第26話 怒髪、天を衝け
ミシェルは、完全に言葉を失い、うなだれてしまっていた。
クールで冷静な面持ちは既になく、ただ震えて涙を流す、兄を失った妹でしかなかった。
ルーファスは瓶を手でもてあそびながら、満足気に、それを眺めていた。
「いいねえ、その表情。とてもいい! クールで強気な女性がしくしく泣いてるってのは、それだけで何とも言えない美しさみたいなのがある! 芸術的ですらあるよ!」
はははは、とルーファスの笑い声が響いた。
するとその笑いをかき消すくらいに大きな声で、アリアネルが叫びを上げた。
「ミシェルさんを笑うなーーーーーーーッ!!!!」
地下にビリビリと反響するくらいの大声だった。顔を真っ赤にし、満足に動かない手足をばたつかせながら、さらにアリアネルは続けた。
「何が美しさだ!! 何が芸術だ!! ふざけんなッ!! 人を殺して、人を呪って、人を笑いものにする、お前らマフィアは全員ドブ野郎だッ!! 今すぐミシェルさんに這いつくばって謝れよぉっ!!」
ミシェルは口をぽかんと開けてアリアネルを眺めていた。ルーファスも同じだった。曇りのない、まっすぐな怒りの叫びだった。
やがてルーファスは咳ばらいをし、アリアネルに近づきながら言った。
「驚いた。よくそんな大声が出せるもんだ。感心するよ──」
アリアネルの目の前まで来たその瞬間だった。
植物の根の締め付けが甘い隙間の部分から、アリアネルが腕を力づくで抜いて、ルーファスの顔を目いっぱい殴りつけた。
「ぐっ?!」
「お前らみたいなのがいるから、アトルムから呪詛がなくならないんですよ!! せっかく──戦争が終わったのに!!」
ルーファスの鼻から血が垂れる。殴られるとは思っていなかったらしく、目が泳いでいる。
「よくないねぇ。そういうのはよくないよ。びっくりするじゃないか」
慌てて、ルーファスは自らの鼻血をぬぐいとる。
するとこれまでずっと黙っていたブルーセが声を上げた。
「何だ、殴られるのは嫌いか? それじゃもう一発殴ってやるよ」
ブルーセの体を拘束していた根は、いつの間にか切断されていた。
驚きで声も出ないルーファスを、渾身の力を込めて、ブルーセが傘で殴り倒す。
「ブルーセさん!! ど、どうやって脱出したんです!?」
「仕込みナイフでこっそり根っこに切れ込みを入れてたんだよ。この間言ったろ、俺はステキなナイフ委員会に入ってるって。アリアネルが気を引いててくれたおかげでうまくいったぜ」
根に取られてしまった指輪を奪い返し、ブルーセはミシェルの手に握らせる。
「ミシェル、しっかりしろ。やれるな?」
その一言で、ミシェルの震えは収まった。
「……OK。任せて」
深呼吸してミシェルは答えた。拳を握りしめ、アリアネルが声を張る。
「こいつをやっつけるのはミシェルさんにお任せします。全力で、ブッ飛ばしてください!」
「もちろんよ!!」
魔術の指輪を握りしめながら、ミシェルは強く思う。
──兄さん。ジーン兄さん。
──心配しないで、大丈夫だから。私は私のやるべきことをちゃんとやるから。
──本当は、私は冷静沈着なんかじゃなくて、子供の時から変わらない、泣き虫なミシェルのままだけど。
──マトリの一員として、任務を果たしてみせるから!!
「氷結術・霜柱!!!」
感情の全てを乗せて、ミシェルは術を発動させた。
ルーファスの体は急激に凍り付いていく。もがきながらルーファスは苦しそうに叫んだ。
「惜しい、とても惜しいな! 君のような術者がマフィアの一員だったら、きっと幹部にまで上り詰められただろうに!!」
本気とも負け惜しみともつかない言葉をルーファスは吐く。ミシェルはそれに対し、
「冗談言わないで。誰があんたらのような──ドブ野郎どもに味方するもんですか!!」
そう叫んで、力いっぱい横っ面をぶん殴った。
床に倒れ伏したルーファスは、体中が氷で覆われ、それきり何も言わなくなった。
◆◆◆
アリアネル達が地上に出ると、ちょうど晴明と行き会った。
「晴明さん! 無事でしたか!!」
「そっちも無事か」
一目見て、互いに傷だらけだと分かった。
ミシェルはアリアネルに肩を貸してもらい、それで何とか歩いている状態だ。ブルーセもアリアネルも砂だらけだ。
晴明は体のあちこちに切り傷があり、血の匂いをまとっている。
「すまない、こちらは取り逃がした」
「気にすんな。代わりに俺らで頑張ったからよ」
「ていうか晴明さん大丈夫ですか?! 血ぃ出てますよ?!」
「ははは。平安京なら仕事を休まねばならんな」
情報を共有のため、お互いにあったことを簡単に報告しあった。人間から作られる「粉末」の事を聞くと、晴明の顔がやや曇った。
「人から作る粉、か。嫌な気分になるな。そういうのを聞くと」
「……全くよ。マフィアの連中、胸糞悪いモン作るわよね」
ミシェルが吐き捨てるように言う。皆、その顔を心配そうにのぞき込んだ。何か言って励まさないと、だが言葉が見つからない、という具合で、少しの間沈黙ができた。
その沈黙を破ったのはミシェル自身だった。
「でもね、アリアネルのおかげで、ちょっとだけ勇気が出たわ」
「え? え? 私、何かしましたっけ?」
「あの時、大声で怒ってくれたじゃない。あれが私を奮い立たせてくれたのよ」
ミシェルは小さく笑った。友愛のこもった親しげな表情だった。
「ありがとう、アリアネル。近くにいてくれて」
「……あ、あははー! あたしはただ必死にやっただけなんですよ。そんな風に言われると照れちゃいますよ」
そう言いながらも、アリアネルは心の底から嬉しそうに歯を見せて笑った。
「もちろんブルーセと晴明にも感謝してるわよ。ありがとね」
「なに、お互い様さ」
「そうそう。いいってことよ」
夜の街を、三日月がぼんやりと照らしていた。
月を見ながら、マトリ達はほんの少しの間、勝利と生還の余韻にひたっていたのだった。
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