第2夜 娯楽としての本は殺された

おそらく小学生にある時期に読書の頻度を聞けば100%毎日と答えるでしょう。

それは読書週間です。

毎朝5分から10分本を読ませる期間です。調べたことないので分かりませんが、大体2週間、年に数回程度行われ、学校によっては高校まであるようです。


これってどうなんでしょう。


本って娯楽じゃないんですか?


教授や作家の方々は例外ですが、その他大勢の人にとっては本は娯楽もしくは情報を得るためのツールであるはずです。


活字文化を根付かせようとすること自体は理解できますが、強制するのって逆効果じゃないですか?


私はそれで嫌いになった気がします。昔は読み聞かせとか好きだったけど。

私の学校では読むことが強制なのはもちろんのこと、本を忘れると廊下に立たされました。辛かったです。


本って自由に選んで、自由に初めて、自由に辞められるから楽しいんじゃないんですかね?

どんなに好きな食べ物でも毎朝強制的に口に突っ込まれたらそりゃあ嫌いになるでしょう。しかももしそれが元々好きじゃないものだったら。もしも嫌いなものだったら。


もちろん習慣としての読書は大切だと思います。私も時間に余裕があれば、自主的に朝読書をしています。しかし、やはり強制することは良くないですよね。生徒の自主性に任せるべきです。


また、辛い思い出をお持ちの方も多いと思いますけど、読書感想文ははっきり言って論外です。もはや言うまでもありませんが。ただ、コンクールとかはいいと思いますよ。


もちろんですけど。


私は漫画や稀に読む小説、古典作品等は完全に娯楽として読んでいます。

もう一度強調しておきますが、としてです。

自由に読む分には最高に楽しいです。


子供たちや若者(彼らの成長後)が本を嫌いになる原因は大人ないし彼らが作ったシステムであるように思えます。


また、実用的な一面があることも本の魅力の一つでしょう。

ビジネス書や自己啓発本は実際にビジネス等で何度も助けられました。


情報ツールとしても本は優秀です。

インターネットと違って簡単に更新できないし、いつでも最新の情報が書いてあるわけでもありません。これが本の最大の弱点であり、最大の強みです。

著者の経験や情報が編集者の皆さんによって(あるいは読者によって)精査され、少なくとも当時は生き残った情報が載っています。また、今は使えない情報となっていても、当時の最先端の情報が読めたりしてとても興味深いです。

特に古典は時代の荒波を乗り越えて現在まで読み継がれているわけですから、価値があると思います。

しかし、情報ツールとしての読書(特にビジネス本や自己啓発書)は忌み嫌われる傾向にあるように感じます。


漫画やラノベを一方的に悪(低俗なもの)と決めつけ、ビジネス本や自己啓発書をあざ笑う風潮はどうなんでしょう。

しかし、小説(特に純文学)と古典はそれらの攻撃をかわしているように思えます。


何故?


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