし」
「そうなのか…判った」
陽太郎はイスから立ち上がると、カウンター横の扉のドアが開き、赤崎さんが出てくる。
「今日は、お疲れ天白。さっき言った事忘れるなよ」
「はい」
「黒地君もお疲れ」
「い、いえ、俺は何も…あっ飲み物ごちそうさまでした」
「気にしないでくれ。次に来るときは、しっかりとお金は獲るけどね」
そう言うと片目でウィンクをする。なんとも様になっている、猫の私でも一瞬心奪われてしまった。
「ほら、帰るよ。今日はありがとうございました、先輩」
「お、おい。あ、ありがとうございました」
雪音は頭を下げ、陽太郎を引っ張るようにして出口の方に向かう。陽太郎は勢いに戸惑いつつもお礼を言う。そんな、二人を赤崎さんは右手で軽く手を振って、ほほ笑んで私達を見送っていた。そして、私の耳には扉越しに息をひそめて様子を伺っている二人がたてる微かな物音を聞き取っていた。
やれやれのぞき見とはなかなかいい趣味をしているな。きっと、雪音が言っていた反省会とやらは、きっと面白いことになるのではと、勝手に想像してしまう私なのであった。
ライブハウスを出てから特に盛り上がるということもなく、帰宅の途についている。雪音は今のところ、ずっと黙っているし、陽太郎はなんて声を掛けていいのか判らないと言った感じだ。
「ねぇ」
「うん?」
そして、そのなんとも言えない雰囲気は雪音の言葉によって、終わりを告げた。
「なんか、感想とかないわけ?」
「感想って…そりゃ、凄かったよ」
雪音の質問に陽太郎は答える。その答えに、含みはなく、純粋な感想なのだと判る。
「そう、ありがとう」
「ああ。ていうか訊いていいか?」
「…ちょっと待って。あそこで話そうよ」
雪音はそう言うと、ちょうどいいタイミングで公園があり、そこのベンチを指さして言う。雪音は陽太郎の返事を待たずに、公園に入ると、空いているベンチに座り、片方を手でペシペシしている、座れという事だろう。陽太郎は一ついきを吐くと、そのベンチへと向かい、隣に座る。座ったベンチは二人が座っても空きがあるので、陽太郎は私が入ったバッグを雪音とは反対の方に置く。
「それで、訊きたいことって?」
「…なんで今日俺を、グレもだが、あそこに連れて行ったんだ?」
陽太郎は、というか私も疑問に思っていた。今日は練習だと赤崎さんは言っていた。実際にライブハウスにいたのは、先輩である赤崎さんと雪音の友人達だけだった。では、何故雪音は私達を今日あそこに連れて行ったのか。結局赤崎さんは本人から聞けと言って教えてはくれなかった。
問われた雪音は、少し考える素振りを見せる。そして、自分の中で答えが定まったのだろう。陽太郎を見る。
「だって、陽太郎。誘っても来ないでしょ」
「それは、そうだけど…」
「練習なら、お客さんもいないし、陽太郎が気まずくなることもないから。まあ、練習で申し訳ないけど」
「いや、充分気まずかったが…」
私も同じ気持ちだったよ、陽太郎。
「だけど、なんで今回はこんな強引だったんだ?」
「毎回誘っても、頑なに断るからでしょうが」
「それは…ごめん。でも、無理なものは無理だし。でも、最近は誘うことすらなかったのに」
陽太郎にはああいった場所の耐性がない。
仮に本当に仮に行ったとして、楽しむどころの話ではないだろう。雪音もそのことは判っているはずだから、最初の頃は頻繁に誘ってはいたが、最近はそういったこともなかった。しかし、今回はそのことを知った上でのこの強引さ、一体どういうことなのか。
「陽太郎、この前ゲームの大会に出たでしょ?」
「えっ? ああ出たけど……俺、お前に言ったっけ?」
話の矛先が変わったことに自分に変わったことに驚いている。ちなみにその陽太郎がでた大会はオンライン上で行われたものであり、その時の陽太郎は本気だったため、私は彼の膝の上ではなく、ベッドの上で彼を応援していた。
「偶然ネットであんたがいつもやってるゲームの大会が行われているのを知って、調べたら陽太郎のハンドルネームがあったから、見てみた」
「あれか…」
その大会は陽太郎にとっては惜しい結果に終わった大会だ。チーム戦で行われ、陽太郎のチームは一歩及ばず2位という、あの時の陽太郎の悔しそうな表情が今でも覚えている。
「私ゲームしないから、あのゲームのことよく判らなかったけど、ただ見てて凄いってことは判るよ。解説の人とか実況する人、それに見てる人たち、そして、実際にプレイしている人たちの熱が画面越しでも伝わってきた」
「あの大会、レベルの高い人たちが集まってたからな」
「そんな大会で、2位だった」
「滅茶苦茶悔しかったなぁー。チームの人たちとすごい練習したし、もっと上手になりたいよ」
「というか、陽太郎、ゲームのボイスチャットだとあんなにハキハキしてるよね。普段からは考えられないくらい」
確かに、人はハンドルを持つと人格が変わる人間がいるとは聞いた事があるが、陽太郎もゲームをしている時は、普段の大人しい感じはなりを潜め、陽太郎の意思が表に出てくる。ちなみにそんな陽太郎を数多く知っているのは、世界広しといえど私ぐらいだろう。などと、変な優越感に浸る。
「な、なんだよ。馬鹿にしてるのかよ」
揶揄われていると思ったのか陽太郎は、そんな言葉と共に雪音の方を向く。
「違う」
雪音の表情は真剣そのものだった。そんな雪音の表情に陽太郎はたじろぐ。
「違うよ。ただ純粋に凄いと思った」
「お、おお、ありがとう」
まっすぐな褒め言葉に陽太郎は嬉しいのか声が少し上擦る。
「だけど、その事と今回の件がどういう風に関係あるんだ?」
嬉しさから一転、陽太郎は疑問を口にする。
「悔しかったから」
「へっ?」
「悔しかったの!」
最初の言葉は風が吹けば消えてしまいそうな声量だったので陽太郎が聞き返す。雪音はもう一度言うのが恥ずかしさもあったのか、今度の声は風を吹き返すようなそんな声量だった。
「悔しかったって……お前、もしかして…」
陽太郎は雪音の勢いに圧されつつ、何かに気付いた様子だ。
「言いたくなかったなー」
「雪音もゲームの面白さに気付いたのか!」
「だから……はぁ⁉」
どうやら陽太郎の変なところで天然な部分が出てしまったらしい。どう考えてもそうはならんだろうがい。陽太郎は目を輝かせているが、雪音は見当違いの答えが出てびっくりではなく、それを通り越して怒りに変わりそうである。
「そっか、ついにお前も気付いたのか。ゲームの良さに気付くのが遅れたのが悔しいか! そうか、判った、任せろ。俺が良さをもっと教えてやる」
一人でうんうん頷く陽太郎。隣の雪音は肩を震わせている。あーあ、知らないぞ、私は。
雪音は一人勝手に納得している陽太郎の胸倉を掴むと、ガクガクと揺さぶる。
「誰がそんな事言った!」
「い、いや、だ、だって」
「私が言いたかったのは、そういうことじゃない!」
「じゃ、じゃあ、なんだよ」
雪音は陽太郎の胸倉から手を離すと、ああーと唸りながら、頭を抱えている。そして、意を決したように、陽太郎の方に向き直る。
「私が言いたいのは、私だけこんな気持ちになったのが悔しいってこと!」
「こんな気持ちって…」
「だって、大会での陽太郎を見て、凄いって思って、そうしたらなんだか自分でも判らないけど悔しくなって、だから、陽太郎にも私が凄いって思わせたかったの!」
なるほど、普通に誘っても陽太郎は来ないだろう。だからこそ強引に誘ったのか、私も一緒と言えば、陽太郎はきっと断りづらいということも織り込み済みだろう。やれやれ、私はうまく利用されていたみたいだな。まあ、構わないが。
「だ、だけどそれならなんで本番に誘わなかったんだ?」
「他に知らない人がいっぱい居たら陽太郎吐くでしょ」
「お前、俺をなんだと思ってるんだ?」
「ゲームに憑りつかれた引きこもり」
「それは言い過ぎでは」
そんなやり取りをしている二人は、お互いに顔を見合わせると、どちらともなく笑い出す。
「今日のが練習だったと思うけど、俺は今日の雪音を見て、さっきも言ったけど凄いって思ったよ」
「なら、今度はしっかりと本番を見に来てよ。今日以上のものを陽太郎に見せて上げるから」
「……善処します」
「まあ、そこは今後の楽しみにしておきますか。なら、陽太郎も今度大会とか出るなら言ってよ」
「善処します」
「なんでよ! そこは肯定するところでしょ!」
「いや、冷静に考えるとやっぱ恥ずかしい…」
陽太郎と雪音の言い合いは続く。私はそれを子守歌にして、目を閉じる。当分の間はここから動くことはないだろう。それにしても、相も変わらずこの二人の関係は面倒な事この上ない、しかしやはり私にはこの二人の関係はこうでなくてはならない。
私は一つあくびをすると、意識を手放す事にした。
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