第3夜 MCバトルと和歌

仮説を二つ考えてみました。


一つ目はそれらの畑の方々が攻撃している張本人だから

もう一つは世の中の雰囲気的な問題。


一つ目に関しては言えることはたった一つです。

もしそうであればやめましょう。お互いにとって良くないです。


問題は二つ目の雰囲気的な問題。無意識レベルのイメージの問題といったほうが分かりやすいでしょうか。

言葉にすることが難しいので、例で説明していきます。


私はHIPHOPが大好きです。数年前MCバトルを観てハマってしまいました。

これらにはという要素があります。もしよかったら調べてみてください。あまりに高度で驚くと思います。


かっこいいビートの上で韻を踏むわけですが、もしも親父ギャグをいったらどうでしょうか。

みたいな。


正直かっこいいとは言えませんよね。はっきり言ってダサいです。

でも同じ韻を踏んでいることは間違いないでしょう。


では俳句はどうでしょう。俳句に対して造詣が深いわけではないので、あまり適当なことは言えませんが、俳句にも韻を踏む文化があるようです。


また、中国の漢詩にも韻を踏む文化があります。これもあまり詳しくないので細かいことは分かりませんが、ルールに則って規則的に韻を踏むらしいです。高校時代習いましたが忘れました。


同じ韻でも俳句のほうが親父ギャグよりも高尚な感じがしませんか?

なぜかは説明できませんが、私の中にはそういうイメージがあります。共感していただけるかな?


また、HIPHOPにはサンプリングという文化があります。例えばMCバトルでは、流れたビートの元曲のワンフレーズや有名なバース(韻文)を取り入れると湧きます。


これって和歌の本歌取りってやつと同じですよね。


某ラッパーの方が、料理長、調味料、超魅了という韻を踏んでいました。

料理長と調味料は縁語だし、その流れで超魅了までもっていくのはすごいと思いました。


でも正直、同じ即興でも和歌のほうが、一般的にハイセンスなイメージがありますよね?悔しいですけど。


でもなぜかは証明できない。無意識の問題だから。


純文学>大衆文学>ビジネス本、自己啓発書>漫画、ラノベ、ネット


というイメージは正直私も理解できます。

でもだからと言って差別するのっておかしいと思いませんか?


そこで、思いついたのがカクヨム最強説です。

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