③
一体どれくらい歩いたことだろうか。私達は、ある店の前にいる。その店は、所謂……。
「おい、雪音。ここって…」
「さ、中に入ろうか」
雪音は入口の両開き扉のノブの片側に手を掛けると、そのまま開けて中に入る。入口の立て札にはCLOSEDの立て札が掛けられていたはずなのだが、雪音はそんなことはお構いなしに入っていく。陽太郎はそんな雪音の後を恐る恐る付いていく。
「お、おい、雪音、大丈夫なのか。勝手に入って」
「大丈夫、話は事前に通してあるから」
その一言で陽太郎は幾分か安堵したみたいだが、依然顔には不安の色が窺える。という私も正直な話、恐いというのが本音だ。
そんな幽霊屋敷にでも迷い込んだ状態の二人を、置き去りにするかの如く、雪音は歩みを止めることなく、どんどん奥へと進んでいく。
廊下自体は、長い物ではなくすぐに、奥の部屋へと到着した。そして、先程の薄暗さから一変して、奥の部屋は明かりが点いているらしく、部屋の入った瞬間一瞬その眩しさに瞼を閉じてしまった。しかし、その明るさにも慣れ、瞼を開けると、その部屋の全容が見えてくる。
「陽太郎は初めてだよね。ライブハウスに来るのって」
雪音が陽太郎に訊く。陽太郎は当たり前だと言わんばかりに、頷く。そうか、ここがライブハウスというやつか、よく雪音の口から聞くことはあったが、実際に目の当たりにするのは私も初めてだ。
ここがライブハウスのというものか。部屋はなかなかに広く、入口から見て左手奥にはトイレとカウンターらしきものがある。そして、その反対にはこの部屋の主たるものが設置されている、そうステージである。
あのステージで人は演奏する。そして、ステージを見上げる形でお客はその演奏者たちのパフォーマンスに酔いしれるのだろう。ステージにはその客を酔わせる道具でもある楽器が置かれている。陽太郎も、おっかなびっくりという感じだが、興味があるのか部屋の中を見回している。
「おっ、天白、ようやく来たのか」
そんな私達にカウンターの方から声を掛けられる。カウンターの前には少し小さめの丸テーブルとイスが置いてあり、そこに一人の女性が座っていた。
「あっ、先輩! お疲れ様です!」
雪音は、その先輩に挨拶をすると、頭を下げる。
「他の連中は先に来てるぞ」
「判りました、準備します。じゃあ、陽太郎、グレ、少しここで待っててね」
雪音は、そう言うとカウンターの横にある扉を開けると、その中へと消えていく。そして、取り残されるのは、私と陽太郎と謎の女性二人と一匹になったわけだが、そこには気まずさだけが、残った。
「君が、天白が言ってた…えーと」
「あっ、黒地陽太郎って言います」
「ああ、黒地君ね。私は
「よろしくお願いします。それで、こっちがグレです」
「おお、君がグレか。天白から君の事も聞いているよ、よろしく」
「にゃあ」
陽太郎は頭を下げ、私は、軽く挨拶をする。
女性こと赤崎詩音は、ショートカットの黒髪に、白シャツに黒のパンツでシンプルではあるが、逆にそれがとても彼女の雰囲気と合っている。このライブハウスという空間でも浮くことなく、上手に溶け込んでいる。
「あの、さっき雪音があなたのことを先輩って…」
「ああ。あいつは私の部活の後輩でね、私はもう卒業しているから、元後輩ってのが
正しいかな。ここのライブハウスは私の親戚が経営していてね。ここで今度ライブすることになって、後輩たちもどうって誘ったんだよね」
「じゃあ、ここで…」
なるほど、先程話にでた、雪音がライブをする場所がここなのか。
「あれ、でもライブって今日じゃないですよね?なら、なんで雪音は今日ここに来たんですか?」
「天白から何も聞いてない?」
「はい、いきなり連れ出されました」
はい、私もいきなり連れ出されました。
陽太郎の言葉を聞いて、赤崎詩音は人差し指で下唇を軽くトントンと叩き考えこんでいる様子だ。しかし、その思案はすぐに終わった。彼女の顔にはイタズラを思いついたようなそんな悪い顔をしていた。
「なるほど、そういうことか。珍しく必死に頼み込んでくるから、どういう事かと思ったが、なるほどね」
「あ、あの…」
一人で納得している彼女に、陽太郎が声を掛ける。
「ああ、いやこっちの話だから、気にしないで」
「いや、すごい気になるのですが…」
「まあ、本人に確認してみればいいよ。私の口から言うよりかは、その方がいいから」
「はぁ…」
結局躱されてしまったわけだが、これ以上は彼女に訊いても答えはくれることはないだろう。
「じゃあ、これだけ教えてください。これから、何が始まるんですか?」
「うん?まあ、それくらいはいいか。今度のライブで演奏するって話はしたけど、彼女達はここで演奏するのが初めてだから、事前に練習できるなら練習させてもらえないかと、言ってきたから、私は了承したわけ。だから、今から始まるのは彼女たちの練習」
「なるほど。じゃあ、俺はなんでここに連れてこられたんですか?」
「私からはここまで」
話の流れで聞き出せないかと考えた陽太郎の考えを彼女は華麗に躱す。
「もう少ししたら、始まると思うから、まずは彼女達の演奏を聴きなよ」
彼女はそう言うと、イスから立つと、カウンターの方に消えていく。
「せっかく来たんだ、飲み物の一つでも奢ってやろう。何が飲みたい?」
「ありがとうございます。何があるんですか?」
「そうだな。水道水、白湯、天然水、炭酸水、どれがいい?」
「えっ、ここってライブハウスですよね?」
「にゃあ?」
私も思わず鳴き声を上げてしまう。
「いい反応じゃないか、しかもグレ君まで反応してくれるとは、君達いいね」
そう言いながら、爆笑している。口調からどこかしっかりしている人なのかと思っていたが、しっかりしたお茶目な人らしい。
「いやー、面白かったよ」
そう言って、カウンターからはオレンジ色の液体、世間一般的に言うとオレンジジュースが出てきた。ありがとうございますと陽太郎はそのオレンジジュースを受け取る。
「グレ君にはなにがいいのかな?」
「いえ、用意してあるので大丈夫です」
くっ、私だって出掛けで、美味しい物を食べたり飲みたいのに、陽太郎と雪音は常に私の携帯食やら飲み物を常に持ち歩いている。私のことを思ってのことだとは判っている、そこは嬉しいのだが、だがそれはそれこれはこれだ。
「まあ、もう少しすれば始まると思うからゆっくりしてなよ。そこのイスに座って待てなよ」
そう言って、先程まで自分が座っていたイスを指さしながら言う。
「えっ、でも…」
陽太郎は、戸惑いを見せるが、まあまあと言いながら、勧める。
「私も諸々準備があるから、本当に気にしないでいいよ」
カウンターから出ると、彼女も先程雪音が消えていったドアの扉を開けると、中へと消えていった。
そして、後に残された一人と一匹は、見知らぬ場所に置いてけぼりになったのであった。
私達は彼女の言う通りにゆっくりして待つことにした。好奇心から探索するぞーなどというテンションになるようなこともなく、私に至ってはバッグの中であり、陽太郎はそのバッグを大事に膝に抱えているので、選択の余地はない。
そんな風に暇を持て余していると、ステージの袖から雪音と数人の女性が出てきた。あれが先に待たせていたという、友人達だろう。雪音を含めて人数は三人。その一人が元々ステージに置かれていた楽器、ドラムの元へと向かい、設置されているイスに座る。そして、もう一人は客席から見て左手、下手よりにベースも持って準備をしている。雪音は中央のマイクスタンドの前まで行き、高さを調節している、楽器も持っており、それはギターである。
ちなみに、なぜ私がこんなにも詳しいかというと、以前雪音が陽太郎に説明しているのを聞いたことがあったからである。なので、陽太郎もある程度の知識がある。
「待たせたね」
いつの間にか、赤崎さんが私と陽太郎のそばに来て、どこからか持ってきたイスを置き隣に座る。
「準備はいい?」
赤崎さんはステージ上の三人に声を掛ける。三人はお互いの目配せで確認すると、三者三様にはいと返事をする。
彼女達の演奏が始まった。
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