第8話 襲撃事件
『多様性理解促進法案』はまず間違いなく衆議院を通る見通しなのじゃ。
なぜならば、ほとんどの野党は『平等な政治』を謳っており、こういう法案はウェルカムだからじゃ。
むしろ反対が出るとすればワシらの民自党で、もし党内の三分の二が反対票を投じたらこの法案はぽしゃってしまうのじゃが、自分のところで提出した法案を半分以上が反対するなんてまずあり得ないし、なにより今回は党議拘束がかかっておる。
通過しない道理がないのじゃ。
なんかもやもやするがまあ仕方ない。
ワシ、政治なんてよくわからんからのう。
「…………」
じゃが、仕方ないですましてええんか。
ワシは生前、テレビでのらりくらりとやる気のない政治家を見ながら殺意を覚えたもんじゃが、仕方ないと割り切ってしまっておるワシはあのときの政治家と同じなんではないか?
党議拘束がかかっておるとはいえ、どう転んでも通過することがわかっておるとはいえ、議論尽くされてもないことに黙って従う前になんかせねばならんのではなかろうか。
しかし、どうすればええかわからん。
そんな風に悩んでおるときじゃ。
『なんじゃ、邪悪な気配がうごめいておる?』
なにやら異様な気配を近くで感じたのじゃ。
ワシはいやな予感がしてそちらへ走った。
む? 何やら怪しげな人影がいくつも地下駐車場へ。
『トヘロス』
この呪文は気配を消すことで敵に察知されにくくなる。ドラクエでは、弱い敵とのエンカウントが面倒なときによく使われる呪文じゃ。もちろん、ワシよりもレベルの高い敵であれば見つかるし、弱い敵でも絶対に見つからないわけじゃない。
ワシは気づかれないように怪しげな奴らの後をつけた。
その時じゃ。
なんじゃ? 地下駐車場じゃから見やすいように常に明かりがついておったのに、急に消えたのじゃ。
「きゃ!」
それに合わせて女性の悲鳴が聞こえる。
いきなり真っ暗になれば誰でも驚くのじゃ。
「だ、誰ですか?」
その声色にはかなりの警戒が加わっておる。
もしや、さっきの連中が女性を襲おうとしておるのか?
そんなことは絶対に許さんのじゃ!
ワシは声の方へ走った。魔物と戦うようになってから、なんとなくなら暗闇でも何があるかくらいはわかるのじゃ。しかも呪文のおかげで足音は聞こえん。
ぬ! 大勢が一人の女性を取り囲んでおるようじゃ。
しかし、奴らは何でこの暗闇で周りがわかるんじゃ? ワシでもなんとなくでしかわからんというのに。
ええい、ままよ!
『レミーラ!』
ワシが呪文を唱えると、蛍光灯ではなく周りの空気が穏やかに光り始めた。
「何だと?」
「明るくなった!?」
取り囲んでおる者たちは黒ずくめの格好をして、なおかつ赤外線ゴーグルを装着しておった。そしてそれぞれの手には警棒のような武器が握られておる。これは素人のやることではないぞ。
そして、奴らが取り囲んでおるのはなんと、プロトンちゃん――南山陽子議員ではないか!
彼女に対して狼藉を働こうというか!
許せん!
「とう!」
イメージトレーニングはそのまま肉体の挙動に効果があるのは、ワシの若い頃から言われておった。魔物と戦ってきたのは精神でしかないが、肉体はそれとかなり近い動きをしてくれたのじゃった。
「なんだ、お前は!」
慌てた敵が殴りかかってきても、ワシはひらりとかわし、カウンターパンチを食らわすのじゃ。
そして、数回の攻撃をかわした後、敵の一人が叫んだ。
「待て、こいつは議員の小室積拳四郎だ!」
「なんだと?」
「て、撤退だ!」
怪しげな連中はワシを見るなり逃げていったのじゃ。
誰か一人でも捕まえとけばよかったと思ったが、まずはプロトンちゃんの安否が重要なのじゃ。
「南山先生、大丈夫ですか?」
「あ……け、拳四郎さん……あ、ありがとうございました……」
茫然自失としながらも、プロトンちゃんはワシに気づいて礼を言ってくれた。
「けがはありませんか?」
「手首をたたかれて……少し腫れたみたいです。ですが、あなたが来てくれたおかげでそれ以上のことはありませんでした……」
そう答えると、気丈にもかわいらしい笑顔を向けてくれたのじゃった。
ああ、それ大好き。
しかし、地下駐車場の電気を消したことから、かなりこの襲撃は綿密に仕組まれておったことがわかる。ここの電気を消すことは一般の利用客にはできるはずがないからじゃ。
「なぜ、南山先生が襲われるようなことが?」
「わ……わかりません。あ……でも、もしかして……」
「なにか心当たりが?」
「あるとすれば……というだけのことですが……」
つまり襲われる理由はあるけど、普通ならそれで襲われるとは考えにくい軽微すぎる理由ということじゃ。
「今日、赤山先生たちと一緒に『多様性理解促進法案』の提出を見送るよう、総理を説得しに行ったのです」
「え?」
赤山先生というのは、衆議院議員の
「民自党内でもあの法案には懐疑的な人が多く、もっと議論を積み重ねなければならないという意見は多かったのです。にもかかわらず党議拘束をかけるということに不満が募っていました。赤山先生は同じ思いをもった議員を集めて総理と話し合いをしようとしたんです」
なるほど、その手があったか。
「集まったのは五〇名ほど」
「そんなに?」
「ええ、ですから私たちはこれなら総理は話を聞いてくださると思いました」
「聞いていただけなかったのですか?」
「いいえ、きちんと聞いていただきました。穏やかに話し合いは進み、総理が『検討しましょう』とおっしゃったので私たちは解散しました」
むむ、橘真田の検討は常套手段じゃないか。
「私たちは総理に刃向かったという形になります。もしかすると、それが原因なのかもしれません」
「だとすると、他の議員の方も?」
「わかりません。私の思い過ごしかもしれませんし。あるいは、全然違って……例えば、私が法務大臣として死刑にサインしたことによる抗議活動かもしれませんし……」
プロトンちゃんを襲ったのは七人ほどじゃった。電気を消した奴とかも合わせると十人くらいになるかもしれん。これを五〇人にやるとなると五〇〇人が必要じゃ。隠密に襲うには多すぎる人数じゃ。
彼女だけを狙ったと考えるのが妥当じゃろう。
うずくまるプロトンちゃんの肩に手をやると震えておった。
どうすべきか悩んだ挙げ句、やはり不安を少しでも和らげるべきと判断したワシは、彼女の肩をそっと抱いてみたのじゃ。
それはすごく勇気のいることじゃったが、プロトンちゃんはボロボロと涙を流し始めたのじゃ。そして声を殺して泣いた。
女性経験のなかったワシじゃが、さすがにわかる。
彼女がこれまでいかに不安にさいなまれながら大臣職を続けていたかを。
そして、ワシの行為が少なくともこの場ではその重圧から解き放つことができていたことも。
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