第7話 日はまた昇る
洗脳呪詛が解け、正気に戻ったアムレット家の人々は誰もが皆驚いた。
中でも一番驚き、慌てふためいたのは、アリアネルの姉であるウルスラである。
「えぇ?! 私たちが洗脳されて、アリアネルが死にかけて、空の穴から来た人に助けられて、私たちを助けに戻ってきて、バージャをやっつけたですってぇ?!!」
「はい」
「あわわ、あわわわわ……」
「落ち着いてください。ひとまず解決しましたから」
「うわぁぁぁ! みんなごめんなさい!! ごめんね、アリアネル!! 辛い思いさせちゃってごめんねっ!!」
泣きださんばかりの勢いのウルスラだが、彼女を責める者は誰もいない。
その表情を見て、なんだかアリアネルは泣きそうになってきた。これで元通りになったんだ。みんな助かったんだ──暖かな安堵が胸に満ちて行って、気づいたら自分の姉を強く抱きしめていた。
「姉さん。ウルスラ姉さん。遅くなってごめん」
「アリアネル……」
「よかった。みんな元に戻ってよかったです」
ウルスラの目にも涙がにじむ。それをごまかすようにウルスラは笑顔を作って、アリアネルを抱きしめ返した。
「ありがとう、アリアネル」
実際の時間よりも、ずいぶんと久しぶりに思える、姉と妹との「再会」であった。
周囲にいる使用人たちも、戸惑いながら、自分たちが救われたことを噛みしめていた。
「なんか分からんけど、俺たちおかしくなってたみたいだな」
「全然実感湧かねえけどな」
「あのバージャの仕業なんだってよ、おっかねえなあ」
「呪詛を使ったんだそうだぜ。助けてもらえてよかったなァ」
ウルスラは呼吸を整え、アリアネル達に丁寧に礼を言う。
「お話は納得いたしました。アリアネル。晴明さん。私たちを助けていただきありがとうございました」
「あはは、いいんですよ! 当然の事ですとも!」
「バージャについてはご心配なく。体を厳重に縛り、納屋に監禁しておりますので」
晴明の言い方はやや物騒だったが、ウルスラを含め、周囲の者は安心したようだった。
「ありがとうございます。すぐに王都に連絡いたしましょう。呪詛事件を捜査する役人さん……「魔術取締官」の方がバージャを逮捕してくれるはずです」
晴明は胸をなでおろす。アリアネルもちらりと言っていたが、この世界には呪詛を使う者を取り締まる者が明確に存在するのだ。
詳しく聞いてみようかと思ったが、アリアネルの腹からぐぐうと大きな音が鳴った。
「あ。す、すいませェん……そういや何も食べてなかった」
「ふふ、そうよね。それじゃ軽く食事にしましょう。晴明さんもここでゆっくりしていってください」
「よろしいのですか」
「当然ですとも。私たちの恩人さんですから」
そんなわけで、晴明もアムレット家に滞在することとなったのだった。
◆◆◆
洗脳されていた人間たちは一切食事をとらなかったようで、全員腹を空かせていた。
とにかく空腹を満たそうと、スピーディに料理が作られ、晴明にも振舞われた。
「ひとまず料理を作ったはいいが、大丈夫なのか? あの人、空の穴からやってきたんだろ」
「俺たちの料理が口に合うかなぁ」
「料理の価値観がまるで違うかもしれんぞ……」
一部の使用人は、そんなことを言い合いながら心配そうに食卓の様子を見つめた。
「ほう、これがここの食事か」
晴明から見て、かなり豪勢な食事が食卓に並んだ。
白い汁物。穀物を加工したらしい、ふわふわとした食べ物。刻んだ野菜。どれもおいしそうな香りを放っている。
「なかなかに豪華な食卓だな」
「あれ、そうなんですか? 私たち、いつもこんな感じのご飯ですよ」
「ちなみに調味料を入れる皿はあるのかな」
「何ですか、それ? そういうのはちょっとないんですが……」
「おや、ないのかね。食べ物に味を付けるためには必要かと思うのだが」
「問題ありませんよ。料理にはもともと味がついてますから。調味料は調理する過程で混ぜてるんです」
「そうなのか?! それは面白い……国が違うと料理も違うというわけか」
平安京において、調理により味付けをするという概念はあまりなかった。
食卓には、調味料を乗せた小皿が置かれ、好みで食べ物に味を付ける。それが普通であった。だから晴明にとってこれは極めて新鮮な食事だった。
こわごわ、晴明は白い汁物に口を付ける。優しい美味しさが口の中に広がった。
「……うまいな」
「おっ、いける感じ? よかったぁー」
アリアネルはこっそりと見守っていた料理担当の使用人に、こっそりと指で「〇」印を作る。使用人の表情に安堵の色が浮かんだ。
「ちなみに、この白い料理の名はなんというのかな」
「シチューですよ。ドラゴンのミルクを使ってるから白いんです」
「ドラゴンとは?」
「ああ、そうか。そこから説明しないといけないんですよね……」
頭を掻き、言葉を選びながらアリアネルは説明する。
「ドラゴンとは、こう……デカいトカゲみたいな生き物で……ウロコがあって……強さの象徴みたいな感じのヤツです。そのお乳を搾って、料理に使ったりするんですよ」
「生き物の乳か! ああ、成る程成る程。平安京にも牛の乳を使った食べ物があったから分かるぞ。そうか、この世界では汁物にしているのか」
頷きながら晴明はアリアネルに色々と質問をぶつけていく。
「この茶色いものは?」
「そっちのはパンです。麦の粉から作るものです。これは野菜のピクルス」
「ピクルス……これは何となくわかるぞ。漬物だな」
どんどんと料理を食べていく。色んな味が、晴明の口を満たす。
──美味しい。
思わず、顔がほころんだ。
食欲を満たしたいという、その欲求は平安京ではむしろ「下品」と見なされることもあった。だが、ここでは気にすることはあるまいと晴明は開き直る。
作法や、細かい気づかいも無用。
ひとときの晩餐を、晴明は快く楽しんだのだった。
◆◆◆
アリアネルはぐっすりと眠った。本当にぐっすりと、夢も見ないくらい睡眠をとりまくって、目を覚ましたのは昼過ぎだった。
「くわぁぁぁ……」
大きな口を開けてあくびをし、壁に立てかけてある両親の絵に挨拶をする。
「お父様、お母様、おはようございます」
食堂へ向かうと、姉であるウルスラがいてお茶を飲んでいた。
「あら、アリアネル。疲れはとれた?」
「おはようございます、バッチリです! さすがに寝すぎましたね、あはは」
アリアネルはウルスラの横に座る。使用人が気を使ってアリアネルの分のお茶も入れてくれた。
わざわざありがとうと、と礼を言ってアリアネルは茶を飲む。砂糖の混じったミントティだ。頭が少し冴えたような気がした。
「姉さんこそ、体は平気ですか? どこか変な所とかない?」
「大丈夫。健康そのものだから」
「良かったです。姉さんに倒れられたら、私はもう立ち直れませんでしたよ」
「……そうよね。呪詛で誰かが死ぬのなんて、
アトルム王国の人間は、呪詛というものに少なからず苦い思い出がある。
アリアネルとウルスラの父親も、呪詛により命を落としているのだ。
だからそれを回避できたことに、アムレット家の人間は全員胸をなでおろしている。
「そういえば、晴明さんは?」
「あの人なら書庫にいるわ。この世界のことを勉強したいんですって」
「へえ、勉強熱心ですね」
会いに行ってみよう、とアリアネルは書庫へ向かった。
アムレット家の書庫は、帳簿、先祖の日記、そしてウルスラが収集した本などが整然と揃えられている。
晴明は小さな椅子に腰かけ、静かに書物を紐解いていた。
アリアネルがドアをそっと開けると、それを気配で察したのか、晴明が振り向いた。
「来たか」
「こんにちわ、晴明さん。お勉強してるって聞いたから、様子を見に来ました」
晴明は植物図鑑に目を通していたようだ。
アリアネルにしてみると、晴明の服装はとてもユニークで、見るたびに不思議な気持ちになってしまう。
「その帽子みたいなの、取らないんだね」
「こいつは
晴明は植物図鑑を読んでいた。
「そういうの、面白いですか?」
「大変勉強になる。私はこの世界について殆ど無知だからね。書物のおかげで、この世界の専門用語も少しは分かるようになってきた」
「へえ、やっぱり晴明さんて頭いいんですね」
「ははは。それほどでも……あるな。頭の良さには一応の自信があるとも」
冗談めかして晴明は笑う。
「陰陽師って、みんな晴明さんみたいに頭良かったんですか?」
「そうだろうな。陰陽師は愚か者には務まらない」
「……陰陽師って、結局何者なんですか?」
率直な質問に、晴明は本を閉じて静かに言った。
「占術を行う者。そして祓う者。それが陰陽師さ」
「へえぇ……要するに占い師ということでしょうか?」
「そうとも言える」
「占いがそんなに大事だったんですか」
「理解しづらいかもしれないが、平安京においては占術はとても重要だったのさ。一種の未来予知でもあった。何かあるとすぐ占ったのさ。建物を建てる時もいちいち吉の方角を占うくらいだ」
「へぇー、何だか面倒くさそうですね」
「この世界では、占術はあまり発達していないようだね。方角というのもそこまで重要ではないようだ」
「そうですね、ピンときません。占いって、何というか怪しげなイメージありますね」
「……私も、この世界の星を見ながら無理やり占いをしようとしたが、上手くいかなかったな。どうやらここでは、占いで未来を予見するのは不可能なようだ」
晴明は残念そうな顔をする。
「でも、晴明さんって占い以外も凄いですよね。式神を使ったり、雷を呼んだりして。そちらの方が凄いですよ!」
「はは、ありがとう。しかし私にしてみれば、そういうのは副業のようなものさ。何しろ平安京では色々なことを依頼されたものでな。自然と覚えたんだ」
晴明の本業はあくまで占術。しかしこの世界でその才能は効力を発揮しない。
だから、今の晴明はむしろ
「……そういえばちゃんと聞いてなかったですけど……晴明さんって何歳なんでしたっけ?」
「年齢か。君よりだいぶ年上だよ」
「いや、正確な歳を聞いてるんですってば」
晴明は顎をさすり、答える。
「80歳を超えている……とだけ言っておこうか」
「はち……はァ?!」
「80歳を超えていると言ったんだ」
「待ってくださいよ! どう見ても30歳くらいじゃないですか! どうなってんです?!」
椅子から転げ落ち、アリアネルは大声を上げた。80歳以上というと、正真正銘の老人だ。とても信じられなかった。苦笑しながら晴明は答える。
「私が得意とした祭祀に、「
「えぇ……そんなことあります?」
「我ながらおかしい話だと思っている。他人の役に立つ時こそ最高の力を発揮する我が祭祀が、どうもこれに限っては例外だったらしい。そんなわけで、私の肉体年齢は実際より若いんだ」
「……まあでも、それでよかったのかもしれませんね。本当に他人に効くなら、世の権力者がこぞってその術を独占したがるでしょうね」
そうかもな、と晴明も笑った。
そうやってしばらく二人で話し込むうち、やがて晴明はある質問を投げかけた。
「なあアリアネル。実は、少しばかり気になったことがあってね」
「何でしょう?」
「……この国では、呪詛というものが当たり前にある。もしかしてだが、それが人々に広まるきっかけがあったのではないか?」
アリアネルの表情が変わった。
「流石ですね。察しがいい」
「詳しく教えてほしい。ただ、不愉快な話題なら無理に話さなくてもいいぞ」
「いいえ。構いません。私の知ってる範囲の知識になるのですが」
そう言ってアリアネルは語り始めた。
「今から54年前。この国では、大きな戦争が始まったんです。4年前にようやく終わったんですよ」
「戦争……50年間もか。長いな」
「私が生まれる前からずーっとですよ。なんか信じられませんよね」
実感の無さからか、アリアネルの口調は少し軽い。
「その戦争は、呪詛がたくさん使われたそうです。私のお父さんもお母さんも呪詛で死んでるんですよ」
「……そうだったか」
「その戦争はこう呼ばれてます。「呪詛戦争」、と」
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