第6話 歯を食いしばれ、と赤ずきんは言った

「セイメイ……ふん。どこの馬の骨かは知らないが、あんたがアリアネルの協力者ってわけかい」

「その通りだ。君の洗脳呪詛は先ほど、祓わせてもらった。ちょいとばかし時間がかかったがね」

「ほぉ」


 値踏みするように晴明を見つめた後、バージャは雰囲気を弛緩させた。


「いやあ、ハハハ。よもや呪詛をあっさり解かれちまうなんてびっくりだよ。よほど凄腕なんだろうねえ」

「…………」


 晴明は何も答えない。バージャはまるで長年の友人かのような笑顔を向けている。


 だが、アリアネルはいち早く殺気に気づいていた。


「せ、晴明さん、避けてっ!!」

「遅い!! さぁ行きな、痛苦呪詛デンドロバデス!!」


 壁から、床から、染みのような黒いわだかまりが、一斉に晴明に襲い掛かる。


 その顔や腕や脚に、べったりと呪詛が貼りついていく。


「ははははッ! そら痛いだろう。苦しいだろう! どれくらい優秀か知らないが、これだけの呪詛を食らっては……!」


 笑みをたたえたバージャの表情が、次の瞬間には硬直していた。


 晴明の体の黒染みは、潮が引くようにみるみる消えてなくなっていく。


「数を増やしても意味はない。お前の呪詛が、この私に効くと思わん方がいい」

「な…………」

「私は平安京の様々な呪いと対峙してきた。50年以上もな。この体にはもう、そんじょそこらの呪詛は入り込めんようになっておるのだ。体内に入れば即、雲散霧消する」


 バージャは言葉を失う。アリアネルも、改めて晴明という男の底知れなさを思い知った。


 なんという途轍もない体質、なんという途方もない才気。


 呪詛というものを、本当に児戯のように扱っている──


「引導を渡すぞ、バージャ。呪詛を振りまくキサマは人の形をした災厄だ」


 いつの間にか、晴明の手には符が握られている。


 アリアネルは知っている。あれは雷を呼ぶ符だ。初めて会った時に見た、あの符だった。


「金輪奈落より深く反省するといい!」


 空気が張り詰めた。


「雷威雷動。急々如律令!!」


 強い閃光が走り、バージャの体を雷が貫いた。


「が、ぁぁぁ」


 喉がつぶれたような声を上げ、バージャが片膝をつく。すると晴明が声を上げた。


「アリアネル! 最後の一撃は君に任せた!」

「え、え?!」

「今の攻撃は、少し手加減しておいた。思いきり殴ってやりたまえ。もう体の痛みは引いているはずだろう?」


 晴明は軽く微笑みながらそんなことを言う。


「私は異邦人だ。ただのよそ者で、何の因縁も持たない。決着を着ける運命は君にこそある」

「……晴明さん」

「この家を取り戻すのは君だ。だから、君の一撃でこの勝負を終わらせなければならない。……やれるね、アリアネル?」


 背中を押されたように、アリアネルは一歩踏み出す。


「はい! ありがとうございます、晴明さん!」


 叫び、そして走った。


 剣を鞘に納め、拳を握りしめる。大股で一気にバージャの目の前まで距離を詰める。


 アリアネルは足が速い。体力がある。そして何より腕力がある。


 その握り拳だけでも、勢いよく殴打するならば、確実なる凶器となるのだ。


「バージャ──歯を食いしばれぇ! ブッ飛ばしてやるッ!!」


 鋭い右拳が、バージャの右頬を打ち据えた。


 ドゴン、と重たい音が響き、それでバージャの意識は完全に飛んでいった。


「ふ……ぐぉ……」


 べしゃり、とバージャの巨体が床に倒れる。


「はぁ、はぁ、はぁ──や、やった……」


 体中汗だくになりながら、アリアネルが片膝を突く。


「大丈夫か?!」


 晴明が慌てて駆け寄り、その体を助け起こすが、アリアネルは笑顔だ。にっと歯を見せて笑い、朗らかに答えるのだった。


「大丈夫ですよ。あなたのおかげでへっちゃらです!」


 そんな風にして。


 アムレット家を襲った呪詛の悲劇が、ようやく、幕を閉じたのだった。

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