第20話 奥の細道

 砂漠の中に、石の街があった。


 砂の街、サティルス。石造りの建物がずらりと並んでいる。多くの人が行きかい、語り合っている。


 太陽は激しく照り付けているが、空気は乾いている。足元は砂に覆われ、歩くたびにじゃすっじゃすっと音が鳴る。


「はぁ~~、やーっと着きましたーー!!」


 アリアネルは安堵の声を吐き出した。野営をし、朝になり、そこからさらに数時間かけてようやくたどり着いたのだ。彼女にとってはもはやちょっとした旅だった。


 それに対し、ミシェルは厳しい口調で注意する。


「大声を出さないで。だらしないわよ」

「は、はあい、すいませぇん……」


 晴明は砂漠の街を珍しがり、辺りをきょろきょろ見回している。あちこち指さしながら、ブルーセに色々と尋ねている。


「砂漠の真ん中にこんな大きな街があるとは、驚きだな」

「砂漠では宝石と良質な石が採れるからな。そいつを採掘する連中が集落をつくったのが始まりさ」

「飲み水などはどうしているんだね?」

「近くに水源があるのさ。砂漠の中にもそういう恵みがあるんだ。そいつを地下水路で街中に引っ張ってきてる」


 ほうほう、と頷きながら歩き回る晴明はすっかり好奇心の塊だ。それを引き止めながらブルーセが声を上げる。


「さて、それじゃ仕事するとしましょうぜ。アリアネル、俺たちの目的は忘れてないな?」

「はい! ジェフさんが持ってた、マフィアの名前入りの押し花について調べるんですよね」

「その通りだ。二手に分かれて聞き込みしよう。晴明はミシェルと一緒に。俺はアリアネルと一緒に動こう。日没にはここで落ち合おうぜ」


 聞き込み。捜査の基本だ。それは果てしなく地道な作業だ。


 平安京にも、事件が起こった時にそれを捜査する者がいた。「検非違使けびいし」という役職だ。


(今の私はまさしく検非違使だな。張り切って、勤めを全うしよう)


 そうして、がやがやとした街のさらに奥に、マトリの4人は足を踏み入れるのだった。


 

 ◆◆◆



「なかなか上手くいかぬなぁ」

「疲れたわね……」

 

 晴明とミシェルのペアは、午前中かけて聞き込みを行ったが、全て空振りに終わった。


 日陰で休みながら、ミシェルは大きなため息をつく。そして晴明に声をかけた。


「ねえ晴明。あなた、式神とかいう使い魔を持ってるんだったわよね」

「ああ」

「……きつねの式神もいるそうね?」

「北斗のことだな。それがどうかしたか」


 ミシェルは口ごもった。足元の砂を見つめ、やや頬を赤らめる。


「……少し、触らせて。この精神的疲労を解消したいの」

「おや。獣を触るのが君の趣味なのかね」

「う、うるさいわね! いいでしょ別に!」

「ははは。いいだろう、触りたまえ。優しくしてくれると助かる」


 晴明は北斗を呼び出す。そのふかふかの毛並みを、ミシェルはゆっくりと撫で、顔をうずめる。


「ふぅぅぅ~~……すごい、ふかふかなのね……」


 北斗はきょとんとした顔でミシェルを見つめるばかりだ。


 しばらく毛並みをモフった後、ミシェルは北斗から離れた。


「……もういいわ」

「気は済んだかね」

「……落ち着いたわ。良い使い魔ね」


 ミシェルの言葉に応えるように、北斗は「くぁぁ」とひと鳴きしたのだった。


 

 ◆◆◆


 

 正午過ぎ、ミシェルと晴明は昼食をとることにした。閑散としたレストランに入り、適当に安いメニューを注文する。


 ほどなくしてやってきたのは、香辛料で味付けされたローストのコカトリスだ。サラダが添えられており、小麦粉の生地でくるんで食べる。刺激的な味が晴明の舌を刺激した。


「旨いな。王都にもコカトリスはあったがこいつは味付けが違う。これはいいな。聞き込みが上手くいかずとも、食事が良ければ救われる」


 ミシェルが表情を変えずにさらりと言い返した。


「マフィアの情報はなかなか入手しづらいからね。少し場所を変えたほうがいいかもしれないわ」

「そうだな」

「……午後になったらもう少し街の奥まで行ってみるわよ」


 表情を変えずにミシェルは食事を進めている。いつも通りのクールな「白雪姫」にすっかり戻っていた。


 晴明は試しに他の会話を振ってみることにした。


「ミシェルとアリアネルは、貴族の家に生まれたそうだね。ただ、ブルーセはそうじゃない」

「そうよ」

「私にはその状況が新鮮に思える。貴族出身者とそうでない者が対等の立場で仕事ができるなんてな。とても新鮮だよ」

「どういう意味かしら」

「貴族というのはつまり特権階級だ。平安京では、貴族とそうでない者は明確に違う存在だった。対等というのはありえない。いや、対等という概念は世界をおかしくする、とすら言える。人間には生まれながらに必ず「差」が存在する。だがアトルムは少しだけ違うようだ」

「ふうん、そうなのね」


 ミシェルは足を組み、ゆっくりと答えた。


「昔々はね、アトルムも同じだったわ。貴族ってのは存在してるだけで偉かったのよ。貴族とは土地の支配者そのものだった。生まれつきの特権階級だった。選ばれた者だった」

「うむ」

「貴族は、その血筋に見合った賢さや人格を兼ね備えている。そう考えられてきた。だけど54年前の呪詛戦争で、そういう概念が失われてしまった」

「ほう……」

「戦争が起こって、お金や領地を失う貴族が増えたわ。みんなどんどん余裕がなくなっていった。平民を金で雇って、に使う貴族もいたわ。ひどい話よね」


 晴明は黙って頷く。

 

「だからみんなが気づいてしまった。貴族は別に人格者じゃない。むしろ、保身のことしか考えていない人殺しのクズばかりなんじゃないかってね」

「……誰からも信頼されなくなってしまった、か」

「だから戦争が終わってから、大半の貴族は変わったわ。選ばれた血筋に生まれついたからには、その「責任」を果たさなければならない。貴族は世のため人のために働くべし、とね」


 ──貴族の責任。晴明にとっては耳慣れない概念だ。


 だが理解はできる。戦争を乗り越え、この国は変わろうとしている。貴族もまた同じように変わろうとしているのだ。


「それからもう一つ。戦争により、貧乏になった貴族も多いの。私やアリアネルもそのクチよ。貴族の看板を降ろして、普通に働くのはよくあるわ。だからアトルムの人間は、少しだけ「対等」に近づいたのよ」

「なるほど……」


 戦争により力を失う貴族がいる。その一方、貴族の生まれではなくとも努力で良い仕事を得る者もいる。アトルムは少しずつ変わりつつあるのかもしれない。


 涼しい顔でミシェルは水を飲み干すと、「それじゃ」と立ち上がった。


「捜査の続きに行くわよ。ついてきなさい、陰陽師」



 ◆◆◆



 晴明たちは、路地裏を調べ始めた。


 サティルスの大通りから外れた細い道は人通りもあまりなく、少し薄汚れている。


 屋台も露天も商店も、よりディープでマニアックなものばかりだ。


 香料、タバコ、アクセサリーといった色とりどりの嗜好品・装飾品が並べられたその道は、大通りからは全く見えず、気を付けて歩かないとたどり着けないほど目立たない。


 街に表と裏があるなら、そこはまさしく裏への入り口だ。


 聞き込みをしていても、明らかに反応が違う。青い押し花を見せただけで、誰もが不快そうに「帰ってくれ」と言うのだ。


 手がかりともいえる情報を提供してくれたのは、路地の端にある雑貨屋の店主だった。


「アンタらさぁ、そんなモンぷらぷら見せびらかして歩くなよ」


 髭を生やした、30代ほどの男性だ。青い押し花を見て、面倒くさそうに吐き捨てる彼の表情は、確実に何かを知っている。


「教えてちょうだい。これは何なの?」

「うるせぇな、帰ってくれよ。商売の邪魔だ」

「教えてくれたらすぐに帰るとも」

「すぐに教えなさい」


 ミシェルと晴明は両サイドから少しずつ店主ににじり寄る。その「圧」に耐え切れず、店主は頭を掻きむしる。


「分かったよ。……俺がこの話をしたってこと、誰にも言うんじゃねぇぞ」

「もちろんだとも」


 店主はパイプ式のタバコを一口吸う。紫色の煙を吐き出しながら、遠慮がちに言った。


「青いサティルスサボテンの花……マフィアが栽培してるってのは聞いたことがある」

「何のために?」

「知らねぇよ。噂だよ噂」


 期待するな、と言わんばかりに店主は薄っぺらい笑みを浮かべた。


「言っとくがな、この街の大半の住人は、マフィアなんぞとは関わり合いになりたくねえのよ。この俺も含めてな。だが、そうじゃねえ住人もいる。マフィアとべったりくっついて生きてるのもいる。その押し花は、マフィアの協力者が、「私の店はマフィアの取引相手でーす」って証明するために、建物のどっかに隠し持ってる札なのさ」

「なるほど……」


 つまり、青い押し花は「マフィアの協力者の証」なのだ。


 確かに気軽に見せて回るものではない。


「ちなみにだが、この街で、マフィアが根城にしているような場所はあるのかね」

「あるぜ。一応」


 煙を吐きながら、店主は続けて答えた。


「こっからさらに東側。「ダダ通り」っていう道がある。そこはマフィアの棲み処になってるって噂だ。興味あんなら行ってみな。確かめたわけじゃねえがな」

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