流転する太陽 〜逃亡者編〜
澤いつき
プロローグ
荒れ果てた大地、見渡す限り灰茶色した砂と石礫が剥き出しに転がる土地。
少ないながらも自然の営みを思い出させるように自生する木々は、一部を残して燃え殻となっていた。
辺り一面に漂う強烈な焦げた匂いと濃密な『死の匂い』。
まるで墨汁を水面に垂らしたかの如く、鼠色の雲が頭上を暗く広く覆い尽くしていくと、周囲は瞬く間に黒く沈み、ポツリポツリと糸を引くように雨粒が天から落ちてきた。
やがて本降りとなった冷たい雨は、小さく燃え残っていた炎を消していく。
最後の残火を揺らめかせ、一筋の煙を立ち上らせた枯れ木の周りには、壊れた人形のように魔物たちが横たわる。
数十体のオーク、ゴブリン…… その顔に恐怖と絶望を宿したまま物言わぬ焼け爛れた
◇
〈魔世界/デーモニア〉には数十の国や地域が存在している。その中でも比較的に大きい国家であるユーダリル王国。その東方。切り立った山々に囲まれた小さな窪地。
背の低い枯れ木が連なる、どこか寒々しいこの地域にはボグと呼ばれる酸性の泥炭が蓄積している湿原であり、
ユーダリル王国東方の国境付近に位置する
しかし今は、死骸…… 死骸…… 死骸……。
ある地点から逃げ出すように、放射状に折り重なる魔物の死骸が累々と転がっていた。
その凄惨な状景の中心、雨に打たれて佇む魔物が一人。
彼女の濡れた
白磁器ように美しい小さな角が左右二本、
名をデルグレーネ。親が付けたわけでも自分で付けたわけでもない名。いつの頃から彼女がそう呼ばれていたのか覚えてはいない。
人間でいうと十代後半の容姿であるが、その歳は分からない。
そう、彼女は自分の事を何も知らない。
頬を拭こうと軽く揚げた右手に視線を落とし、べったりと付着した返り血に気がつき少しだけ眉を八の字に寄せる。
その白く美しい肌の上、肘から指先まで漆黒の鱗で覆われている両腕を改めて見つめた。
鋭利な刃物のように伸ばていた爪を元に戻し、未だ指先からポタリポタリと滴る鮮血を勢いよく地面へ叩きつけると、降り頻る雨粒を見上げるように顔を向ける。天然のシャワーは程なくして彼女に纏わり付く死の汚れを落としていった。
髪と同じ
不意に人形のように整い無表情だった顔を
先程まで戦っていた相手より受けた脇腹の傷がズキリと痛んだ。
ジクジクと血が染み出し疼く傷口に手を押し当てて、軽く止血する。
顔を打つ雨粒が痛いほど勢いを増した雨にしばらく打たれると、その双眸を開きチラリと辺りを見渡す。
その視線の先には、先ほど彼女が屠った魔物たち、オークやゴブリンの
その
それは『魔素』と呼ばれるエネルギー。
魔物の多くは魔素と呼ばれるこのエネルギーでその肉体を構成している。
その肉体に『魂』が宿ることで、一人の魔物としてこの世界に生を受けることとなるのだ。
死者となった者の魂は〈魔世界/デーモニア〉と別の並行世界である〈死世界/タナトピア〉へ導かれ、魔素は器となる肉体からが抜け落ちると、やがてこの世界に還る。
今も転がっている
多くの魔物が命を散らしたこの場では、濃密な魔力が大気と混じり合い、ずっしりと中空を固めていた。
「【マナ・アセンブル】……」
ねっとりと肌に
まるでデルグレーネの声に呼応したように、漂っていた魔素はゆっくりと動き出す。
魔法陣を中心として渦を巻きながら魔素が集まると、やがて暗雲の様に固まり、彼女の頭上を旋回する。
両腕を広げ集積された魔素を圧縮し凝縮を繰り返す。程なくして人の頭ほどの大きさとなった高濃度の魔素を、抱き抱える様に優しく自身の体内へと取り込んでいく。
そう、彼女は
◇
仄暗い世界の片隅で私は生まれた。
生まれた? いや自我が目覚めたというのか……。
とにかく何となく記憶にあるのはその時からか。
純粋な魔素の塊から生まれ落ちた私は、感情はおろか意思すら持たない脆弱な存在であった。
フワフワ、フワフワと漂いながら魔素を喰らう。
それは誰にも見つかる事も気にされる事もなく成長していく。
――――どれ位の時が経ったのだろう。
魔素の塊だったそれは、やがて有機体となり肉体を持つ。
屍から魔素を漁っているだけであった微弱な存在は、やがて脆弱な動物や魔物を捕食し、そのエネルギーを喰らうようになる。
――――どれ位の時が経ったのだろう。
突如として一つの感情が現れた。
何も考えず目の前の者を捕食するだけだった私は、その感情が出現した瞬間に全てが変わった。
芽生えた感情…… それは『恐怖』。
先程までは感じられなかった強烈な他者の存在。周りにいる全ての者の視線を感じる。
――自分は見られている。
怖い怖い怖い怖い……。
なんで怖いのか…… わからない。
私という存在を気取られぬよう、見つからないよう隠れる。
負の感情の中で成長し、喰らえば喰らうほど『恐怖』が理解できるようになってきた。
次に喰われるのは自分であると。
ああ、自分の死が怖い――。
私を構成する根本の部分が死を許さない。
いや、許してくれない。
それが恐怖となり、私の体と勝手に動かす。
ビクビクと逃げ回り、ただ生き残る為に殺して喰らいまた殺す……。
やがて自分の力を理解し始めた。
――――どれ位の時が経ったのだろう。
私を狙い襲ってくる者が増えてきた。
それと同時に、襲い来る者たちへ対抗するだけの力を手に入れていた。
長い長い年月を闇に隠れ、自身でも気が付かないうちに。
しかし、それは決して望んで得た力ではない。
ただただ必死で恐怖から逃げていただけに過ぎないのだから。
恐怖を振り払おうともがいているだけで、他者を殺害することの愉悦など感情の昂りは持ち合わせてはいない。
いや、生き残った安堵は快感というべきか……。
――――そして。
何故怖いのか。漠然としながらも少しずつ分かってきた気がする。
生まれて自我に目覚める前から、『死』への恐怖は本能的にあった。しかし……。
私がこの世界に生まれ落ち、他者を殺して喰らい、嘆きながら生きている意味は?
死を恐れ、恐怖し、抗ってでも生き残ろうとする意味は?
きっとそれは有るはずだ。生きる事の意味が。
そしてそれは私が私であるための理由……。
――――でも、その理由が見つかったら私はどうなる?
考えても答えの出ない問は、いつしか空虚な『願い』となっていた。
いつしか自分自身に納得できる答えが見つかることを――。
そして、その先にある未来を――。
◇
抱き抱えていた高濃度の魔素は、全て彼女の胸の中に流れるように取り込まれていった。
軽く肺の奥から息を漏らすと、先ほどまで降っていた雨が止んでいることに気がつく。
雲の切れ間から陽の光が差し込み、彼女の美しい顔を照らすと、その
「また…… どこかへ行かないと……」
寂しそうに面倒臭そうに呟くと、身につけている衣服と同色である漆黒の翼を背中から生やすように広げる。
烏の羽のように艶やかな濡羽色の翼を数度、地面へ打ちつけてふわりと空中へ浮かぶと、引き絞られた矢の様に凄まじいスピードで天を駆けた。
やがて数時間ほど空を飛翔すると眼下に色濃く広がる森に気がつき、その中へ身を隠すように滑り込んだ。
「いつか誰かが…… 私が知りたい事を教えてくれるかな……」
美しき一人の魔物は、悲しげで期待に満ちた複雑な表情を浮かべ、
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