いただきます!

おじぃ

いただきます!

 夏休み。山奥の村に暮らす小学二年生の少女、絵乃えのは、五年生の洋子ようこ、一年生の大介だいすけと一緒に、近くの河原で親には内緒のピクニックをすることになった。


 親に内緒なのは、河原は危険だから反対されると思ったから。そのため三人は、いつものように森の中へ遊びに行くと言って出かけた。


 絵乃は小学校に入学してから、全科目において満点以外の点数を取ったことがない。将来有望で、もしかしたら社長や博士になるかもしれない。


 そんな絵乃だが決して真面目一本ではなく、こうして友だちと遊びに出かけたり泥んこ遊びをする、生活態度はごく普通の小学生だ。


「おっ! 涌き水だ! ちょうど喉渇いてたし、飲むか!」


 蝉の大合唱が降り注ぐ凸凹でこぼこに傷んだ車がやっと擦れ違えるくらいのアスファルトの道を歩いていると、大介は脇の斜面から水の流れる管が突出しているのを見つけた。足元には道に沿って水路がある。


「大介待った!」


 水を飲もうとする大介を洋子が止めたが、言っているうちにゴクリと飲んでしまった。


「なんだよ」


 何か用でもあるのかと洋子を見る大介。






「それ、下水」






 洋子が冷静に言った途端、大介は青ざめ、絵乃は思わぬ展開に手で口を押さえながら笑いを堪えていた。


「ぐぇぇぇっ!! 早く言ってくれー!!」


「言ったのに聞かなかったじゃん」


 道中のちょっとしたパニック。大介は今日を無事に生き延びられるだろうか。


 河原に着くと、遊び道具として三人で持ち寄った5リットルのバケツや川の生き物を捕まえるための細い竹の柄の小さな網、気圧変化で袋が少々膨らんだポテトチップスなどの食料を、川から10メートルほどの距離を取り、不安定な丸い石たちの上にバランス良く並べる。誰もレジャーシートを持参しなかったようだ。


 周囲を木々に囲まれた河原には、人間の頭ほどの楕円形の石がごろごろしていて、サンダルを履いている三人は足元に注意していても踏んだ石がグラついて時々転びそうになる。


 目の前にある流れの速い幅10メートルくらいの川は、流されれば大人だって助からない。


 大介は女の子二人の前で陰部が露出するのを気にせず海水パンツに穿き替え、川に入って足場を探し、流れが緩やかな所を選びながら突き出ている岩まで泳いだ。その岩にはよく水生生物が潜んでいるのだ。


 絵乃と洋子は、『最初から海パンで来れば良かったのに』と思いながら、唯一の食料であるうす塩味のポテトチップスを休みなく貪り食い、これからお腹を空かすであろう大介が岩にくっついた生物を探る様子を傍観したり、晴れ渡る真っ青な空を見上げ、大きなアブを追いかける一頭のオニヤンマを観察していた。


 ポテチの袋の中を探って中身が無くなった事を確認した絵乃はふと思った。


「ねぇ洋子ちゃん、大介くんの分のポテチ、残しておかなくていいの?」


「ん? あっ…」


 夢中でポテチを貪り食った二人は、大介の分を残しておくことなどすっかり忘れていた。


「へ、平気よ、大介はね、ああやって岩を探ったりして食糧を捕ってるんだから」


 洋子は冷静を装いながらも、かなり狼狽している。


 ちなみにその岩に潜んでいる生物といえばトンボの幼虫、ヤゴや、ミズムシなどの水生昆虫くらいで、とても日本人が食べるようなものではない。


 釣り竿があればアユやマスが釣れたりするが、生憎そんな物は持っていない。


「お~い、でっかいヤゴとかアユのちっちゃい奴とかよくわかんない魚採れたぞ。あ~腹減った」


 バケツに『コオニヤンマ』のヤゴを一頭とメダカほどの小魚を数十匹泳がせて大介が戻ってきた。


 コオニヤンマとは、大型のトンボである事に変わりはないが、名の通りオニヤンマより若干小さいトンボで、オニヤンマの仲間ではなく、サナエトンボという部類の仲間であり、分類上は全く別の種類だ。


 幼虫はやや流れの速い川の岩にくっついていることが多い。


 一方オニヤンマの幼虫は流れの緩やかな小川の泥の中に潜んでいることが多い。


 コオニヤンマは大食漢であるため、時に自分より大きいオニヤンマにも襲い掛かって捕食してしまう、トンボ界の強者である。


 洋子と絵乃によって食料が食べ尽くされた事など知らない大介は大漁に満足してご機嫌だ♪


「そう、じゃあその小魚でも塩焼きにしたら?」


 洋子は空腹の大介にとても無茶な提案をした。


「うん! そうしよう! ってできるわけねぇべ? こんなちっちぇえの」


 メダカほどの小さな魚を塩焼きにすれば可食部など残らず消し炭になってしまうなど言うまでもないし、たとえ食べられたとしても空腹は満たされないだろう。


「食べないって言うならしょうがないね。大介はお昼ご飯抜きだ♪♪」


「いやいやポテチあるべした?」


 洋子ちゃんは冗談キツイなぁ、なんて思っている大介。


「ごめんなさい大介くん、洋子ちゃんと二人で食べてたらいつの間にか無くなっちゃったの」


 絵乃の申し訳なさそうな表情と言葉に大介は本当にお昼ご飯抜きなのだと悟った。


「スッキリ晴れた真っ青な空、透き通るきれいな川っ! この絶景だけでお腹いっぱいじゃない?」


 大介は洋子に言われてスッキリ晴れた青い空を見上げると、オニヤンマが食べ残したアブの残骸が落下して口の中へ見事にダイブした。


「ぐふぇっ!! っぺっ!! じゅほっ!?」


「トンボさんが大介くんに食べ物分けてくれたのかなぁ?」


 絵乃は素で言う。大介はオニヤンマが食べ残した虫を吐き出す。


「ぶふぁっ、虫まだ生きてた。俺の口の中でうねうねした。あ~、俺の頭がアンパンでできてたらメシに困らないのになぁ」


 自分の頭がアンパンでできていないことを悔やむ大介。しかしこの村にはジャ〇おじさんどころかパン職人すらいない。よって『自分の頭を食べる=死』となる。


「まぁいいや。家に帰ればじいちゃんが釣ってきた鮎が余ってるし、解凍して塩焼きにしよう」


「ごめんね大介、今度アイスキャンディー買ってあげるから」


「ホントに洋子ちゃん? 約束だよ?」


「じゃあ私は……」


「絵乃ちゃんはまだ二年生だからいいよ。ここは五年生の私に任せなさいっ!」


 こうしてポテチ問題はなんとか解決した。


「うわっ!」


 ポテチ事件を水に流した大介が生き物を観察するためバケツを覗き込んだ途端、驚いて声を上げた。


「どうした?」


 洋子が問い、絵乃と一緒にバケツを覗いた。


「お魚さんが……」


 絵乃はその光景ショックを受けた。


 バケツの中で、大介が捕まえたコオニヤンマのヤゴが小魚を捕食しているのだ。尻尾をくわえられた小魚は血を吹き出しながら、自らを叩きつけるようにバタバタともがいて必死に逃れようとしている。しかしヤゴの顎は強く、一度捕らえた物はヤゴ自らが放さない限り逃げられない。


「すげぇ……」


 大介はそれを唖然と観察している。


「お魚さん、可哀相」


 絵乃は半泣きで見ていた。


「よく見ておくんだよ。私たちがいつも食べてる焼き魚とかお刺身だって、最初は生きてるのをさばくんだよ。私たちだって、お魚さんから大切な命を貰って、いまこうやって元気に生きてるんだよ」


 消えゆく命がほかの命を繋いでゆくさまを、洋子は宥めるようなやさしい声で二人に諭した。


「そうだよね、じいちゃんが釣ってきた魚だって、昨日まで生きてた」


「命、貰ってる」


 大介、絵乃の順。


「そう、それに、さっき絵乃ちゃんと食べたポテチの材料になってるジャガイモだって、畑の土の中で生きてたんだよ」


「うん、ばぁちゃんがよく言ってる。畑の野菜だって生きてるんだよ、って」


 村の大半の家の庭には畑があり、村の子供たちは野菜だって生きていると教えられているのだ。


「そう。だからね、『命』って自分だけのものじゃないんだよ。お父さんとお母さんから授かって、食べたり飲んだりしたものには運動するエネルギーを、家族とか友達とかペットには心のエネルギーを貰うの。


 私たちは数え切れないくらい多いものに支えられてる、たったひとつの、すごく貴重で、実はいまこうして生きてるだけでも奇跡なんだよ。それだけは大きくなっても忘れないでね」


「ヤゴも俺たちも、こうやって支えられて生きてるんだな」


 ヤゴに捕食された小魚は頭部だけが残り、口をぱくぱくさせながらバケツの底に横たわっていた。命の灯が少しずつ消え行く姿を三人は心のフィルムに焼き付けた。こうして消えた命はヤゴを成長させて、やがてトンボになって翼を広げ大空へ飛び立つだろう。


 その後、大介はヤゴや小魚たちを川へ逃がし、三人は村の集落へ戻りそれぞれの家に帰った。



 ◇◇◇



「あら絵乃ちゃん、お帰りなさい。今日は洋子ちゃんと大介くんと遊んでたっけかい?」


 出迎えてくれたばあちゃんに、私は靴を脱ぎながら言う。


「うん、あっ、今日は夕ご飯いらない」


「あら、どうしてだべ? 今日は絵乃ちゃんが大好きなモロヘイヤもあるべよぉ?」


 おばあちゃんは不思議そうな顔で私を見る。


「洋子ちゃんがね、みんないろんな命に支えられながら生きてるって言ってた。だからちょっとだけでも犠牲になるが少なくなれば、助かる命は多くなる。だから夕ご飯は食べたくないの」


 命に感謝するために私が考えたことだった。


「じゃあな、絵乃ちゃん? もし絵乃が今夜のモロヘイヤさんを食べなかったら、どうなっちゃう?」


「食べられないで残っちゃう」


 考える間でもない結果。


「そしたら、せっかく絵乃ちゃんのために命をくれたモロヘイヤさんは、誰を支えることもできねぇで棄てられて燃やされちまう。それってすげぇかわいそうだべぇ?」


「うん、かわいそう」


「だべぇ、だからぁ、『いただきます』って言って、ちゃんと残さねぇで食べてあげて、『ごちそうさま』って言うのが『ありがとう』の言葉の代わりになるんだべしたな?」


 言われてみれば、おばあちゃんの言う通りだ。きっと洋子ちゃんもそう思ってると思う。


 いくつもの命の灯が、たったひとつの命の灯を繋いでゆく。


 私たちが普段から言っている『いただきます』の意味を考える。


 今日、ヤゴに食べられた小魚は、食べられなければ次の世代のお魚さんのお父さんかお母さんになっていたかもしれない。そうならなかったとしても、水中を冒険して、色々なものを見て、感じて、楽しい一日を過ごしたのかもしれない。


 いま私の目の前にあるモロヘイヤは、収穫されるまで太陽の光をいっぱい浴びて、ひなたぼっこをしていたのかもしれない。もっと大きくなって、もっといっぱい光を浴びたいと願っていたかもしれない。


 命をつなぐということ、それはきっと、他の命の未来を、可能性をいただいて、それを自分のエネルギーに換え、自分や、他の誰かや何かの未来を創り上げるということなんだ。


 未来が明るいか暗いかなんてわからない。


 けど、今まで食べたり飲んだりしてきた命に、大切なことを教えてくれたおばあちゃんや洋子ちゃん、お父さんやお母さん、大介くんや他のお友達も、私を支えてくれている。


 私を支えてくれている人たちも、たくさんの誰かや何かに支えられている。


 こんなにたくさんの力があれば、きっと明るい未来が創れるはず。


 食べることは、きっとその、はじめの一歩なんだ。


 私に、明るい未来を創る機会を与えてくれてありがとう。


 だから、『ありがとう』の気持ちを込めて……。


「いただきます!」

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いただきます! おじぃ @oji113

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