第14話 ドラゴンを飼う遊牧の里

 とてもいい朝だった。


 小鳥が鳴き、暖かな日光が街を照らす。遠くから聞こえてくる鐘の音で晴明は目を覚ました。


「朝か……」


 仕事場の近くに寄宿舎があり、晴明はそこの一部屋を「住居」として与えられた。


 住む場所として、不満はなかった。むしろ快適さに驚く部分すらあった。


「この布団というモノ、素晴らしいな。睡眠というものがこんなに快適になるとは」


 ベッド。そしてふかふかの敷布団と掛布団。いずれも平安京にはないものだった。


 何しろ貴族ですら、畳の上に寝ていたのだ。


 体にはふすまという寝具のような服のようなものをかけていたが、布製のものであった。「ふとん」という概念は平安京にはまだなかったのだ。


 綿が日本で栽培されるようになるのは戦国時代になってからの話である。

 

「……ふかふかした寝具か。なんと素晴らしいものだろうか」


 静かに感激しながら晴明は呟く。強い感謝を込めて、柔らかな布団をポンポンと叩いた。



 ◆◆◆

 


 ──魔術取締官、事務室。


 晴明がこげ茶色の扉を開けると、既にアリアネルが中にいた。


「あ! 晴明さんおはようございます!!」

「おはよう」


 にっと歯を見せてアリアネルは笑う。


 奥にはブルーセがいて、背中を伸ばすストレッチをしていたが、ストレッチの姿勢のまま挨拶をしてきた。


「よう、来たな! これでみんな揃ったな」

「おや。ミシェルはいないのかな」

「ミシェルの奴はちょっと別の仕事があってな。もう出動してる」


 眼鏡を拭きながら、ブルーセは席についた。


「早速だが仕事の時間だぜ。この王都から北にあるノルトミッツって町で、「呪詛の売人」が出没しているらしい。そいつを3人で捕まえに行くぞ」

「売人?! とんでもない奴がいるもんですね……成敗しに行きましょう!!」

「なんとも最悪な売人だな」


 呪詛を売る。実にぞっとする行いだと晴明は思う。


 注意して仕事をせねば、と気を引き締めるのだった。



 ◆◆◆



 ジャバウォックドラゴンに乗りながら、3人は北を目指した。


 目の前には平らな平原が広がっている。見渡す限りの地平線というのは晴明にとって新鮮な景色だ。その地平線の向こうが今回の目的地だ。


 途中の休憩時間で、ブルーセが言う。


「……この休憩時間を使って説明しとくか。アトルムじゃ、呪詛を使った事件があちこちで起こってる。知ってるよな」

「もちろんです。私も殺されかけました」

「だよな。アリアネルも晴明も身をもって知っているよな」


 眼鏡を拭きながら、ブルーセは続ける。


「このアトルムにはな、「呪詛を販売する組織」が存在するんだ。そいつらが呪詛をバラまいてる」

「そんなのがいるんですか」

「ああ。「呪詛マフィア・ブルービアード」だ」


 眼鏡をかけなおしたブルーセの瞳は、いつもより少し鋭かった。


「このアトルム中に勢力を拡大してる連中でな。名前の通り、呪詛をシノギにしてるんだわ。色々な呪詛を高値で売りつける。あるいは、誰かの依頼を受けて人を呪詛する。そういう非合法組織だ」

「……今回の事件も、そのマフィアが関わっているというわけか」

「恐らくな」

「も、もしかしてバージャもそのマフィアから呪詛を購入したんでしょうか!?」

「可能性はあるな」


 ブルーセは頭をガリガリ掻き、難しい顔をした。


「ただな、ブルービアードはなかなか表に顔を出さないんだ。呪詛の取引は、「売人」ていう末端構成員がやってる。だがそいつらもバイトみたいなもんだ。組織のアジトとか人数とか、肝心なことは何一つ知らされてないんだよ」

「ううむ……」

「だがそれでも、そういう奴らにノーを突き付けるのが俺らの仕事だ」

「……ああ。我々が活動しているというだけでも、そのマフィアに対する抑止になるだろう」

「そ、そうですよね。呪詛の事件を解決しまくってれば、少なくとも苦しむ人は減るはずッ!」


 金を貰い、人を呪詛する者。平安京にもそういった者はいた。


 どこの世界でも人がやることは同じだ。平和な世でも、それは当然に起こりうるのだ。



 ◆◆◆



 平原地方。アトルム北に広がる、見渡す限りの広い草原というシンプルな土地である。


 地平線まで緑色の草が広がっている。その真ん中にノルトミッツの町があった。円柱状の建物が固まって建っている。よく見るとそれは全てテント式だ。


 すると3人の目の前に、一人の女性が駆け寄ってきた。


「あらあらあら! いらっしゃいませ~~!! もしかしてマトリの人たちですか~~?」

「そうですぜ」

「あらぁ~、予定より早いんですね~。どーもー、皆さんの案内を担当します、ウーリーンといいます。どうぞよろしく~~」


 栗毛の、豊満な女性であった。肌がつややかで、全体的にむちむちとしている。


「こんにちわ! マトリです! 話は聞いてます、呪詛の売人が出るとか!」

「そうそう、そうなんですよぉ。捕まえようとしてもすぐ逃げられて困ってるんです」

「一体どの辺りに現れるんですか」

「売人は行商人に化けてるんですよ。無理やり捕まえようとすると呪詛を使うんです」

「そりゃあ大変だ」

「4日から5日ほどの間隔をあけてやってくるんです。今日あたり、現れるかもしれませんねぇー」


 穏やかそうな景色に似つかわしくない話だった。


 住民はさぞ嫌な思いをしているであろう、と晴明は同情する。


 ウーリーンによると、行商人がよく使う道があり、売人もそこに現れるのだという。


「私が案内しますよぉ。やってくる行商人を一人一人調べるんです。時間はかかるかもしれませんが、きっと引っかかるはずです」

「まあとりあえずそれしか無いか。その道に案内してくれ」


 一行は街へと入った。円柱状の建物は、街の役場や商店であるらしい。


「あっ! 皆さん見てください!!」

「どうした?!」


 ウーリーンが指さした先に、ドラゴンの群れがいた。翼が生えており、ジャバウォックドラゴンとは見た目が違う。


「翼が生えているんですね」

「そうですよ~! あれは飛竜といって空を飛ぶんです~!」

「空を! それは凄い」


 空飛ぶ竜とは、まさしくおとぎ話の世界だ。晴明は思わず身を乗り出す。アリアネルとブルーセも歓声を上げた。


「あれが飛竜なんですか! 初めて見ました!」

「すげえ、飛竜じゃねぇか! テンション上がるぜ、おい!!」


 全員のテンションが上がっている。どうも空飛ぶドラゴンというものは人を笑顔にするらしい。ブルーセがドラゴンを指さし、早口で語りだす。


「何を隠そう俺ぁ、飛竜が好きでなぁ。王都じゃ定期的に競竜ってのをやるんだ。ドラゴンの賭けレースだよ。血沸き肉躍るレースの主役がこうして目の前にいるんだぜ、何だか胸が熱くなっちまうじゃねーか」

「ブルーセ、落ち着きたまえ」


 晴明がブルーセをなだめるのを、ウーリーンはにこにこ笑って見つめていた。


「ここではドラゴンを育てて生活しているんですよ~。見てください、ドラゴンの赤ん坊がおっぱいを飲んでいますよ。可愛いですねえ」


 見ると、大きなドラゴンの腹にはたくさんの乳房がついており、子供のドラゴンが一生懸命にそれを吸っている。


「へぇぇ、すごいですね。おっぱいがいっぱいですよ」

「そうなんです! ドラゴンはおっぱいがいっぱいなんですよ!! あのお乳は栄養満点でしてね、保存も効く素晴らしいモノなんです。ドラゴンミルクという名前で、アトルムの皆さんにも親しまれておりますよ~~」

「……そういえば、アリアネルの家で食べたシチューも、ドラゴンミルクが使われていたな。成る程、ここが原産地なのか」


 ばさり、と一頭のドラゴンが羽を広げ、空へと飛翔した。


「おお、飛んだー!」

「そりゃ飛びますとも、ドラゴンですから~!」


 ごぉぉぉん、という雷鳴にも似た鳴き声が響いた。


「こうしてみると頼もしいな。あのドラゴンを使えば、売人など簡単に捕まえれらえそうなものだ。実は我々などいらなかったのでは?」


 冗談めかして言う晴明だが、ウーリーンは首を横に振る。


「それができないんです。実は飛竜っていうのは、とても呪詛に弱いんです。人間なら耐えられる簡単な呪詛でも、飛竜はすぐに死んでしまう」

「……そうだったのか、それは失礼した」

「呪詛に耐えられるように品種改良されたドラゴンもいます。皆さんが乗っているジャバウォックがそうですね。ただそういったドラゴンはあまりお乳を出しません」


 アリアネルはジャバウォックの背中を撫でた。特に甘えた声を出すこともなく、ジャバウォックは宙を見つめている。


「……ひとまずドラゴン談義はこのあたりにしよう。ウーリーンさん、早速打ち合わせに入りましょう」

「はい~! よろしくお願いします~!」


 空は夕暮れに差し掛かっていた。悪党が動きやすそうな、黄昏の色が混じっていた。

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