第1話
一番最初に小説を書こうと思ったのは、小学校三、四年生の頃だったと思う。
当時は全国的にポケモンが流行っていたが、ぼくはデジモン派だった。
ある夏の日に別世界に飛ばされ、そこで出会ったデジタルモンスターを相棒として冒険する――そんなプロットが魅力的だった。あらかじめぼくらものとは異なる世界にいるのではなく、そういう世界に転移する、という仕掛けが馴染んだのだろう。行ったからには、帰ってこなければならない。それは、どこかリアルだった。
単純に、ぼくはゲームボーイを持っておらず、代わりに祖父がデジモンの携帯ゲーム(Ver.2)をくれたからというのもある。あの時から、ぼくの相棒はガブモンだ。今でも変わらない。
祖父が、ポケモンとデジモンを区別していたかは、結局分からずじまいだ。すぐに彼は難病で意思の疎通が取れなくなった。祖母とおそらく犬だけが、寝たきりの彼の考えていることを理解することができた。
この時期、ぼくがハマっていたのは、モーリス・ルブランとジュール・ヴェルヌだった。あとは、那須正幹。
特に、ヴェルヌの『二年間の休日』は、ある意味で啓蒙的だった。知識と勇気があれば、自分にとって未開の土地でも生き延びることができる――後の留学経験とかを考えると、これはぼくの羅針盤になった。
知的好奇心と冒険心。とりあえず飛び込んでみて、その場で発明を繰り返し、適応していくこと。そのためには、事前の知識と訓練が必要だ。こういった態度の源泉を『MASTERキートン』に求めても間違いじゃない。あれもバイブルのひとつだった。
そんな背景から、当時のぼくは、サバイバルごっこに興じていた。中休みや昼休みを費やして、数名の友人とグラウンドの野草を集めたりしていた。それらをどうしていたのかは思い出せない。当時の目的も忘れてしまった。別世界への憧れを少しでも表現するには、そういった箱庭的な模倣行為をするしかなかった気がする。
いつか無人島に放り出されるとして、けれども行ったからには帰ってこなければならない。つまり、まずは生き延びなければならない。
黒船を見たのは、その頃だった。
四年生の頃に隣の小学校から赴任してきた教師は、ぼくらの小学校にサッカーという文化を持ち込んだ。たしかW杯の年だったと思う。クラスの男子と一部の女子は、すぐにその虜になった。ぼくの仲間たちもこのリアルな遊びの誘惑には勝てなかった。中休みと昼休みはサッカーの時間になった。イメージの世界から、肉体的かつ現実的な世界へのシフト。心身を総合した知的作業から、即効型の純粋に肉体的な快楽への変更。
友人が分かりやすい簡単な快楽に召し上げられていくことに、寂しさを感じなかったといえば嘘になる。
ぼくが小説を書いたのは、そんな変化に対抗する気持ちからだったのかもしれない。内容は、仲の良い友人たちと共にデジタルワールドに行くというものだった。多少の独創性を認めるとすれば、木の実からパンを作ろうとするくらいのものだ。ぼくにとって、異世界への転移は無人島に行くのと同じだったから、食料問題は不可避の課題だった。
冒頭だけ書いたが、データは残っていない。
とにかく、サバイバルは終わった。
最後のひとりになったぼくは、それほど抵抗もせず、結局はサッカーの軍門に下った。当たり前だが、無人島は実は陸続きだったのだ。
サッカーは、ちゃんと面白かった。不満なんて全然なかった。しかし、それまでだった。先のことを言ってしまえば、中学になってサッカー部に入ることはなかった。
この他に覚えているのは、世話になった元担任が学校を去る際に、簡単なファンタジー小説を書いて渡したことだった。彼はその場で読んでくれた気がするが、細かな感想は覚えていない。この頃は、自分が小説家になると信じていた。打ち切り作。ラストシーンは駅だった。旅の仲間が乗った列車を見送る、というシーンだけ覚えている。コピーは作らなかったので、これも手元に残っていない。
そのようなスタートがあった。
紆余曲折を経て、今に至る。
経歴に書けそうな成果は得られていない。
一度だけ文学賞に応募したことがある。ハヤカワSFコンテスト。ドイツ留学中に書いて、祖国の妹に印刷して投稿してもらった。そんな手間を本当に実行してくれたのかは分からない。箸にも棒にもかからなかったという結果だけが事実だ。
それ以外では、インターネットに何個か短編を投稿した。大抵が二次創作というか、既存の作品にインスパイアを受けた、気の狂った妄想のようなものだった。
ペースメーカーとして読んでいたのは、ドストエフスキーや稲垣足穂、池澤夏樹、村上春樹、あとは伊藤 計劃などだ。影響を与えたものを数えるなら、もっと増える。
大半が完結できずに凍結中だ。
小説家になりたいという気持ちを軸に、色んな経験をしようとしてきた。本もたくさん集めてきた。けれども、それは漠然とした「なりたい」で、所詮はただの希望だった。志とも言えないし、決意とか覚悟とは無縁だった。
小説家がどのように一日を過ごし、どのくらいの収入があり、そもそもどうやって小説家になるのかということは多少は調べた。しかし、そこで学んだことを自分の生活に反映させることはしなかった。
おそらくは面倒だったからだが、身につけることをあえて避けてきたのかもしれない。必要に駆られて内側から生じてきたのではない、赤の他人のやり方が染みつくのが嫌だった。自分がそういう過ごし方――それは他人の生き方だ――をしているところは、想像できなかった。
フェアに見て、諸々の事情で実行不可能だったのだ、と言ってみることもできる。
この方が自然かもしれない。
まず学問があったわけだし、年相応(見栄を張れば、それ以上)に悩みもあった。そういう物事の方が優先順位が高かった。ぼくにとって小説を書くとは、まずは現実逃避だったし、それに興じようとする自分は、臆病者とか卑怯者なのだという認識があった。
結局は未遂で終わることが多かったのは、そんな理由からだ。
毎日小説を書いていないと落ち着かない、とはならなかった。習慣づけの必要性は分かっていたと思うが、実践はできなかった。なぜなら、ぼくには、自分の創作活動は反社会的な行いだと思われてならなかったからだ。そんなものを続ける勇気はなかった。恐ろしかった。
現実逃避からも現実逃避しようとした結果、惰眠を貪ったり、インターネット・サーフィングをしたり、マンガを読むのに忙しくなった。賢く考えれば、ここで元の進路に戻るべきだった。たとえば、勉強するなどして。しかしぼくは自堕落であり、それもまた不可能だった。
何も辻褄が合っていない。
卑怯者とか臆病者、という自己認識をより鮮明にしていく作業が繰り返された。中学生からこちら、大学生になるまで、ぼくが一番精を出したことは、自堕落でいること、自分を蔑んで、否定的な認識を強化していくことだった。
その象徴が、心の病とほぼ慢性的な頭痛だった。
まあこれについては、別の機会に譲る。
好きは熱意に変わるほどの信念にならなかった。
それでも、小説はぼくを救ってくれた――と、ぼくは言わなければならない。
目の前の問題に取り組むのは、最終的には常にぼくだったし、小説が物理的な武器を授けてくれるわけではもちろんなかった。SASみたいに振る舞うには、専門的な訓練が必要になる。しかし、ぼくはそういう取り組みの一切を消極的に拒絶していた。
そして、小説なりの救い方というのは、こういうときに真価を発揮する。
小説に限らず、物語はとしても良いだろうし、物語に限らず、あらゆるテクストはとしても良いかもしれない。しかしとりあえずは、一例として「小説は」として進めようと思う。
ぼくが自堕落だからといって、小説は否定しなかった。ただそこにあるだけで、流れるものだった。そいつは自分勝手に何かを語る。意味があるとしたらぼくの方が勝手に見出すだけで、それが本心かは別だ。いずれにせよ、本の方から文句が上がったことは一度もなかった。お互いに自分勝手でいることができて、けれども互いの領土を侵すことはなかった。
そういう雰囲気が心地がよかった。
であれば、ぼくにもそういうものが書けるんじゃないか、というのがどこかにあったのだろう。それが小説を書こうとし続けている動機のひとつなのかもしれない。断言したくないのは、この感覚も常に自明とは限らないからだ。なんなら容易く埋もれてしまう。
ここに無力さが存在する。
救われた経験があるにも関わらず、信じきれていない。
なにを? 自分の感覚だ。
知らない言葉から価値観、人間の機微を教えてくれたり、楽しませてくれた小説というものを信じられない。自分の感覚を信じられないと、他者にも疑いが向いてしまう。
「小説には意味なんてない」という言説の方がよっぽどリアルだ。「どうせ作家になんてなれないんだから、もっと堅実にひとの役に立つ仕事に就けよ」という、社会性の幻聴みたいなものの方が、ずっと力強く、頼り甲斐があって、現実味があった。
この場合の「現実味がある」とは、安全に結びつく。実際には小説を書かないことで、「ただの趣味ですから」と逃げることができる。それがただの趣味であれば、誰も何も攻めることはできない。
ぼくは逃げていた。
自分の気持ちに嘘をついて。
「小説で生活を回しながら、大学に通いたいよな」などと望むのに、実現しようとしてこなかったのは、やはり逃げだろう。逃げていれば、周りからの攻撃もかわすことがでる。もちろん、そんなものが本当に存在するとしてだけれど。
じゃあ、逆に小説を(自分の心に照らして)マジメに書かないことで――その”安全地帯”にいることで、代わりに社会人としての市民権みたいなものが得られたのだろうか。
これも答えはノーだ。
この検証にだいぶ時間がかかった。する必要もなかったかもしれないが、それでもぼくは社会に適合しようと試みてきた。試みて、敗れ、体勢を整えては挑戦しを繰り返した。けれども、すり減るばかりで得られたことはあまりないように思う。
結局のところ、なにもない場所にぼくはいる。
ただまあ、これも「ようやく辿り着いた」と言うべきかもしれない。
ここまでの人生で、スタンダードな市民権なんてものは得られなかった。一時的に持っていたことはあったと思いたいが、すべて手放してしまった。いろんな理由から、そういった世界から退去した。
引きこもりみたいな状態になってから、そろそろ三年が経とうとしている。もはや定例といってもよかろう精神的危機やら格闘、その都度の心理的な車輪の再発明などがあった。いつかはその詳細も語る必要があるが、今はその時ではない。
大事なことは、もう失うものはほとんどないということだ。
トレードオフにおけそうな社会的価値なんて、残ってない。
無人島にいたとすれば、ぼくにとって社会こそが無人島だった。ではぼくが今いるここは、無人島ではないのだろうか。これもノーだ。ここはまた別の無人島である。同じところに住み続けることはできるが、都会に住むことはできない。客観的には住んでいるのだが、心理的には住むことができない。
だから、小説を書こうと思う。
これは、願わくば、小説家になるまでの記録だ。
都市を建てよう。文明を興そう。
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