金食い蜥蜴

 まだ、草葉に朝露のしたたりが見えるころ。

 小さな枯れ林の木々の間を、踊り狂うひとつの影があった。


「『絶鱗破ゼツリンハ』!」

 その影は鋭利な鱗を無数に放ち、枯れ枝を両断する。


「『蜥火・尾刃セッカビジン』」

 その影は自らの尾に炎を纏わせ、熱波を薙ぎ払う。情緒的な水滴は瞬時に蒸発し、あたり一面は焼けた植物で黒色に染まってゆく。


「エンシェント……いや、凍獄灰雨コキュートアッシュ!」

 その影は大きく跳躍し、眼下に絶対零度の氷弾を吐き出した。先ほどの熱気とは裏腹に、今度は魂すらも凍りついてしまうような零下の世界へと変貌する……。


 そして巧みに着地した影の主は、ゆっくりと天を仰ぎ瞳を閉じて言った。

 お前たち、そこまでにしておけ――。


「ジャロウさん? どうかしたんですか?」


 雰囲気だけはいっちょまえの彼に声をかけたのは、まだ眠そうな顔をした少女だ。

「おっ!? お、おはよう! ずぅいぶんと早起きなのだな!」

「そちらこそ、朝から熱心にお稽古ですか」

 足元の手帳を慌てて隠すジャロウを、のぞき込みながら言う。


「わ……技の実演をと思ってな! やはりユウシャは何でもできねば」

「それで、どんな技ができたんですか?」

 その答えは、焼け野原にも氷の世界にもなっていない枯れ林を見れば、一目瞭然だった。


 口で細く息を吸い、自嘲気味に笑いながら返す。

「なかなか、難しいものだ」


 実際、あのヨロイモグラたちとの一戦以降まったく技を使うことができていなかった。

 普通の依頼程度では窮地に陥ることなど無かったというのもあるが、緊急時のみにしか使えないものに頼るというのも、いささか不安であった。


 それを聞いた少女は、肩を落とす彼の隣に座り言う。

「じゃあ今日は、わたしと魔法でも試してみませんか?」


 ジャロウの神秘的な一日が始まった。



    ***



 宿で軽い朝食を摂ると、二人は町に繰り出していた。

 さっそくモグラの鱗で作られた装身具が売り出されていることに、町人の逞しさを感じる。


「たしかこの通りに……あった! 『赤魔導師のくろがね工房』、ここですね!」

 まずはじめに、詠唱道具を見繕うこととなった。魔法用の道具は無くても使えないわけではないが、集中力の欠けるジャロウにとってそれはとても危険な行為だった。


 からんからん、ドアベルの音とともに店内に入る彼女たち。

 だがそこには店員の姿は無く、静かな空間が広がっていた。

「あれ……お休み、じゃないはずですけど」

 ソフィアがそう口を開いた瞬間、天井から青白い『霧』のようなものが降り立ってきた。それは次第に床で大きく重なり合い、ヒトを形作っていく。


 そして現れたのは、深紅のローブを纏った、赤髪で背の高い女だった。

「あら~かわいいお客さんじゃないの! 後ろのトカゲさんは契約獣? 珍しいわねぇリザードマンだなんて……あぁごめんなさい! 今日は何をお求め? スクロールも水薬も、杖も呪宝なんかもあるわよ」


 少し古風な店からは想像しがたい、やけに元気のいい店番であった。

 一方ソフィアはというと、こちらもまた興奮を隠しきれないようで……。


「い、今のってミストダンスですよね!? 日常使いできるってどういうことですか!? あれは霧状態での消耗が激しすぎて滅多に使えないはず……いや、もしかしてドアベル自体が魔道具という可能性も」


 凄まじいスピードで展開される二人の会話に、ジャロウは舌を巻いた。

 何度か自分が買い物に来たことを挟み込もうとしたが、結局彼女らが満足に話し終えるまでただただ立っていることしか出来なかった。

(これが魔法使いの業、なのか)



「いやぁトカゲくんごめんねぇ~! もうこの町ってば、むさい男とドワーフだらけでしょ? 魔法の店に可愛い女の子が来るなんて久々で!」

 ソフィアと話し終えた後も威勢のいい早口は変わらずであった。

「それで、初めてなんだって? 魔法使うの」

「ああ。道具とやらも持っていないのだ」

「ふ~ん、そうなんだ~」

 『魔法は初めて』と聞いた赤髪の女は、商売人らしい笑みを浮かべだす。


「それじゃあ! この私、熟練の魔導師カミラ・ストレンジャーから特別な講習を受けてみない?今ならたったの銀貨10枚で!」


 そう高らかに言うと同時にパチンと指を弾く。

 すると店の一角の床が開き、地下へと続く階段が現れた。


 客たちの意見は即決。ソフィアは店主の使う魔法への興味から、ジャロウは純粋に地下への好奇心から。



 階段を降りるとそこは、まるで射的場のようだった。

 冷んやりとした長い空間にはマトがいくつも並んでおり、壁には杖が置かれている。

 ひときわ目立つガラスケースには、なぜか金槌と弩が飾られていた。


「すごいでしょ~ここ。昔は兵隊さんの施設だったところを安く買ったのよ」

「ああ……! 格好良い!」

 ジャロウは子供のようにきょろきょろと周囲を眺めていた。ソフィアもそれは同じで、様々な材質の杖を舐めるように見ている。


「じゃあ、早速やりますか!」


 頭に鉱石のついた杖を手渡しながらカミラは真面目に話しだした。

「魔法っていうのはとにかく危ないものだってことを覚えといてね。余計なことを考えちゃって、暴発すると死人が出るから」

 暴発――それを予防するためにあるのが、詠唱や、魔法陣を描くことなどの『決まった行動』らしい。


「一番大事なのが冷静さと想像力……なんだけど、とりあえず最初は灯りをつけてみようか」

 そう言うと、部屋の明かりが一斉に消えた。


「ほら、暗くて見えないし怖いでしょ?だから明るくしたい~って思うわけ。そこでどれだけの範囲を照らすかとかを考えるんだけど……とりあえず音だけ聞いてて」


 どっちみち暗い中では声しか聞こえていなかったが、カミラが黙ると今度は、杖を突くような音が聞こえてきた。


 こつ、こつ、こつ、と一定のリズムを刻んでいる。

 妙に落ち着く音だとジャロウがゆったり目を閉じようとすると。


「照らせ」

 と一言だけ聞こえ、同時に杖の先から部屋を照らす赤い光が浮かびあがった。


 その光は先導人のように、赤髪の魔法使いの少し前方を照らし続けている。

「おお」とジャロウは思わず声を漏らした。攻撃魔法は旅で何度も見ていたが、やはり暗闇を照らす光を生み出すと言うのは、どこか超常的なものを感じた。


「素直な反応ありがとね。トカゲくんはどう感じた?」

「……安心、するな。明るいというのは」


 その答えを聞き、カミラはニコッと笑う。

「良いね! 魔法というのは根っこの部分に感情的なものが大きいのよ。願い、とでもいうのかしらね。願い事を上手くコントロールする事で、程度を調節した現象を引き起こせるってわけ」

「まあ何でもできるってわけじゃなくて、自分のレベルに合わせたものしかできないからいきなり高望みしないことね」


 そこでさっそく真似をしてやってみることになった。


 暗い環境は明るい願いを強くするため、一定のリズムは心を整えるため、そして発声は起こしたい魔法を固定化するため……。

「ライト・レイ!」


 勢いよく杖をつくと同時に、灯火の呪文(と本人は思っている)を口に出す。

 すると、バキッという嫌な音が鳴るとともに足元が一瞬強く光る。


「お? これは、魔法か?」

「いやジャロウさん、力入れすぎじゃ……」

 ソフィアが指を刺した先には、床の木板を割り地面に突き刺さった杖があった。

 そしてその杖は皆の注目を待っていたかのように、大きく亀裂を走らせバラバラと壊れてしまう。


「あ~……トカゲくんには、攻撃魔法の方が合ってるかな~?」

 不安そうなカミラだったが、次は片手で扱えるワンドというタイプの杖を貸し出してくれた。


「よし! 切り替えていこ! マト当てといこうじゃないか」

 そういうと彼女は、丸い模様の描かれたマトに向かって数発の矢を放つ。


 魔法で作られた光の矢は、正確に中央を捉え分厚い木の板を貫通させた。

「魔法の射撃というのはね、目で見た場所に当てるというより、頭でどこに当たるかをあらかじめイメージしてから放つとやりやすいのよ」

 それゆえに止まっている的には正確にあたる反面、動いているものに瞬時に合わせるには相当な鍛錬が必要とのことだ。


 さて、リザードマンの番である。

 魔力の塊を飛ばせばよいだけということで、攻撃魔法は比較的単純な部類らしい。


 目を閉じ、腕に力を入れる。

 放つ方向に向かって体を水平にし、右足、右手を先に向ける。

 そして鼻から息を吸った後一瞬だけ止め、発声した。

「フレイムスロー!」

 振りかぶった杖の先からはごうごうと燃える火の玉が現れ、球投げの要領でゆったりと飛んでいく、はずだった。


 大きく振り下ろされた杖は、ジャロウの手からすっぽ抜けてしまい、炎を纏いながらとんでいく。

 そのスピードはだんだんと早くなり、弧を描く斧のように壁に叩きつけられた。


「……トカゲくん? 別の道具でやってみよっか?」

 ここまで別方向で魔法の使えない者は初めてだったのか、カミラは笑顔をひきつらせていた。



 しかしその後も散々なものだった。

 魔導書にはペンを貫通させてしまうし、木づちを使えば机を壊してしまう。そもそも手袋型や指輪型はリザードマンの手には合わなかった。

 

「うう、どうしてこうも使えんのだ」

 初心者向けとされているものが全く使えなかったばかりか、ことごとく貸し出されるものを壊してしまう。おのれの不注意さにも嫌気がさしていた。


 そんなうなだれる彼を気遣って、少女が言う。

「もしかしてですけど、魔法が不発なんじゃなくて技が発動しちゃってたりして」


 技が? 待てよ、もしかすると……。

 思えば早朝の練習では、技が使えるという格好良さばかりに気を取られて、今やっている魔法ほど正確な想像ができていなかったように感じる。

 前に衛兵隊長デルガが言っていたように『自分ができるレベル』のものをイメージするという点では、魔法も技も似通っていた。


「店主よ、もう一度だけ杖を貸してくれまいか」


 壊されても在庫が捌けると思えばいいか、とすでに割り切っていた店主は快く貸し出してくれた。ちょうど片手で振り回せるほどの長さのあるワンドだ。


「えっと、トカゲくん? 魔法を使うんだよね?」

 ジャロウは構えていた。背負った武器を振りぬくかのような恰好で、右肩に杖をかけている。

 カミラは一瞬止めようか迷ったが、彼の表情が今までと違い自信のあるものになっていたことから、初心者の行く末を見届けることにした。


太刀風たちかぜ

 そう唱えながら、彼は杖で空を撫でた。


 すると、一陣の風が巻き起こりマトへと向かっていった。それは木でできたマトを壊すまではいかずとも、板に大きな切り傷を付けていた。

 動きこそ剣で切ったようなものであったが、放たれたものは風魔法のような力だった。


「ジャロウさん! できてます!」

 彼の精神は『正確に考える魔法』に適していなかった。だが実際に洞窟で受けたソフィアからの風魔法や、一度使えた瞬地斬の経験から、体が覚えることはできていたのだ。


「たしかに風みたいだったね。肉体的な発動方法だけど」

 カミラは苦笑いぎみに言う。

「魔法のようでもあり、技のようでもある。ちょっと曖昧な感じも、面白いんじゃないかな」


    *


 ジャロウのようなやり方は、カミラにとって専門外だったのだろう。初心者講習はこのあたりでお開きとなった。 


「いやあトカゲくんも面白かったけど、ソフィアちゃんもなかなかいい筋してたねえ~」

 彼女はさらさらと何か書きながら言う。


「わたしは、ほぼ独学ですから浅く広くなんですけどね」

「へえ、冒険者なんだっけ? ランクは?」

 ソフィアがブラムでジャロウがシード、ということを伝えるとカミラの手が止まる。

「最高ランク、なんだ……あのさ、さっき曖昧な感じが面白いっていったんだけどさ」

 そう言いながら今しがたペンを走らせていた紙を渡してくる。


「こういうのは曖昧じゃないほうがいいよね?」

 そのメモには、壊した杖の代金や壁の修繕費などが事細かに記されていた。

「一番いい冒険者さんなら、トカゲくんの代わりに払えるよね?」


 ソフィアは共同財布を確かめた後、ゆっくりとリザードマンを見ていった。

「ジャロウさん、今日から馬小屋ですからね」

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