糞の山に生きて:前編
「くーさーいーぞー!」
男たちは太陽の下で必死に何かを拾っていた。
それは乾いた空気と道行く車輪に晒され、時に固くへばりつき時に柔く不快感を誘っている、旅人の嫌われものだ。
「もうそろそろ慣れてくださいね? ほら口より手、ですよ」
せっせと火箸を動かす少女は、ハーブの香りを纏ったフェイスベールを身に着けている。
二人の冒険者は、『馬糞』を拾っていた。
馬車の往来が激しい町周辺では、よく街路清掃の仕事が出回っている。
肥料に使われる馬糞の高い需要や、主道路を綺麗に見せたいという町役場の意向から、依頼報酬はなかなかのものだった。しかし冒険者というものはロマンやプライドからくる選り好みが多く、こういった仕事はいつも人手不足でもあった。
「報酬が高いなら何でもいいとは言ったが、やはりこれは……っ!」
リザードマンが文句を垂れている最中も馬車が走りを止めることは無い。彼の鼻先ぎりぎりを三頭立ての車が過ぎ去っていった。
スピードのある馬車に乗っているのは、高価そうな服を着た人々。その中の一人とジャロウは目が合った気がした。
「あー! あの荷台のヒトども、おれたちを笑っていたぞ!」
哀れな糞拾いとでも思われたのか、それともただの被害妄想か、どちらにしろ人目につく昼間の路での仕事は、彼のひ弱な精神になかなかダメージを与えていた。
「ジャロウさん、勇者なら我慢も大事ですよ。それにわたしたちも道を汚してるんですから、綺麗にするのは当然です」
人の目など気にしないといった具合で、ソフィアは淡々と働いている。
「おう、良いこと言うねえお嬢ちゃん」
そんなやりとりを聞いていた男が、ひょいと荷車から顔を出した。
「うちの馬にも手伝わせてやろうか! ほら、糞しろ糞! わっはっは」
この男は馬糞運びの御者だ。ジャロウたちが拾い集め樽に詰めたものを適宜ギルドへと運び帰る役目で、ゆったりと本を読みながら二人の後ろをついてきていた。
*
「じゃ一回戻るよ。倒れん程度にがんばんな」
すでに作業を始めて三時間ほど。小さな荷車に積まれた宝の山は、二人と小たるを残し軽快に出発した。
「ちょっと、休憩しますか」
ソフィアは水筒を取り出しながら小石に腰掛ける。まだ春だというのに外は暑く、陽は二人を照り付けていた。
「思っていたより地味なのだな、冒険者は」
「ふふ、わたしも最初はそんな感じでしたよ。一月ずっと薪割りだけの時もありましたし」
「しかし糞拾いとは、大変な仕事もあるものだ」
「でも樽ひとつで銀貨五枚。いい仕事じゃないですか」
そういうものか。とジャロウは苦笑いする。
道行く馬車をみても、ヒトやモノを運ぶ際には必ず多くの硬貨も運ばれている。
外の世界に出るということは、金の流れに乗るということかと思うと少し恐ろしくなった。
鉱山にいた亜人奴隷は金で取引されたと聞いた。ならば彼らの値打ちは? そんな彼らを退けたおれの値打ちは? 金さえあれば、ソフィアでも誰かに買われてしまうのだろうか……?
だが彼のそんな考えは、遠くから聞こえた
「ソフィア、伏せろ!」
リザードマンの本能が告げていた、それは捕食者だと。
彼の呼びかけに従い、少女は草陰に身をかがめる。
次の瞬間、大きな翼の影が彼女らの頭上を通り過ぎた。
「っ! ワイバーンです!」
それを聞くと、すぐさまジャロウが剣を抜き走り出した。続いてソフィアも杖を持ち駆ける。
御者を襲いに行ったのかとすぐに警戒した。しかし
「空を飛んでいたぞ! あれがワイバーンというやつなのか!?」
「はい、普通は山にいるはずですがどうして……」
幸い林は深くなく、道からも大きく外れることは無かった。だが主な道路近くに奴らが訪れたということは危険な事でもある。二人は茂みをかき分け、
「あの、ジャロウさん。いきなり切りかかったりしないでくださいね。食べられちゃいますから」
勇み足で進む彼に声をかける。ソフィアは今までの経験から学んでいた、彼は勇ましいというより無鉄砲に近いことを。
「……わかった。いつもすまない、いや、感謝する」
ジャロウは少し剣を握る力を抜く。昔の彼ならば手綱を握られることなど我慢ならなかっただろうが、仲間との出会いが少しずつ彼を変えていた。
しばらくすると開けた岩場にたどり着いた。そこで小翼竜は地面に翼をつき、何か踏ん張っているようだった。
草陰からその様子を見ていると、少女が気づく。
「ここ、おそらく
「ふんば?」
「はい。竜は巣から離れた場所に、ふんをするためだけのナワバリを作るんです。おそらくここが……あっ!」
こそこそ話をしていると、小翼竜は飛び去って行く。
そしてそこに残されていたのが『白い帯状の袋』のようなものだった。
まだ新しい糞場だからだろうか、周りを見渡しても同じようなものはあまり見当たらない。
「今日はこういうものばかり見るな」
ジャロウは顔をおさえながら言う。だがどこかソフィアは嬉しそうだ。
「いいえジャロウさん、馬のと一緒にしちゃいけませんよ! 竜糞はすごく高く売れるんですから!」
高く売れる。そう聞いた彼はすぐに糞の方を見た。
「あっ」と少女が一瞬止めようとし、やめた。それほどまでに竜糞は価値が高いのだろう。「後ろは任せてください」と背中を押し、共に茂みを進んだ。
フンに近づくにつれて、つんとした匂いが舌を這う。だがジャロウの目に迷いはない、今さっき感じた捕食者への警戒感よりもあっさり金への欲が勝っていた。
「しばらくは帰ってこないはずですけど……静かに拾いますよ」
少女は杖を空へ向けいつでも魔法が放てる準備をしている。
完全に背中を預けたリザードマンは、足音を立てないように慎重に、慎重に白いフンに近づいて行った。
大きさは握り拳二つ分ほど。それはよく見ると骨などの混じった残りかすの『中身』と、それを包む『白い膜』で構成されているようだった。
だが冷静になってようやく気付く。そういえば、フンつかみ用の火箸は武器を抜いたときに道に投げ置いてきたのだ。
「ジャロウさん? 拾えましたか?」
素手で竜の糞を? いいや仕方ない。意を決して、顔を背けながら茂みから手を伸ばした。
「うっ……! ……? あっあれ?」
触ったはずなのに、手ごたえが、無い。
「どうしました?」
「いや、確かにそこにあるはずなのだが……」
閉じていた目を開き、背けていた顔を上げる。
その瞳に映ったのは、竜糞を抱えている小さな子供の姿だった。
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