第36話 夕映えの飛翔

「干し肉と野菜……それからドラゴンミルクをもらえる?」


 王都の市場で店員に声をかけているのはミシェルだ。


 手には、生活用品や食材の入った手提げのバッグをぶら下げている。


「せっかくの休みだから、たまにはダラダラしようかと思ったけど、結局は生活必需品の買い物で時間を食っちゃったわね」


 小さなため息を一つつく。そろそろ家に帰ろうかと振り返った時、見覚えのある人物が通り過ぎるのが見えた。


「急げ急げ! もうちょいでレース始まるぜ!」


 わたわたと早足で歩きながら声を上げるのはブルーセである。その後ろには晴明たちもくっついている。


 何事か、と面食らったミシェルは横からブルーセ達に話しかけた。


「ちょっと、ちょっと。貴方達どうしたわけ? 何か事件でもあった?」

「お……おお! ミシェル! いいところへ! お前も一緒に来い!!」

「何よ。何かトラブルでもあったわけ?」

「そうじゃねえ。レースを見に行くんだよ!!」

「はあぁ~?」


 何が何やら分からぬまま、流れに誘われるようにしてミシェルも同行することになった。


 早足で会場へ向かいながら、晴明とアリアネルが事情を説明する。


「……なるほどね、それでラストレースを見届けたいってわけ? ブルーセらしいくだらない理由ね」


 呆れたように肩をすくめるミシェルにブルーセが言い返した。

 

「何だとぉ! くだらねぇとは何だ! 大事なことだ!」

「はいはい。ギャンブル好きはこれだから困るわ。人生の中に賭けが組み込まれているのよね。理解不能だわ」


 その言葉に、ブルーセはにやりと口角を上げて首を横に振った。


「そりゃ違うな。俺は、人生の中に賭けが組み込まれてるんじゃない。賭けの中に人生が組み込まれてるんだよ」

「……ブルーセ、貴方は優秀な人だけど、たまに本当にボケナスになるわね」


 気づいた時には、すでに目の前は会場だった。


 そこは、椅子の設置されただだっ広い広場だった。飲み物や食べ物を売り歩く人、チケットを握りしめる人、笑う人、泣く人、様々な人間が集まり、乱気流のごとき熱気に包まれている。


 晴明たちも一斉に空を見上げた。すでにレースは始まっていた。


 空には黒い煙のようなものが楕円状に浮かんでいて、それがコースを形作っている。


「エルマーボリスのラストレースですよ!」


 ウーリーンが叫んだ。


 黄と青の縞模様のドラゴン──エルマーボリスは最後尾である。


「ああ……! ビリじゃねえか」


 ブルーセが絞り出すような声をあげた。隣では、アリアネルがウーリーンにこっそり質問をしている。


「どういうレースなんですか? どこがゴールなんですか?」

「空に、黒い煙みたいなのが浮かんでいるでしょう? あれが魔術で作ったコースです。一部分だけ白い煙を混ぜていて、それがゴールラインなんですよ」


 その言葉通り、黒い煙の中には一筋の白い部分がある。ドラゴンたちは皆、そこを目指して飛翔しているのだ。


 エルマーボリスの前方にはドラゴンたちがひしめいていて、全く前に行けそうにない。


「頼む、エルマーボリス、頼む、奇跡起こしてくれ、マジで本当に頼む」


 ブルーセは手と手を握り合わせて祈っている。つられるようにアリアネルも同じようなポーズになる。


 先頭のドラゴンは、いよいよラストスパートの位置に差し掛かっている。


 もうこれは駄目だろう──という諦めに近い予感が皆の心によぎる。


 その時、強風が吹いた。


 ドラゴン達の動きが鈍る。スピードが緩み、姿勢がぐらつく。


 しかし、最後尾のエルマーボリスだけはブレなかった。


 ドラゴン達の隙間を縫うように、的確に、ジグザグに移動していく。その飛翔に迷いはなく、寸分の乱れもない。


 会場がざわついた。そのざわめきはどよめきとなり、皆がエルマーボリスを指さした。


 空は、夕映えだった。エルマーボリスは前方のドラゴンを全員ごぼう抜きにして、先頭を行く白いドラゴンに並んだ。


「並んだ!」

「並んだじゃねえか!!」

「ウソだろ?! どうなるんだよぉ?!」


 座っていた観客が次々に立ち上がった。


 エルマーボリスは、一筋の矢のように真っすぐ飛翔して、先頭のドラゴンをわずかに抜きさり、そのままの勢いでゴールした。


 わあああああああああっ──と、皆が叫んだ。


「うおぉォーーーーーーーーン!!」

「すごーーーーーーーーーーーーい!!」

「マジかーーーーーーーーーーーーーー?!」


 ブルーセが叫んだ。ウーリーンも叫んだ。アリアネルも叫んでいた。


「凄いな。これは凄い! 本当に凄いレースだ」


 晴明も、子供のように目を輝かせ、気づけば拍手をしていた。謎の感動に包まれ、完全に語彙力をなくしてしまっている。


「す、すげえ、マジで勝ちやがったよ」


 ブルーセは涙目になっている。競竜ファンではない晴明にもその気持ちは理解できた。


 信じたものが勝利する、これほど嬉しいことはない。


「そうだ、チケットの払い戻しに行かねぇと!! これ一体いくらになるんだ?!」


 ブルーセの握りしめたチケットを、皆が覗き込む。ウーリーンは顎に手を当て、「多分ですけど」と前置きし、そっと答えた。


「19万アトルダイン、ってとこですかねぇ」

「19万ッ!! 給料の7割も戻ってくんのか!!」


 両腕を掲げ、ブルーセは快哉を叫んだ。


「どうだミシェル。面白いだろう。楽しいだろう」

「全く。呆れるわね」


 周りの熱気にあてられることなく、ミシェルは皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「給料の「7割」が戻ってくるんでしょ? 全てを取り戻したわけではないんでしょ。それで喜べるなんておめでたいわね」


 冷徹な言いように、アリアネルと晴明が慌ててフォローに入る。

 

「まーまーまー、ミシェルさん、細かいことはいいじゃないですか! 嬉しいことですよ!」

「金の問題だけではないのだよ、ミシェル。自分の決断が報われたという、その事実が心を震わせるのだよ」

「ブルーセに気を使わなくてもいいのよ。ブルーセはね、苦言を呈されるくらいでいいんだから」


 特にブルーセはショックを受けた様子はない。慣れっこだ、と言わんばかりに苦笑いしている。


「いいさ。ミシェルに賛成してもらわなくても構わねーよ。ただな」

「何よ」

「ミシェルも心の中じゃ、レースの結果が気になってたんじゃないか? だからここまでついてきた。お前さんも、賭けの熱気にほんの少しあてられたんだよ」

「……どうかしらね」


 ブルーセの言う通り、会場には熱があった。心の芯を駆動させるような何かがあった。


「うふふー、今日はほんっとにいい日です! ドラゴンって、本当にいいものですねぇ!」


 ウーリーンは朗らかな顔で胸を張った。


 遠くで、ごおおおんという低い唸り声がした。雷鳴のようなドラゴンの咆哮が、夕映えに溶けるように鳴り響いていた。



 ◆◆◆



 夕暮れを見つめながら、ジャイルズは一人で果実酒を飲んでいた。


 執務中に飲酒というのは咎められるべき態度だが、それを意見できる者は周囲にはいない。


 すると一人の男が扉を開けた。ジャイルズが手駒として利用している下級貴族である。


「ジャイルズさん。王が動いている」


 切迫した口調だった。ジャイルズが振り向くと、男は早口でまくしたてる。


「あんたの正体を王が探っているらしい。感づかれたのかもしれない」

「そうか。優秀な王だな。裸の王様……というあだ名に反し、ルカノールはかなり察しがいい奴だ」


 果実酒を一気にあおり、ジャイルズは静かに息を吐いた。


「強引にでも、早めに行動したほうがいいかもしれんな。王には消えてもらう。支配者の椅子を、私に明け渡してもらわねばな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る