糞の山に生きて:後編
「おい! それはおれたちの……」
竜糞を抱える少年を指差しジャロウはわめく。だがその子どもはリザードマンの威圧にも動じず、背を向けて走り出した。
「肝の据わった奴!」
間髪いれずに茂みを飛び出すジャロウ。リザードマンが子どもを追いかける姿は、完全にモンスターそのものであった。
一方ソフィアはそんな彼の姿を見て慌てて後を追う。それはどこからどう見ても『人を襲う魔物の図』なのだ、また罪に問われてはたまらない。
一本道を行く少年は、驚くほどに瞬足だった。右手に竜糞を、左手に桶を持っているにもかかわらず大人のリザードマンと同じスピードで駆けているのだ。
馬糞拾いを何時間も続けた後というのもあり、さすがに体力の限界が来たジャロウは「嘘だろう」と吐き出し足を止めようとする。
しかしそれと同じタイミングで、全力疾走する少年は石につまづき大きく転んでしまった。
倒れた桶からは水のようなものが撒かれ、竜糞は道端に投げ出されている。
「ふう、少年よ。別にとって食ったりしようというわけではないのだ。その――」
竜糞を渡せ、と言おうとしてその言葉を飲み込んだ。
ようやく思い至ったのだ、やっていることが盗賊まがいであると。
そして以前にも子供を怖がらせて転ばせてしまったことを思い出し、眉間に手を当てる。
「えーっと、怪我はないか? あー……その、なんだ」
何と言葉をかけたらいいか迷っているうちに、ソフィアが少年の下に駆け寄った。
「大丈夫ですか!? じっとしてくださいね。今治しますから」
また手際よく治癒魔法をあてる少女は、その様子をばつが悪そうに見ていた彼に言う。
「やっぱり諦めませんか?悔しいですけど、先に取ったのはこの子ですし」
言葉を受けて、ジャロウは鼻で大きく息をした。
「……ああ。先に手を付けたものだからな」
(まあ、運が悪かったとでも思っておくか)
残念そうな気持ちは顔に出ていたが、珍しく諦めが良かった。いつもならば奪うまでもいかずとも、あれこれ文句を垂れていただろうに。
「ひとりで竜に近寄ったら危ないですよ」
すっかり転び傷を治した少年へ優しく話しかける。しかし帰ってきた言葉は、感謝とは程遠いものだった。
「ちがう、臭くなかったらいいのに。お前たちのせいで危ないんだ!」
くさい、と言われてしまった二人は苦笑いを浮かべる。そして乾ききった身体を癒そうと、水筒に手を出した。
だがしかし、考え無しに竜糞に手を出した彼らに息をつく暇など無かった。
また聞こえてきたのだ、あの翼音が。
「……くそ、おいっ! 構えろ!」
「もしかして匂いで追って!?」
ばさばさと聞こえる重い羽ばたきに目を向けると、急速に飛び掛かってくる
「隠れろ」と少年に声をかけるジャロウ。追いかけっこに必死になっていた彼らは、いつの間にか空が開けた道のど真ん中に立ってしまっていた。
なんとか第一撃を受け流した二人だが、動きを止めることなくまた高度を上げる小飛竜に翻弄される。
「ちいっ一方的ではないか!」
「なら撃ち落とします。時間稼ぎを」
ソフィアはすぐに魔法詠唱に入った。その様子を見て彼は、より一層大きく剣を振り回しそこらに転がっていた石を投げつける。
しかし小飛竜といえども竜の一種だ、馬鹿ではない。ヒトの詠唱を認めると、高度を下げ魔法を止めにかかった。
無防備な魔法使いに鉤爪が迫る、だがこの窮地は彼にとって好機でもあった。
「『
ジャロウの一太刀から鋭い風が起き、竜を迎撃した。だが小飛竜は咄嗟に身を翻し、今度は器用に尾の先でサーベルを弾き飛ばす。
「飛べ! つぶて!」
ソフィアも応戦し、周囲の尖った石たちを一斉に発射する。
しかしこれも距離を取られあっさり避けられてしまった。
「もう一度、頼めますか。次は仕留めます」
いつも以上に真剣な眼差しの彼女を見て、まずい状況なのだとジャロウは察した。
サーベルは弾き飛ばされている。先ほどのように行き当たりばったりで戦っていては、ひとつの狂いでやられてしまう……どうすれば。
そんな迷いとはお構いなしに、竜は次なるターゲット見つけた。あの子どもだ。
茂みに隠れ見えていないはずの少年に向かい、ジャロウたちの時よりも激しく襲い掛かった。
まずい。武器は無い、詠唱も間に合いそうにもない。ならばまたやるしかない――
リザードマンは力強く地を蹴った。あの洞窟でソフィアを助けた時の技だ。
「『
だが今回は斬るための力ではなかった。
少年の前で敵に背を向け、全身で小翼竜の攻撃を受け止める体勢をとる。
「『
その時ジャロウの鱗はまるで鉄のように硬質化し、より鋭くより堅牢に変化した。
竜の一撃が彼を捉える。だが男が動くことも、傷つくことも無かった。
「お……おれ、どうなってる!?」
自分でも驚きを隠せないジャロウだったが、驚いたのは小翼竜も一緒だった。相手がくたばらないどころか、自らの爪が欠けていたのだ。
そして体制を立て直すべく、急ぎ宙に昇り二人の動きを観察する。
するとその一瞬の硬直を射抜くよう、何処からか飛来した二本の矢が翼を撃ち抜いた。
苦しみの声をあげてよろめく竜、そこに追い打ちとばかりにソフィアの魔法が発動した。
「貫け! 槍!」
手のひらから生み出した魔力の槍を勢いよく射出する。小飛竜は喉元を突き抜かれ無惨にも墜落し、そのままピクリとも動かなくなった。
あたりにはしばらくハアハアと肩で息をする音しか聞こえていなかったが、どこかから歳をとった男の声が聞こえてきた。
「おーいあんたたち! 無事かい!?」
声のする方を見ると二人のドワーフが近づいてきていた。ヒゲのオヤジと、ドワーフにしては背の高いのっぽのおやじだ。
手にはクロスボウのようなものを持っており、あの矢を放った主人はこの者たちかと気づかせてくれた。
「おお! 助太刀ありがたい」
あまりクロスボウを見たことが無かったジャロウは、物珍しさと感謝とでニコニコと二人を迎えた。
「こっちこそ感謝だよ! うちの子を助けてくれて」
「うちの子……?」
ジャロウの目の前にいる少年は、猫の耳・猫の尾が生えており亜人ではあるが、ドワーフではない。
そんな少年とドワーフの顔を交互に見ていると、ソフィアが頭を下げながら口を挟んだ。
「あっあの! この状況はわたし達の責任でもあるんです!」
*
「そりゃあ、しょうがねえってやつだ。ただ臭えまま竜糞取るんはいけねえ。急いで処理するから見てけや」
小飛竜の死体を運びつつ、近くにあった彼らの作業場に急ぐこととなった。
大きな笑い声のドワーフたちは小屋の外で作業に取り掛かりはじめる。
「いいか? 馬のクソと一緒にしちゃあいけねえ。売れるのは中身じゃなくてガワだ」
慣れた手つきで中身の糞を取り出し、白い膜だけの状態にする。
「んで、白いのは竜っコロの匂いがついてるからすぐに洗い落とす」
さっきみてえになっちまうからな、と笑いながらジャブジャブと力強く洗う。
帰る途中に、もう一人のドワーフが香り水を撒いていたが、匂い消しのためかとここで気づいた。
すっかり洗い落とされた膜は灰色に変わっており、より引き締まったような印象を見せている。
「この状態が竜膜ってんだ。ほら見ろ」
ヒゲオヤジはナイフで幕を切りつける。だが、一向に破れる気配を見せなかった。
「すごい強度ですね……薄いのに」
「ああ。こいつは火も移らねえ。だから高えのさ」
竜種は骨ごと獲物を飲み込むことも多い。ゆえに尖った骨から腸を守るために強い膜で包んで排泄するのだった。
「だが待て、その糞をする小翼竜はおれ達が倒してしまった」
申し訳なさそうなリザードマンの背中を叩いて笑う。
「いんや心配すんない! もともとは山まで行ってたかんな。コレ一枚でも儲けもんよ!」
和気あいあいと膜についてのうんちくを述べるドワーフたち。そこでソフィアも気になったことを口にする。
「でも珍しいですよね。ドワーフさんが町や山じゃなくて、こういうところにいらっしゃるなんて」
何気なく発した質問だったが、その一言がオヤジたちの空気を変えた。
「……ああ全く珍しいよな」
「何か理由でもあるのか?」
今度はジャロウが聞く。ソフィアは彼らの態度を読み、それ以上深く聞かないでおこうとしたのだが、この鈍感男は違った。
「こいつだよ。見りゃわかるだろ、
こいつ、とさされた少年の顔はヒトのようだが尻尾や耳は
「俺たちゃ昔はブアレにいたんだがよ、こいつを拾ってからはあんなとこにゃ居られなくなっちまった」
「でも今ならそんなに酷い扱いは無いはず」
とソフィアが言いかけてブアレ鉱山の亜人奴隷たちを思い出した。
亜人とヒトが共存できているトルミクの町に居たことで忘れていたが、この国は新たに奴隷を作ることは禁じられていても、昔から所有していたものに関しては問題なく運用されているのだ。
その影響は未だ根強く、ヒトとそれ以外の種族での軋轢をうんでいた。
ことデミに関してはそんな憎しみの中間に立たされている生まれなのだ。
ドワーフたちが『ヒト』と上手くやっていくには飲み込まざるを得ない問題だった。
「まあこちらの後は短いけんど、この子はまだまだだ。大人んなるまでには遺せるもんを持っとかなきゃな」
竜膜を見つめながら、のっぽのおやじが言う。
遺せるもの……つまりはカネだった。
「これさえありゃ、好きなとこに行けるだろ。ヒトの唯一良いところだな」
ジャロウはここに来てまた金か、と少し暗い気持ちになる。
だがよく考えれば、異種族たちを繋げ同じ価値として行き来できるものは、金と食い物ぐらいだった。
『ヒト』の作った金さえあれば、自分を買うことさえもできるのだ。ヒトの世界で『亜人』として生きていくには、真の自由や平等をコインの中に見出すしかなかった。
それは、ジャロウやソフィアにとっての冒険者と同じように。
少し重い空気が流れたあと、静かにジャロウが立ち上がった。
そしてワイバーンの死体から牙を一本だけもぎ取る。
「……これだけでいい。あとは置いていく」
憐れまれたと思い、オヤジが声を張った。
「バカ言え! 恵んでもらおうって話したんじゃねえ!」
「違う、おれには必要無い。ただそれだけだ」
ジャロウはすでに自由も平等も、手中にあると思っていた。家族も故郷も捨て、冒険者になったことで。
そんなジャロウの姿を見て、ソフィアも同じように――手こずりながらだったが――牙を抜く。
「ええ! 倒すことが目的でしたし、持って帰るのも大変ですから!」
ひげのオヤジは二人の行動にひとつため息をつき、ごそごそと何かを投げ渡して来た。
それは一本の直剣だ。
「アンタたちがおいてくって聞かねえんなら、こいつをもってきな。俺が打った最後の剣だ。息子を救った礼とでも思っとけ」
***
なんだかんだとワイバーンの素材、というより解体や処理をドワーフたちに押し付け、馬糞運びと共にブアレに帰還した二人。
やはり糞拾いの報酬は高かった。もうしばらくは馬小屋の世話になることもなさそうだ。
「ジャロウさん、今日は好きなもの食べていいですよ」
「おお。というより水浴びをしたいのだが……」
適当に受け答えするジャロウは、オヤジから受け取った剣を眺め、いじる。ほんのり黄色がかった剣身ぐらいしか特徴の無い、いたって普通のロングソードだった。だが隠居ドワーフの最後の逸品と思うと途端に胸が高鳴る。
「トカゲ! 見つけたぞ!」
そんな時、低い男の声が聞こえてきた。声の主はあの衛兵隊長デルガだ。
男は二人を見つけると、ずんずんと近づいてくる。
「な、なんだ! 何も悪いことはしてない!」
うろたえるジャロウだったが、そんなことは気にせずデルガは話しかけてくる。
「モグラの長から聞いた。妙な場所を探しているんだとな」
妙な場所。『約束の地』のことだ、リザードマンの目つきが変わった。
「何か知っているのか」
「いや、とにかくこれを見ろ」
デルガは地図を広げ、一枚の紙を差し出してくる。
地図にはブアレの町と、その山からトンネルを通った先にある大きなエルフの森、そして森の南に位置する沼地が描かれていた。
「まずお前たちには、明日出発する輸送隊の護衛を依頼したい。エルフの森までだ」
「明日!? 急すぎませんか!」
驚くソフィアを「まあ聞け」となだめ話を続ける。
「ちょうどお前たちの糞でそろったんでな、ついでの仕事だ。そしてここからが本題なんだが……」
デルガはジャロウの顔を見て言った。
「森の南にある沼地にな、リザードマンの国があるらしい」
ジャロウは目を輝かせた。
「おおっ! ならばそこでならわかる、いやそこが目的地かもしれん!」
感嘆の声を上げるリザードマン。あわせてソフィアも少し驚き口をはさむ。
「確かに沼地なら、村ぐらいはありそうですけど……国って」
大陸はほとんどがヒトに統治され、エルフやドワーフを除いた亜人たちは国を持たない。
しかも南の沼地は冒険者でさえほとんど立ち入っていないため、真偽の怪しい情報でもあった。
「そんな噂が役場で出てな。まあ護送の報酬も良い。どうだ? やってみないか?」
二人の答えは一つだった。
「もちろん! 行ってやろうじゃないか!」
大トンネル、エルフの森、未開の沼地……『約束の地』への新たな冒険が始まろうとしていた。
「ああ、それともう一つ」
デルガは顔を寄せひっそりと言う。
「お前たち、臭いぞ」
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