第35話 バクチ・ダンサー

 しばらくすると、太陽は西へと傾き、夕暮れが近づきつつあった。


 ミントティーを飲みながら、晴明とアリアネルがぽつぽつととりとめのない話をしていると、テラスにふらりと男が現れた。

 

 おぼつかない足取りで、何かを嘆いている。それは晴明とアリアネルにとって見覚えのある姿だ。


「……あれ、ブルーセさんじゃないですか!?」

「そのようだな」


 それは晴明たちの同僚である、ブルーセ・ドンガランであった。


 気配に気づいたのか、ブルーセは体を起こして晴明の姿を見た。普段なら陽気に挨拶するところだが、いつもの覇気は全くない。


「おぉ……お前らかぁ……」

「どうしたんですか、そんなにしょぼくれて?!」

「どうしたもこうしたもねぇよ。有り金ぜーんぶスッちまった」

「えぇ!?」


 ブルーセは空を指さす。青空の彼方に、ドラゴンが飛んでいるのが小さく見えた。


「あれは……ドラゴン?」

「ああ。こういうイベントの時限定で、ドラゴンの賭けが催されるんだ。色んなドラゴンを飛ばして、その順位を予想するっつう、「競竜」ってやつさ。俺ぁ、給料をぶっこんで、一攫千金を夢見ていたんだが……」

「賭け! なるほど……ブルーセよ、ではまさか」

「ははははハ、そのまさかさァ」


 ブルーセの乾いた笑いが響く。


「もうダメだ! おしまいだー! お給料が全部なくなっちまったよーー!!」


 そんな悲痛な叫びが、テラスに響いた。


 話によると、ブルーセはそもそも大の競竜好きで、毎回必ず参加しているのだが、今回は史上最悪の「大敗北」であるという。


 有り金を失ったブルーセが幽鬼のように街を徘徊しているところを、この喫茶店の店主が偶然発見した。店主はブルーセの顔なじみで、落ち着くまで座っていろとブルーセをテラスに通したという。


「……賭けで身を持ち崩すとは。なんというか、金を失うというのは一瞬なのだな。儚いものだ」


 晴明が沈痛な面持ちで呟く。ブルーセはよほどショックだったようで、両手で顔を覆ってしまった。


「ううううう。くそぉ、何でだァ、何であの時、俺は信じてやれなかったんだ」

「信じるってなんの話です?」


 アリアネルが聞くと、顔を覆ったままブルーセがうめく。


「俺ぁずっとよう、応援してるドラゴンがいるんだ。エルマーボリスっていう、黄色と青のシマシマのやつでな。ずっとそいつに賭けてたんだが、最近勝率が悪くなってきてなあ。それでそいつに賭けるのを、いったんやめることにしたんだ」


 その口調は悲痛に満ち、まるで罪の告白のようだ。


「一回くらいなら、エルマーボリスに賭けなくてもいいやと思ったんだ。それで勝率を伸ばしてる若い別のドラゴンに全額ぶっこんだ。そしたら……そしたら……そんな時に限って、予想してたヤツが全然勝てなかったんだ。それだけじゃねえ、エルマーボリスがぶっちぎりの1着をとっちまったんだよ」


 あちゃあ、とアリアネルが声を漏らした。


 賭けの対象を変えた瞬間、以前までの「推し」が勝利する──何という因果であろうか。晴明も思わず同情してしまう。


「うおォォン、どうして、どうして俺はエルマーボリスを信じてやれなかったんだッ!! エルマーボリスに賭けてればあんなことには!!」


 ブルーセの目には涙が浮かんでいる。慟哭、とでも表現すべき呻きがテーブルを細かく揺らした。


「ブルーセさん……その……元気出してくださいよ」

「うむ。後で酒でも飲むか」


 がっくりとうなだれるブルーセを、晴明たちは必死にフォローする。だがその瞳に生気はなかなか戻ってこない。


 すると、テラスの外から、聞き覚えのある声がした。


「あれー? マトリの皆さんじゃないですかー!! お久しぶりですーー!!」


 そこに立っていたのは、ドラゴンの住む北の大地・ノルトミッツで出会った、ウーリーンであった。


「ウーリーンさん! どうしてここに?!」


 アリアネルが尋ねると、ウーリーンは以前と変わらない笑顔で答えた。


「ふっふっふ。王都で行われる競竜に、私が育てたドラゴンも出場してるんです。エルマーボリスといいましてね」

「そうなんですか!」

「うちのドラゴン牧場がオーナーを務めてるんです。エルマーボリスは、言ってみれば、うちの牧場の子供のようなものなんですよ」

「まさか貴方と再会できるとは……」

「うふふー。競竜ってのは国主催のイベントですからね。そりゃはるばる王都までやってきますとも!」


 えへん、とウーリーンは胸を張った。


「王宮のすぐ東側に宿泊施設がありましてね、そこに泊まらせてもらってるんです。すごいとこですよ、ドラゴンも一緒に泊まれる豪華なとこですよー」


 縁を感じ、晴明は微笑む。ウーリーンは気まずそうなブルーセの様子に目ざとく気づいたようだった。

 

「あら、ブルーセさんはどうなさったんです? てっきり競竜の会場にいるかと思ってましたが」

「いやあ、それがですね……」


 簡単に事情を離すと、ウーリーンは高らかに笑った。


「あははは、そりゃあ災難でしたね~。たまにあるんですよね、そういうこと」

「はは……肝心な時にダメでしたぜ。好きなドラゴンを裏切っちまった報いですかねぇ」


 自嘲的に笑うブルーセの肩を、ウーリーンが力強く叩く。


「まあまあ、そう落ち込まないで! そんな貴方のために、私から一つプレゼントしましょう!!」

「プ、プレゼント?」


 訝しげに尋ねるブルーセに、笑顔のウーリーンが差し出したのは一枚のチケットだった。


「む? これは……」

「竜券です。ご存じの通り、賭けをする時に購入するやつです。ただしこれは応援竜券といって、ちょっと高いんですけど上等な紙でできてるんですよ」


 確かにそのチケットは、厚手のしっかりとした材質で高級感がある。表面には竜のイラストが描かれており、「最終レース エルマーボリス 1着予想」と端正な字で書きこまれている。


「これは、ドラゴンそのものを応援できるチケットなんですよ。応援竜券の売り上げは、半分は国の収入になり、もう半分はドラゴンの飼育に役立てられるんです。レースが終わった後にはこれをお守りとして販売してるんですー」

「へえー、チケットがお守りってなんか面白いですね」

「ブルーセさん。これ、差し上げます。もうすぐ最終レースが始まりますから、うちのエルマーボリスの勇姿を見届けませんか?」


 黙ってブルーセはチケットを受け取る。その表面を撫で、裏表をしげしげと眺めてぽつりとつぶやいた。


「そういや俺、こういうのって買ったことなかったな」

「ふふふふ。今、エルマーボリスはあまり人気がありませんから、もし当たったらすごいですよ。負けた分も一気に取り返せちゃうかも」


 胸を張り、ウーリーンは高らかに言う。その表情は笑顔だが、ほんのわずかに切なさが混じっている。


「……実はですね。エルマーボリスはもうすぐ競竜をやめるんです。だいぶいい歳ですからね。このレースが最後になると思います」

「えっ……そうなのか?!」


 驚きと共にブルーセは立ち上がった。


「このチケットが当たるかは分かりません。賭けに「絶対」はありませんからね~。でも、うちの子の最後の勇姿を見届けるなら今ですよ。もう一度会場に行ってみませんか?」

「…………」


 ブルーセの瞳に覇気が少しずつ戻って来た。


「確かに、レースに絶対はねぇ。どれだけ信じられるかどうかだ。いくら計算で賭けたつもりでも、賭け続ければドラゴンに情ってもんが湧いてくる」


 チケットを握りしめ、ブルーセは力強く頷いた。


「人情だけで賭けるってのも、たまにはいいもんだ。……最後にはやっぱ、エルマードラゴンを応援してやらねえとな! よし、会場に行こう!!」

「そうこなくっちゃ!!」


 ウーリーンはにっと笑う。


「よし! そうと決まればお前らも道連れだ! 晴明! アリアネル! 一緒に行くぞ!」

「おや、我々もついていっていいのかね」

「あはははは、観客は多い方が楽しいです! 参りましょー!」


 ウーリーンの言葉に、アリアネルも「おー!!」と乗り気になっている。


 やはりブルーセはこうでなくては、と晴明はかすかに笑った。


 いつも前向きで、軽口を叩いていて、それでいてどこか頼りになる、柱のような男。それがブルーセ・ドンガランなのだ。

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