3話.偽装

 あれから数時間後。

 真堂により、急遽特殊ゲームへの参加を命じられた雲十たちは、施設の端にある更衣室で準備を整えていた。


 (……めんどくさ…)


 白衣を脱ぎ、ロッカーに入れ、雲十は指定された服に袖を通す。

 すると、突如背後で備え付けの鏡を覗き込んでいた成世が「うげっ」と声を上げた。


「やっば、カラー剤服に着いちゃった…うわ、びっしょびしょ」


 振り返ると、彼の周囲には黒い絵の具のようなものが派手に飛び散っていた。

 よく見ると彼の手には小さなはけのようなものが握られており、既に黒く染められた襟足からも、彼が自身の髪を染髪をしようとしていたのがわかる。

 成世は近くにあった雑巾で乱雑に服の汚れを拭き取ると、むぅ、とわざとらしく頬をふくらませた。


「てかなんで俺だけ髪色変えなきゃなんないの…黒染めなんて中学以来なんですけどー…」

「…」


 雲十たちはあの時、確かに真堂からゲームに参加するよう指示を受けたのだが。

 彼は加えて、二人を運営人としてではなく、あくまで一般人のプレイヤーとしてゲームに参加するよう命じた。

 つまり、真白のように他者の人格に成り代わってゲームをしろと言われたのだ。

 実際、二人の手元には既に、数年前に死亡した脱落者の情報が事細やかに記された参考資料が手渡されている。

 いわば特殊試行実験体の真似事だが、しかし、今回の目的は脱落者のデータを採取することではなく、ただ単に雲十たちの存在を秘匿するためのものだ。

 それゆえ二人は人格だけでなく、その容姿さえも指定された人物にできる限り似せなければならなかったのだが。


「雲十だけ地毛のまんまでいいなんてズルじゃん…俺真堂さんに嫌われてんのかな」

「…成世がいつもあの人怒らせるようなことするからでしょ」


 二人の会話からもわかるように、今回は成世だけが髪色の変更を強制されていた。

 雲十にあてがわれた人物の髪色はさほど雲十と大差なかったのだが、どうも成世は違ったらしい。

 真っ黒な液体が入ったカラーリングの容器を手に、成世は拗ねたように口をとがらせる。


(…管理室では、あんま顔に出てなかったけど)


 ぶつくさと文句を言いながらも、慣れた手つきで手際よく自身の髪を染めていく成世の後ろ姿を、雲十はしばらく黙って眺めていたのだが。


「………ねえ、成世ってさ」


 その細い背中に、雲十はどこか加虐的な笑みを浮かべた。



「あの怜也って子、嫌いでしょ」



 え、と。

 雲十の指摘に、成世の手が一瞬動きを止めた。

 彼の手に持つ櫛からぼとり、と、白く泡立ったカラー剤がこぼれ落ちる。


「…」


 問われた成世は動揺することなく、ただ呆然と雲十の方を見つめる。

 ついさきほどまで成世の独り言でうるさかった更衣室には、いつの間にか不穏なほどの静寂が訪れていた。

 …が、それもほんのつかの間。


「あー…」


 そう言って成世は一度顔を天井に向けると、数秒後。

 首を立て直し、どこか困ったように笑ってみせた。


「…やっぱ、わかっちゃう?」

「そりゃあね。見てればわかる」


 着込んだシャツの前ボタンをぷちぷちと指で閉めながら雲十が言うと、成世は吹っ切れたのか、あはは、と声に出して笑った。

 人はある一定の怒りの沸点を通り越すと、やがて笑いに変わってきてしまうと言われているが、彼も今その状態なのだろう。

 乾いた笑みを貼り付けながら、成世は「だってさあ?」と雲十に問いかけた。


「ムカつくじゃん、あーゆう奴」

「…」

「運営人になってゲームを終わらせたいーとか、仇討ちたいーとか、まあ色々言ってくれてたけどさぁ…俺からすれば、一回勝ったくらいで何調子乗っちゃってんの、って感じなんだよね」

「…」

「………こっちは何十戦も勝ち抜いて運営人なっても、殺したい奴一人殺せてねえんだよ。素人のくせに、わかったような口利いて、組織潰したいとか軽々しくほざかれんの…ほんと、マジでムカつく」


 成世はそう言って声に底知れない怒気を滲ませる反面、終始笑顔で喋り続けていた。

 彼の言う「殺したい奴」というのは恐らく、出資者である兄衣織のことなのだろう。

 雲十は既に把握済みだが、成世はかねてから実の兄である衣織に強い殺意を抱いていた。

 彼が運営人になったのも、単に衣織を殺害したいという目的があったためだ。

 そんな成世の様子に、雲十は、ふ、と軽く頬を緩ませると彼の顔から目を逸らし、シャツの上に薄い紺色のカーディガンを羽織りながら呟く。


「…ならいいや。今回は退屈しないで済みそうだし」

「え、何、雲十は今回俺がゲームでキレ散らかして暴れ回るとでも思ってるわけ?」


 相変わらずのおちゃらけた態度で苦笑する成世に、雲十は、まあね、と鼻で適当にあしらい笑みを零す。

 衣織への殺意が成世を動かしているように、雲十の動力源はまさに「自身が退屈しないこと」にあった。

 短絡的に言えば、「退屈しない」のであれば殺人さえも厭わないし、逆に退屈するのであれば何を積まれても行動しない。

 それが生来病的なまでに飽き性な雲十を、この異常な場に留まらせている原因の一つであったのだが。


「…?」


 カツン、と。

 早くも身支度を済ませ、ロッカーに脱いだ服を押し込んでいた雲十の指先に、突如、何か固いものが当たった。


(…なにこれ)


 服の一部でも、アクセサリーの類いでもない。

 覚えのない感触に雲十はその物体を服の下から引き抜くと、出てきた物を目にし、ぴたりと体を硬直させた。


「………成世、これ」

「ん?」


 いつの間にか染髪を終えていた成世が雲十の声に反応し、こちらに体を向ける。

 雲十の手には、太い金属製の首輪が握られていた。

 それを見た成世は、あぁ、と思い出したように声を上げる。


「それ、真堂さんからだよ。今回の処刑道具だってさ。ゲーム始まる前に付けておけって」

「じゃなくて。…これ、電流流れるやつ?」

「え?」


 雲十の質問の意味がわからず、成世は首を傾げながらも「そうだと思うけど…?」と曖昧な答えを彼に返す。

 デスゲームでは効率よくプレイヤーを殺害するため、時折こうして簡易的な処刑道具が参加者に取り付けられる場合があった。

 過去には爆弾装置や特定の条件を満たすと発射される毒ガスなどが用いられていたのだが、今回はどうやらプレイヤーがはめた首輪に電気が流れ、電気ショックで殺害される仕組みらしい。


(…また、…)


 成世の返答に、雲十は「…そう」と浮かない顔で答えると、手に持った首輪をそのままゆっくり自身の首へと巻き付けた。

 しかし。


「…」


 装着完了、といったすんでのところで、雲十はぴく、と動きを止めてしまった。

 少しの間考え込み、熟考した末、彼は成世の胸に突如ぐいと自身の首輪を押し付ける。


「え、」

「…」

「…あのー雲十さん?これは…」

「………これ。成世がつけて」

「はい?」

「いいから」


 雲十はそう言って首輪から手を離すと、くるりと成世に背を向け目を閉じた。

 早く取りつけろと言わんばかりの体勢だ。

 成世は押し付けられた首輪を手に、しばらく困惑していたが。


「あぁ~…」


 何か思い当たる節を見つけたのか、彼はにやぁ~っと顔を綻ばせた。

 嬉しいような、それでいていじめたくなるような高揚感が成世の胸に押し寄せる。


「さては雲十、怖いんでしょ~?見た目によらずかぁーわいーなぁ~」

「…うるさい。いいからさっさとして」


 口では否定しつつも、どこか分が悪そうに顔を背けることから、成世の指摘はあながち間違ってはいなかったのだろう。

 稀に見ない雲十の弱点発見の嬉しさに、成世はにやにやと薄気味悪い笑顔を浮かべる。

 …これは限られた人間の内でしか知られていないことだが、雲十には体が感電した際に示す拒絶反応に関して、とある厄介な体質があった。

 何度検査をしても異常は見つからず、結局放置してしまっているのだが。


「そんな心配しなくても大丈夫だって。真堂さんだって毎回療養期間くれてるでしょ?」

「…だからそんなんじゃないってば」

「じゃあ何。俺にこれつけてほしかったとか?雲十ってそういう趣味だったっけ」


 頑なに自身の欠点を認めようとしない雲十に、成世は彼の前に首輪をぶら下げてみては意地悪く耳元でそう囁く。

 ふわりと成世の心地いい声と吐息が、雲十の耳に降りかかった。

 雲十は振り返り、じとっとした視線で成世を睨みつける。


「…きも」

「え、それはさすがに傷つく」

「…もういいよ、自分でやるから」

「あーはいはいごめんって。ほら、やってあげるから首出して」


 成世がそう言うと雲十は渋々前を向き、「…ん」と自分の襟足をぐいっと持ち上げた。

 まだ誰にも汚されたことのないであろう、彼の真っ白な初心な肌があらわになる。


(…うわ、やっば。えろ)


 首輪を手に持ちながら、成世は真顔でそんなことを思った。

 はーっと片手で額を押さえ、深いため息をつく。


「………俺、雲十のそういう無防備なとこどうかと思う…」

「は?」

 雲十が再び苛立った顔で睨んでくるので、成世は「なんでもなーい…」と返事をし、なんとか気持ちを持ち替えた。

 カチャ、と雲十の首に銀色の首輪をあてがい、今度こそ首輪を装着する。


 (………もし、今。俺が)


 何個か複雑な留め金を取り付け、最後の一個のところで手が止まる。

 この部分をはめてしまったら、雲十はもうゲームが終わるまで、この首輪を外すことは絶対にできない。

 成世のせいで、二度と雲十に会えなくなってしまうかもしれない。


「…」


 成世と雲十の関係は、現に体だけで繋がっている状態だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 相手が死んでも涙すら流さないし、きっと、お互いすぐ忘れる。

 二人の関係は深いようで、それでいて、驚くほど薄っぺらいものだった。

 たとえ今回のゲームで死んだとしても、悲しみすらしないだろう。


「…」


 それに、ゲームで負けたとしても真堂が二人を殺すとは思えなかった。

 彼らはこう見えても、運営側にとっては必要不可欠な存在だ。

 組織も真堂も、それを十分にわかっている。

 仮に電流が流れたとしても、せいぜい気絶させられるくらいだろう。

 ……それなのに。


 (…こんな首輪投げ捨てて、俺と一緒に逃げようって言ったら……雲十、なんて言うんだろ)


 馬鹿げた考えだというのはわかっていた。

 運営人たちは組織に加入した以上、生涯施設の中で生きることを強制される。

 必要な物資は担当者に伝えれば大方揃えてくれるが、施設の外には一歩たりとも出ることは出来なかった。

 あと何年、何十年先も。

 成世たちは組織の奴隷として、この地獄のような世界で生きていかなければならない。

 逃げ出せば、すぐに殺される。

 何より成世には果たさねばならない復讐があるし、雲十はここをそれなりに気に入っていた。

 そもそも、危険を犯してまで逃げ出すメリットがない。

 …ない、はずなのだが。


 (俺……なんでこんなこと考えてるんだろ)


 抱いている感情の裏腹、こうも浮かび上がってくる噛み合わない心情の数々に、気持ち悪くて吐き気がしてくる。


 (…きっしょ、俺)


 気持ち悪くて、気持ち悪くて、気持ち悪くて。

 苛立って、憎くて、妬ましくて、本当に仕方がない。

 


だって、初めから成世は心底雲十のことが―



「…ねえ、まだ?」


 髪を持ち上げながら、雲十が後ろ目に鋭い視線を向けてくる。

「腕、痛いんだけど」と相も変わらず憎たらしい言葉を吐いてくる彼に、成世はとうとう理性を途切れさせた。

 沸き立った苛立ちに身を任せながら、彼の首に顔を近づける。

 そして。


「い…っ!?」


 ガリ、と。

 雲十の白く、細いうなじに噛み付いた。

 びくっと彼の肩が揺れ、突き立てた歯からじんわりと血が滲む。

 珍しく雲十が焦った声を出した。


「ちょ、成世、なにしてんの…やめ、っ」


 派手に抵抗される前に成世は雲十の両腕を押さえつけ、ガンッとロッカーに押し付けた。

 黙らせるため、首につけた口からヂュッと一気に息を吸い上げる。

 いわゆる、キスマークというやつだ。

 痛、と雲十が微かに悲鳴を上げる。


「やっ、ね、ちょ…ぅ、」

「…」

「っ、なる、せ…ッ」


 雲十がなんとか拘束を解こうと手を動かし、その振動でロッカーがガタガタと音を鳴らす。

 その間にも成世は下から上へと順にゆっくり、そして乱暴に雲十のうなじを犯していった。


(…ぐちゃぐちゃにしたい。ぐちゃぐちゃにして、壊したい)


 歯を立てては舌を這わし、吸い付いて。

 両手を押さえつけ、つーっと一度優しく舌先で舐め上げて、何度も繰り返しては、雲十にじわじわと苦痛を与えていく。


「…ぅ、ぐ」


 息が荒くなり成世の体が熱を持ち始める反面、雲十は終始痛みに顔を歪ませ、苦しげな声を上げていた。

 雲十は行為の際余計な前戯を嫌ったため、成世に自身の陰部以外を触らせたことがなかった。

 当然、首を触らせたことすらない。

 よって今の状況は雲十にとって、首筋に痛みだけが走るだけの苦痛な時間でしかなかったのだが。


「…!」


 はた、と。

 突如成世は、雲十の肌から口を離した。

 噛み跡と赤い痣でぐちゃぐちゃになった白い首筋。

 ―そこに、何かが突き刺さったような痕がある。


(………あの時の、)


 かつての古傷が痛み、成世の動きが停止する。

 その隙を、雲十は見逃さなかった。


「ッ…ね、ぇ…っ!」

「!」


 痺れを切らしたのか、雲十に力ずくで体を押し返され、ばしっと腕を払われる。

 振り払われた自分の腕がズキズキと疼き、やけに痛い。

 雲十は振り返ると痛みで真っ赤にした顔でキッと成世を睨みつけ、肩で息をしながら呟いた。


「……頭おかしいんじゃないの…?」

「あー…」

「二度としないで。…次やったら殺す」

「…うん、ごめん」


 雲十の首には、いつの間にか首輪が取り付けられていた。

 しかし成世のつけた傷跡の数々はその太い首輪では隠し切ることが出来ず、彼の首には痛々しいほどの歯型と赤黒い内出血の跡が残ってしまっていた。

 雲十はロッカーから必要な荷物だけを引っつかむと、明らかに機嫌を損ねた様子で、そそくさと更衣室から出て行く。

 部屋には、呆然と立ち尽くす成世だけが取り残された。


(…雲十、怒らせちゃった)


 ぐい、と彼の血で汚れた口元を手の甲で拭い、ぼんやりとした頭で成世はそんなことを考える。

 こんなことになるのも、別に今日が初めてじゃない。

 むしろ、口喧嘩など日常茶飯事だった。

 成世がちょっかいを出し、雲十が呆れ、無視をする。

 今回は、たまたまやり過ぎてしまっただけだ。

 だが時間を経てば、また二人はいつものように元通り。

 何事も無かったかのように体を重ねる。

 …しかし。


(…なんか、痛い)


 セフレになり、一緒に時間を過ごし、相手のことを知り、何度体を重ねても、成世の根本にあるものはやはりあの頃から変わっていなかったのだろう。


「…」

 


…もう、平気だと思っていた。

 


 変われたんだと思っていた。

 この感情に、見ないふりをしていた。

 忘れたふりをしていた。

 その方が、楽だから。

 憎むのは、疲れてしまうから。

 だから、笑って。

 ふざけて。

 取り繕って。

 誤魔化して。

 必死に、隠してきたのに。



「…あー………駄目だ。やっぱ俺、」

 

















「……………………………………………………雲十のこと、嫌いだわ」

 

 









 ―不破成世はあの日から、彼が思う以上に蓮水雲十を嫌っている。

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俺たちのハッピーエンド! 茶々丸 @sidukimasiro

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