第4話 毛皮

「……」


 絶句する勇吾の目の前には、昨夜の人狼を彷彿とさせる毛皮がある。大きさは男性用のジャケットほどだろうか。見ようによってはそういう系統のコートに見えなくもないのだが…。

 しかし、狼の頭部と思われる部分が、それがただの毛皮のコートではないことを物語っている。


「……お兄ちゃん?」


 こちらの態度を不審に思ったのか、有希が顔色を窺うように覗き込んでくる。


「あ、いや……これは」


 なんと答えるべきか。まさか、昨夜自分を襲ってきた人狼に関係しているかもしれない……などと正直に答えるわけにはいかない。

 かといって、これを新しいファッションと言うには不自然過ぎる。毛皮など、自分のような低所得の若者が身に纏うのは不釣り合いだし、それに衣装へと縫製していない毛皮そのままの物を自分が持っているのもおかしい。

 返答に迷っている勇吾に、有希は首を傾げる。


「これ…ハロウィンの衣装だよね?」


「……え」


 ハロウィン。そういえば今の季節は秋。そんな行事もあったな――と思いつつ、機転の利かない自分を恥じる。

 近年、秋の風物詩として急速に浸透してきた行事ではあるが、ハロウィンなどデパートのキャンペーンでしか触れたことの無い勇吾には、仮装している若者が乱痴気騒ぎを起こす様をニュースで眺める日でしかない。


「あ、ああ。くろねこの催し物でね……」


「そうなんだ!今度見に行ってもいい?」


「…恥ずかしいから、勘弁してほしいかな…」


 どうやら、仮装衣装ということで乗り切れそうだ。妹に嘘をつくことは心苦しいが、余計な心配をかけたくもない。今はそういうことにしておこう。


「ほら、もうそろそろ出る時間じゃないか?遅刻するぞ」


「あ、本当だ。…お兄ちゃん、体はホントに大丈夫なんだよね?」


「ああ。昼まで寝れるから問題ないよ」


「…分かった。ごはん、昨日のおかずが冷蔵庫にあるから食べてね?」


「ありがとう。ほら早く早く」


 なおも心配してくる妹を急かしつつ学校へと見送る。

 ――また心配をかけてしまったな。

 不可抗力な部分があるとはいえ、自分が弱っている姿を見せてしまうとは。

 それに、気の回らない自分にも若干の嫌気がさす。もう少し有希と会話をしていれば、近々保護者面談があることなんて分かっただろうに。いらない気遣いをさせてしまった。

 反省しなければならないことはいろいろとあるが――今は、最優先で対処しなければならないことがある。


「……」


 視線を毛皮に戻す。これは一体、なんなんだ?

 有希は勇吾が昨夜持ち帰ってきたと言った。しかし、勇吾にそんな記憶は無い。普通に考えたら、人に貰うなり道中で拾うなり、手に入れる前後の過程が存在するはずだ。

 しかし、こんなものを渡してくるような知り合いはいないし、道端に落ちていたとしても拾うはずがない。動物の死骸だと思って忌避するだけだろう。

 そして、今の勇吾にはそういった普通の想定を阻害してくる存在がある。


「……人狼」


 あの悪夢が現実だったのではないか。その思いが頭を離れない。少なくとも、夢遊病のように意識の無いまま外を徘徊して道端で毛皮を拾い、家に持ち帰ってきたという説よりかは現実味がある。しかし、そうすると納得のいかない点がいくつかある。


「生きてるしな…俺」


 あの夢では最後に勇吾は殺されてしまったはずだ。喉元を食い破る牙の感触は今でも覚えている。普通に考えれば致命傷を受けて生きていられるわけがない。

 改めて喉元に手をやるも、傷は無い。そのことが、現実か夢なのか判断を迷わせる。


「狼、だよな…」


 恐る恐る毛皮に触る。狼は日本においては大昔に絶滅してしまった動物だ。もちろん勇吾も実物を見たことは無い。しかし、ごわごわとした感触は、それが犬のような愛玩動物ではなく、自然の中を生きる獣のような荒々しさを感じさせた。

 そして狼の頭部。剥製のように生前の容貌を残しており、鼻や耳もしっかりと付いている。

 今は目を閉じられているが、下手に触れたら目を覚まして見開かれるのではないか――そう思わせるほどに生を感じさせる。

 しかし、なぜこんなものがあるのか。仮に人狼に襲われたのが現実だとしても、毛皮なんてものを手に入れることには繋がらない。


「呪いのアイテムとか…?」


 人狼に襲われた自分は呪われてしまい、その証として毛皮を人狼から贈られてしまった。強引に辻褄を合わせるとしたらそんなところか?

 呪いだの人狼からの贈り物だの、理屈としては眉唾物――というより妄想の類だが、無理やりにでも理屈付けをしないと不気味でしょうがない。


「……捨てよう」


 わずかに逡巡した後、リビングにゴミ袋を取りに行く。下手に処分しようとすると呪いによって危害を加えられるかもしれないとも思ったが、こんな物が部屋にある状況は精神衛生上よろしくない。

 可燃物用のゴミ袋に毛皮を突っ込み、部屋の外のガスメーターボックスの中に押し込んだ。毛皮って燃えるゴミだったか…?と一瞬思ったが、今は非常時なので許して下さい、とゴミ収集作業員の方々に心の中で謝罪する。

 バイトに行くときについでに捨てよう、と考えながらリビングに戻る。いろいろと不完全燃焼気味ではあるが、毛皮の件は一応決着はついた。

 気持ちを切り替えようと、パシリと両頬を叩く。効果があるかどうかは分からないが、キッチンにあった食塩を軽く両肩に振りかけて、お清めの真似事もしておく。

 こういうときに重要なのは正式な所作よりも、「お清めをした」という事実なのだと思う。

 そのおかげか心なしかスッキリしたような気分になる。毛皮を処分する目途がたったのも良かったのかもしれない。

 ひと段落して気が抜けたせいか、自分が空腹なことに気づく。昨日の夕方に、ファミレスバイトに行く道すがらコンビニで買ったおにぎりを食べて以降、何も食べていなかったことを思い出した。

 

「飯にするか…」


 夕飯を保存してくれていた妹に感謝しつつ、冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中には厚揚げの野菜炒めと茄子のお浸しがラップをかけて置いてあった。これに冷ご飯を温めれば立派な朝食になるだろう。

 

「はー…腹減った」


 今日は昼から倉庫整理のバイトで力仕事だ。しっかりと食べて昼まで寝て、英気を養わなくてはならない。

 手早くレンジで温めて食卓に並べる。作ってくれた妹に感謝して手を合わせる。いただきます、と呟いて箸を取るが――


「……?」


 なんだろう。妙な引っ掛かりを覚える。その違和感の正体が分からず、しばしの間食事とにらめっこをしてしまう。

 腹が減っているのだ、今すぐにでも食べたいはずなのに――箸が進まない。食欲はあるのに、目の前にあるものは食べたくない。そんな矛盾した気分だ。

 まるで、苦手な食べ物を並べられているかのようだ。別に勇吾は好き嫌いが激しいわけではない。むしろ野菜料理は好物の部類だ。

 かといって妹の手料理に問題があるわけでもない。むしろ妹は料理上手な方で、バイトで夕飯時に帰れないときはいつも妹が料理を作っている。勇吾はそれをバイト終わりに食べていた。

 なにもおかしいところは無い。もしおかしいとすればそれは――


「思ったよりも参ってるのかな…俺」


 昨夜から立て続けに異常なことが起こったせいで精神に異常をきたしているのかもしれない。ストレス過多の人は、味覚に障害が起こると聞く。もし勇吾がそうだとするなら、料理を食べたくなくなるのもしょうがないことだろう。

 

「…早く休まないと」


 たとえそうだとしても、栄養補給は必要なのだ。止まりそうになる腕を多少無理やり動かしておかずを頬張る。懸念していた通り、味はあまり美味しく感じられない。しかし、味覚が麻痺している割には野菜に残る苦味やえぐみが妙に強く感じられるのが印象的だった。


(作ってくれたのにごめんな、有希…)


 心の中で妹に謝罪しつつ、勇吾は残る料理を全て強引にかきこみ胃に詰め込んだ。



 自宅のマンション前にある共同ゴミ集積所。勇吾はその前にゴミ袋片手に立っていた。ゴミ袋の中身はもちろんあの毛皮だ。

 朝食の後、予定通り昼まで休息を取った。再びあの人狼の夢を見てしまうのではないかと不安ではあったが、想像以上に疲れていたこともあってか気が付いたら夢を見ることが無いほど熟睡していた。

 そして、バイトの出勤前に、この収集所に毛皮を捨てるために足を運んでいた。明日は燃えるゴミ回収の日。ここに置いておけば、明日の昼までには確実にゴミ収集作業員によって回収され、二度と目の前に現れることは無いだろう。

 ゴミ捨てには早い時間というのもあって、他にゴミは置かれていない。そこに毛皮が透けて見えるゴミ袋がポツンと置かれているのは中々異様な光景だ。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」


 手を合わせて適当なお経を唱えておく。不信心な自分にどれほどのご利益が期待できるかは分からないが…。まあ、仏様なら大丈夫だろう、と無責任な神頼みをしてバイトへと向かう。

 人狼に襲われようが、人には生活というものがある。呪われていようとも働きには行かなければならないのだ。


「よし、今日も頑張ろう!」


 願わくば、今日は帰り道に襲われませんように――。そんな淡い期待を胸に、バイト先へと歩き出した。




「お疲れさまでしたー」


「おう、お疲れさん!」


 バイトの指揮を執っていた社員の男性に挨拶をしながら後片付けを行う。時刻は夜の7時。あれから特に異変は無く、倉庫整理のバイトもつつがなく終了した。

 出勤途中にまた襲われるのではないかと少し怯えてはいたが、大通りなど人通りの多い場所を選んで通っていたのが良かったのかもしれない。

 何はともあれ、今日は早く帰れそうだ。帰りも大通りを選びながら帰ろう。そう心に決めて、作業着を着替えるためにロッカーへと歩き出した。すると――


「よお、大神!このあとバイト仲間で飲みに行かねー?」


 後ろから突然肩を組まれた。この声と馴れ馴れしさには身に覚えがある。


「…お疲れ様です、小代田さん」


 組んできた相手を横目に見ると、予想通りの顔見知りだった。

 同じくバイト仲間である青年、小代田草太。プリンのような色合いの金髪に染めた頭が特徴的で、その派手な容姿と言動からバイトメンバーの中でも非常に目立つ存在だ。

 彼も勇吾と同じくフリーターで、なぜかバイト先が度々被ることがあるという、いわゆる腐れ縁というやつだった。

 そのせいか向こうからは妙に気に入られてるらしく、こうしてよく飲みに誘われていた。


「すみません、家で妹を一人にさせているので…今日は早く帰ります」


「あー?そうか妹がいたんだっけ?なら妹ちゃんもつれて来いよ!一緒に飲もうぜ!」


「いや、妹は学生ですよ…」


 小代田はこの通りかなり押しが強く、距離感も近い。決して悪い人間ではないのだが…。正直、勇吾にとっては苦手なタイプの人間だった。


「いいじゃん、女子も何人か来るみたいだしさ!妹ちゃんはソフトドリンクにすればいいだろ?お前も彼女いないんだし、合コンやろうぜ!」


「流石に怒りますよ」


 いくら何でも悪ふざけが過ぎる。顔をしかめて警告すると、小代田はパッと肩組みを外し、手を挙げて降参のポーズを取る。


「分かった分かった、悪かったよ。また気が向いたときに飲みに行こうぜ!」


 あっさりと諦めると、勇吾の背中をバシバシと叩き、笑いながらロッカールームに引っ込んでいった。多少自己中なところはあるが、悪意はないのだ。勇吾が苦手としながらも付き合えているのは、こういうところがあるからだろう。


「はあ…。早く帰ろう…」


 仕事は終わった後だというのに妙な気疲れを感じつつも、勇吾はロッカールームに着替えに向かった。



 帰り道は人通りの多い場所を選んでいたせいか、いつもよりも多少時間はかかったものの、無事自宅のマンション前までたどり着いた。

 昨日のアレはやはり夢だったのではないか…?そう思ってしまう程度には、すでに人狼のことも記憶から薄れていた。

 そのままマンション玄関のオートロックドアを通ろうとするが……ふと視界の端にゴミ集積所が引っ掛かる。昼間に毛皮を捨てたそこには、すでに他の住民によって捨てられたゴミがうず高く積まれている。

 集積所の前まで来てみるが、勇吾の出したゴミ袋は見えない。確かめるまでもなく、他のゴミ袋の下敷きとなっていることだろう。

 何故勇吾の部屋に毛皮があったのか、結局は分からずじまいだったが…無理に解明する必要は無いだろう。もう、俺の目の前に現れないでくれよ…そう思いながらゴミ袋の山を漁る。

 時刻は8時前。いつもより早く帰れることは妹には伝えてある。最近は妹とろくに会話もしてこなかったのだ。今日は久しぶりに家族の団欒を楽しもう。勇吾は拾ったゴミ袋を片手に足早にマンションに入っていった。

 


「お兄ちゃんおかえりー」


「ただいま」


 妹の出迎えを受けながら部屋へと入る。おかえりと言われるのも久しぶりだな…と変に感動してしまう。

 スニーカーを脱いで上がろうとすると――妹が目を丸くしてこちらを見ている。


「お兄ちゃん?それどうしたの?」


「うん?何がだ?」


「手に持ってるそれ。ゴミ袋」


「…は?」


 ゴミ袋。何を言ってるんだ?そう思うと同時に――右手にビニールの感触があることに、今更ながら気が付いた。

 

 ゾクッ、と背筋に寒気が走る。


 手に何かを持っている。そんな、まさか――胸中で呟きながら、勇吾は恐る恐る視線を右手へと落とす。

 そこには――中の毛皮が透けて見える、ゴミ袋が握られていた。


「……い」


 いつの間に。そう言おうとした瞬間、記憶がフラッシュバックする。

 違う。俺は覚えている。

 集積所まで歩いていくところを。

 ゴミ袋の山を漁って毛皮の入った袋を見つけ出すところを。

 その袋を片手にこの部屋まで帰ってくるところを。

 俺は、覚えている――。


 俺は、無意識のうちに、自らの手で毛皮を取り戻していた。


 そう思い至った瞬間――勇吾の頭の中には、一つの言葉が浮かび上がった。


 『呪い』


 勇吾の悪夢は――まだ始まったばかりだった。


 


 

  


 

 

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