第39話 真、偽、そして死
晴明が連れてこられた場所は、ある部屋の前だった。
「この向こうに、ルカノール王がいる」
扉を指さしながらジャイルズが告げる。
「緊急事態が起こった時、徹底的に守りを固められるように魔術防壁が張られている場所だ。だが、まもなくそれは無効化される」
扉のあちこちには黒いインクで陣が描かれている。不規則に赤い光が明滅しており、術が作動しているのが見て取れた。
「……なるほど、防壁を打ち消す術式か」
「少し時間はかかるが、あと10分ほどで扉は開く。そうなったら、安倍晴明じきじきに、王の命を奪ってもらいたい」
冷たい宣告だった。
そばにいたフランシスが、晴明に大振りの短刀を手渡してきた。これで殺せ、ということらしい。
「正直を言うと、こういう策を弄するやり方は好みではない。とにかく、誰も彼も殺してしまえばいいと思っていたんだが……それはやめろと部下がうるさく進言してきてな。仕方がなく、回りくどいやり方を取っている」
ジャイルズは愚痴のように言うと、晴明たちに背を向けた。
「それでは、私はやることがある。ここは任せる。フランシス、見張っておけ」
「了解しました」
威圧するだけしてジャイルズはあっさりと去っていった。
(……恐怖と威圧で、人間をコントロールしてきたようだな。恐ろしい奴だ)
晴明は渡された短刀を見つめる。腕一本分ほどの長さを持つそれは、人の命を奪うには十分そうだ。
(誰が、いいなりになるものか)
晴明はここを切り抜ける方法を必死に考える。
だが、不安がつのるばかりだ。この状況で、周囲にいるマフィア数人に大立ち回りできるかは未知数だ。そもそも奪われた符を取り返すところから始めねばならない。
特にフランシスの強さに関しては、晴明が身に染みて味わっている。
(だが、やる。こうなったらやらねばならない。刺し違えてでも、今考えたことをやらなければ)
悲壮な決意を固め始めたその時、晴明の心に聞き覚えのある声が響き始めた。
『……晴明。安倍晴明、聞こえるか?』
(?!)
どこからともなく聞こえるその声は、晴明の頭の中から響いていた。
『私だ。ルカノールだ。今、お前の脳内に直接語り掛けている。そのままで聞いてほしい』
(ルカノール陛下……!!)
晴明は刃物をじっと見つめ、葛藤に苦しむ振りをしながら心の中で受け答えをした。
『君の目の前の部屋に、私はいる。思念伝達魔術で君にだけ声を届けている。面目ないが完全に不意打ちを食らってしまった』
(私もです。ご存じかもしれませんが、裏で糸を引いているのはジャイルズです。仲間を人質に取られてしまい、私も協力を強いられています)
晴明が伝えると、ルカノールが無念そうにため息をついたのが分かった。
『やはりそうか。実は、ジャイルズには裏があると思って調査させていたんだ。それが裏目に出てしまったようだ。まさかこんな強硬手段に打って出るとは』
(そこから脱出できそうですか?)
『残念ながら無理だ。護衛の者も殺されてしまい、どうにか私一人で逃げ込んだんだ』
絶望的な情報に、晴明は言葉もない。だがルカノールの口調は前向きだった。
『安倍晴明。この状況を切り抜けるには、もう私が死ぬ以外にはないようだ』
(そのようなことを言わないでください、陛下)
『分かってる。こっちだって死にたくはないさ。だから、私に考えがある』
(……何か策があるんですね?)
晴明の問いに、ルカノールは力強く答えた。
『安倍晴明。私の命運を君に託す。時間がない、よく聞いてほしい』
(うかがいましょう)
『本当に即席の作戦だ──演技力がカギだぞ』
◆◆◆
やがて、扉の防壁が全て消え失せた。
フランシスが頷き、晴明の背中を叩く。
「さあ、安倍晴明さんよ。心は決まったかな?」
人質をとり、王を殺させ、「王殺し」の犯人に仕立てたうえで殺す。
この策を考えたのはルーファスである。
人質をとり、恐怖で縛り付ければ、どんな人間も必ず言うことを聞く──それがルーファスの考えだ。
安倍晴明はため息をつき、ゆっくりと頷いた。
「分かった。私にやらせてくれ」
「ほう、覚悟が決まったか」
「……実を言うとな。この安倍晴明、君たちのボスの考え方に一理あると思っている」
フランシスの眼をじっと見つめ、晴明は言った。
「平穏な国を作るため、独裁国家をつくる……もしかしたら、そう悪い考えではないのかもしれん」
「ほぉ。俺たちの味方になってくれると?」
「……私はこの世界の出身ではない。だからこそ公平な目でこの国を見ることができる。ジャイルズのような力強い男には初めて出会った。そちらにつくのも悪くないかも……という程度の感情だ」
目を細め、フランシスは薄く笑った。
「本当か? 適当言ってごまかすつもりなんじゃないのか」
「信用したまえ。第一、こちらは人質を取られている。流石にそんな状況で逆らうほど愚かじゃない」
王が隠れている扉が開かれた。フランシスと晴明は中へ入る。
だが王はどこにもいなかった。家具や調度品が置かれた薄暗い物置だ。
「いないな。隠れたか」
「……あそこの棚の中に王が隠れているようだ」
大きな、こげ茶色の棚に晴明が近づく。緊張した面持ちでそっと手を触れ、一気に開け放った。
どさり──と王の体が床に倒れこんだ。
「何?! こいつは……」
フランシスが思わず驚きの声を上げる。王の顔は生気を失い、体は身動き一つせず、床に倒れ伏したままだ。
慌ててフランシスが王の体に触れる。
「…………し、死んでいる! マジか、おい」
「恐らく、服毒をして自害したのだろう。自らの命運が尽きたことを悟ったんだ」
沈痛な面持ちで晴明が呟いた。
フランシスは言葉をなくして息を吐くだけだったが、やがて小さく笑った。
「なるほどな。最後は潔く、誇り高い死を選ぶってことか。OK、いいだろう。これはこれで手間が省けた」
王の体を足で軽く小突きながらフランシスは言葉を続ける。
「安倍晴明。これで終わりじゃないぞ。お前にはまだやってもらうことがある。ついてこい」
「何をするつもりなんだ」
「……今、うちのボスが、宮廷の主要な閣僚や貴族を一部屋に集めて避難させている。そいつらは我々の敵になりそうな邪魔な連中でもあるんだ。そこに行って、そいつらを皆殺しにする」
フランシスは、取り巻き達を指さして命じる。
「おい、お前たち二人は王の死体を医務室にでも運んでおけ。お前はすぐにボスの元へ走って、王が死んだという第一報を届けるんだ。俺たちは後から向かう」
王の死にも一切動じていない冷静な佇まいだった。
「さあ、安倍晴明。王様は死んじまったな。これでもう後戻りはできんぞ?」
「…………」
フランシスの挑発的な物言いに、晴明は一切言い返さず、ただ黙って目をつぶるのみだった。
◆◆◆
マトリの事務所で、アリアネル達はお茶を飲んでいる。
騎士は影のようにぬぼうと立っていて、監視するように部屋中に目を光らせている。
「なあ、騎士さん達よ、立ってて疲れねぇ?」
「問題ない」
ブルーセが世間話をしようと話を振っても、とりつくしまもない。
部屋には、不安と緊張の入り混じる、居心地の悪い雰囲気が漂っていた。
「外はどうなってるんですかね。晴明さんは戻ってこないし、クーデターについてもよくわかんないし」
アリアネルの呟きにミシェルが頷きで答えた。
お茶を一口飲み、ブルーセは眼鏡を拭く。いつも通りの大らかな表情で、世間話かのように騎士たちに話しかけた。
「なあ、騎士さんよ。ちょっと聞きたいんだが、あんたらの所属ってどこなんだい?」
「…………」
騎士たちは答えない。だがその表情にはかすかに焦りの色が混じっている。ブルーセはかまわずに質問を続けた。
「おかしいな。騎士ってのは必ずどっかに所属してる。「王都1番隊」みたいにな。質問を受けたら、特に問題がない限り答えるべきだと思うんだが」
「答える必要はない」
「何でだよ? 俺もあんたらも、国に仕える人間だ。こうして任務として同じ空間にいるんだ。挨拶としてひとこと自己紹介してくれてもいいだろ」
ブルーセは立ち上がり、弁論家のようにとうとうとまくし立てた。
「まだおかしいところはある。あんたらの鎧についてるワッペン、そいつは30番隊の印だ。そいつは去年廃止されてる。そのワッペンがどうしてあるのかな?」
騎士たちがブルーセを睨んだ。手に持った武器を握りしめる。
「どうやら余計な事に気づいたらしいな。ブルーセ」
ミシェルとアリアネルも、様子のおかしさに気づく。ブルーセは武器である傘を握りしめ、立ち上がった。
「はっはっは! その反応で100パーセント分かった。あんたら、騎士じゃねえな!」
「ブルーセさん、よく分かりましたね」
アリアネルが言うと、ブルーセがにやりと笑った。
「いやいや、褒めなくてもいい。いま俺が言った、30番隊がどうのこうのってのは全部ウソさ。そんなもんねーよ」
「なに!?」
騎士たちがどよめく。ブルーセは鼻で笑いながら眉を挙げた。
「バカだな。カマをかけたんだよ。普通の騎士ならすぐに分かるぜ。30番隊なんてもんは無い、バカを言うなブルーセ──と、こうなるはずだ」
「ってことは、こいつらは!!」
騎士たちは怒りに顔を歪ませている。ブルーセはしてやったという笑顔で頷いた。
「こいつらは騎士を騙る何者かだ。クーデターがどうのこうのってのも怪しいもんだ。いや、むしろ……こいつらがそのクーデターの犯人なのかもな!」
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