第8話 覚えときな!

 アトルム島。アトルム王国がある、ひし形の島である。


 54年前まで、アトルム島には貴族が治める小国がたくさんあった。その真ん中にはアトルム王家が管理する土地があり、小国たちはアトルム王家に忠誠を誓っていた。


 小国はアトルム王の臣下ではあったが、自治を認められていた。たくさんの貴族たちが各地を治め、互いに友好を築いたり、敵対したりしていたのである。


 そんな小国たちが一斉に殺し合いを始めてしまったのが呪詛戦争だ。


 戦争のきっかけは、後から知るとお粗末なものであった。


 ひとことで言うと「婚約破棄」がきっかけだった。


 アトルム島の西に、モンテッキ家とカプレティ家という、仲の悪い領主たちがいた。その地域からは銀が採れるため、土地に関する争いが絶えなかった。


 何百年にもわたり、土地の権利を巡っていがみ合い、殺しあって来た両家は「もう争うのはやめよう」と妥協的姿勢を見せ、互いに男子と女子を選び、結婚させることで互いの絆とすることになった。


 いよいよ結婚というとき、その婚約を一方的に破棄したのはモンテッキ家の男子だった。


「こんな女と結婚できるものか。俺は自分の好きな女と結婚するぞ」


 そう言い放って出奔してしまったのだった。


 婚約の破棄とは、すなわち家の信頼を踏みにじることだ。以前から敵対している家同士ならなおさらである。十分に、殺し合いの引き金になりうる行為だった。カプレティ家は激怒し、とうとう宣戦布告して相手方へ攻め込んだ。


 それに応じ、それぞれの家と同盟を結ぶ他の貴族も次々に戦いに参加。そうやって、戦乱は野火のごとく広がっていった。


 本来はアトルム王がその争いを止めるはずなのだが、ちょうどその頃、王家では跡継ぎ争いの真っ最中だった。あろうことか王家で内部分裂が始まってしまい、誰も戦争を止めようとはしなかった。


 その戦いで最も人を殺したのは、新開発された黒魔術……「呪詛」だった。


 敵を一方的に殺せるというそれは大人気となり、次々と人を苦しめて殺す呪詛が開発された。人間が前触れもなく死んでしまうという「呪詛死」が当たり前になった。


 50年も経つと、戦争は自然と鎮静化した。


 人があまりに死に過ぎたのだ。


 あまりに便利になりすぎた呪詛は、村を、街を、国を滅ぼすほどになっていった。


 痛苦呪詛。洗脳呪詛。失神呪詛。炎症呪詛。詳細不明の虐殺呪詛。バリエーション豊富な呪詛が世を飛び交った。「呪詛被害者」の遺体は、墓が間に合わないほど増え、やがて山や野原に捨てられた。


 モンテッキ家の人間も、カプレティ家の人間も、全員が呪詛で死んだ。家そのものが断絶した。


 一説によると、アトルムの人口の4割以上が戦争で死んだとも言われる。小さい村などは完全に消滅した。人が死にすぎて村という存在を維持できなくなり、村人が土地を捨てて離散したためだ。


 そんな中、王家ではようやく跡継ぎ争いが終わった。新たに就任した国王が、疲弊した貴族を仲介して戦争を終わらせることに成功した。国王は力を失った貴族の領地を取り込んで、吸収・合併していった。


 そうやって、国は統一されていき、呪詛戦争は終わりを迎えたのだった。



 ◆◆◆



「それが、呪詛戦争です」

「……なるほどな。よくわかった」


 晴明は深く頷いた。


 戦争で使われた武器は、戦争が終わってもなくならない。バージャが使っていた呪詛も、戦争の「遺物」と考えれば納得がいく。


「この国で呪詛を禁じている理由も分かった。戦で使われた「前例」があったのだな」

「はい。しかし、実際には呪詛を使う奴はあちこちにいます。バージャみたいな奴が」

「禁じているが、使うやつはいる……そうだろうな」


 平安京でも呪詛は禁じられた技術だったが、実際には呪詛を使った事件は度々起こっていた。


 怪異や異変が起こり、調べてみると、井戸や床下に呪物が仕掛けられていた──そんなことは珍しくなかったのだ。


「私の産みの親も、育ての親も、戦争中に呪詛にしまって。それで死んでしまいました。よくある話なんです」

「……それがよくある世の中は、とても嫌だな」

「はい、本当にそう思います」


 アリアネルは少し目を伏せた。


「呪詛なんてものが、アトルムにはたくさんあります。呪詛の汚染がひどくて、立ち入り禁止になってる場所もあるんです。本当に最低な話ですよ」

「最低か……そうだな」

「だから私、いつか王都で働きたいんです。王都には、呪詛を取り締まる専門の仕事がありますから!」

「ほう。それが君の夢か」

「いろんな人を苦しめてきた呪詛を、私はブッ飛ばしてやりたいんです。それができなくて苦しんでる人の代わりになってやりたいんですよ」


 まっすぐで、迷いのない瞳だった。


 理不尽の中にあってもなお、立ち上がる強さをアリアネルは持っている。


 ──まるで、太陽のような娘だ。


 眩しそうに晴明は目を細めた。


「何ですか、晴明さん」

「いや何でもない」

「……何というか。晴明さんって、まるで親戚のおじさんみたいですね」

「そうなのか?」

「何でも気安く相談できて、何だか頼りになって、家族じゃないけど親近感がある。そういうところが親戚っぽいです」


 晴明は思わず笑ってしまう。確かに言われてみると、アリアネルが遠い親戚の娘のような気がしてくる。


「どうかな。私はそんな素敵な存在ではないよ」

「あははは、遠慮しないでくださいよ。これは誉め言葉で言ってるんですから」

「それは光栄だな」


 アリアネルは軽快に笑う。どうやら機嫌がいいらしい。


「そうだ、晴明さんのことをもっと話してくださいよ」

「私の話? といっても、面白い話は何一つないんだが」

「それじゃ平安京の話でもいいです。どんな所だったんですか」

「平安京か。そうだな」


 少し考えて、晴明は答える。


「美しい都だった。春も夏も秋も冬も、色鮮やかで飽きることがない」

「へぇぇ」

「そしてその美しさの影に、闇も醜さもあった。色んなものがあったさ──」


 ぽつぽつと晴明は昔語りをした。


 徹夜の宴に参加し、芸を披露するように言われて面倒くさかったこと。


 40歳になっても出世できず、師匠に励ましてもらったこと。


 播磨から来たという法師陰陽師と術比べをしてどうにか勝ったこと。


 陰陽寮で天体観測をしていて、星の動きを見つめていると不思議な気分になったこと。


 晴明の思い出のかけらたちを、アリアネルは興味深そうに聞いてくれた。


「めんどくさいんですねえ、平安京の貴族様は。でも面白いです! 晴明さん、話するの上手いですね」

「それはそうさ。宮仕えするなら、ある程度喋りができなくてはね」


 気づいたら、夜になっていた。外に人影が見える。


「あれ……お客さんですかね?」


 アリアネルがいち早く外の様子に気づいた。


 2人で玄関に移動すると、予想通り、家を訪ねる客であった。


「やあやあ、どーもどーも!! すみませんねぇ、夜分遅くに。王都から来ました、呪詛担当の者です」

「……どうも」


 男女のペアであった。


 男性の方は、メガネをかけた小洒落た装いだった。白色のジャケットに黒色のズボン。灰色の山高帽。雨も降っていないのに長い傘を持っている。伊達男という言葉が似合いそうなその者は、とても快活な佇まいだった。


 女性の方は、深海のような藍色のブラウスを着ていた。長い銀髪を後ろで束ねている。理知を感じさせる整った顔立ちは、まるでどこかの姫君のようだ。


 ウルスラが駆け寄り、二人に挨拶する。


「ようこそ、遠路はるばる。ウルスラ・アムレットです」

「どーもどーも、お疲れ様です。俺はブルーセ・ドンガラン。こっちの女性の方はミシェル・スノー。こちらで呪詛事件が起こったと聞いてやってきました」

「ミシェル・スノーです。よろしく」


 少し離れたところから、晴明とアリアネルは様子を眺めた。


 するとそこへ、ブルーセと名乗った男が近寄ってくる。


「やあ。君たちだよな? 呪詛事件を解決した二人組ってのは」


 初対面にしては馴れ馴れしい。だが、朗らかな雰囲気をまとっていた。


「ああ、そうだ。解決したのはアリアネルの活躍によるものだがね」

「そうです! その通りです!! ……って何言ってるんですか! 晴明さんのおかげですよ!」


 二人が同時に声を上げる。それを聞いてブルーセはニッと笑った。


「たった二人でやったのか。すげえなぁ……いや、お世辞とかじゃなく、本当にすごいなあんたら。なかなかできることじゃないぜ」

「恐縮です」

「本当は俺たちがちゃんとしてないといけないんだが、何しろ人手不足でなァ」


 王都の呪詛担当者。まさに先ほど、話にのぼっていた存在だ。憧れの職業を前に、アリアネルは目を輝かせている。


「呪詛の担当者さん……アタシ、初めて見た」

「はっはっはー。よく言われる。そうとも、俺たちこそが呪詛事件の担当者だぜ」


 ブルーセは、手首につけた腕章を、晴明とアリアネルに掲げてみせた。


「俺たちは呪詛の捜査官。正式名称は『魔術取締官』。通称『マトリ』。覚えときな!」

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