第19話 帰りの馬車で


 会場に戻ったものの、アランがまだ少し刺々しい雰囲気を放っていた。


 アランもそれがわかったのか、これ以上会場にいても意味はないと判断したようで、最後にチルタリス侯爵に挨拶をして会場を出た。


 馬車に乗り込んで、公爵家の本邸に戻っている途中、私達の間には少し気まずい雰囲気が流れていた。

 公爵夫人の私にあんなことを言うなんて、まさかナタシャがあれほど愚かだとは思わなかった。


「ソフィーア、大丈夫か?」

「あ、はい、大丈夫です。少し疲れてしまいましたが」

「無理もない。明日は何も予定はないから、しっかり休んでくれ」

「はい、ありがとうございます」


 その後、しばらく外を眺めながら馬車に揺られる。

 アランも同じようにしていたが、少ししてから社交界について話し始める。


「今日の社交界はどうだった? ソフィーアは久しぶりだと思うが」

「はい、それにベルンハルド公爵夫人としては初めてでしたので、緊張しました。何か粗相がなかったか少し心配です」

「私が見る限りは問題なかったはずだ。チルタリス侯爵とは何を話したんだ?」


 チルタリス侯爵、私が一人でいる時に事業の話をしに来た人だ。

 あの時は雰囲気が悪くならないように適当に誤魔化したけど、今は本当のことを言ってもいいのよね。


「チルタリス侯爵には共同事業を進められました。確か服飾や宝飾関係などでした」

「そうか、しっかり断ったのだろう?」

「はい、もちろん。明らかに怪しかったですし、公爵夫人の私の評判を下げたいのかと思いました」

「正解だ。チルタリス侯爵は地位や金に貪欲で、隙を見せれば喰らおうとしてくる。断ったのなら問題ないと思うが、油断はしないように」

「はい、かしこまりました」


 やっぱりそうだったのね。

 最初から受ける気はなかったけど、怪しいと思ったのは正解だった。


 チルタリス侯爵にはこれからも気を付けないといけないわね。


「……一つ、失礼なことかもしれないが、聞きたいことがある」

「はい? なんでしょう?」


 アランがそんな前置きをして質問するなんて珍しい。

 私が首を傾げていると、アランは少し聞きづらそうに話す。


「魔法学園を一年で卒業、または魔法を全くできないだけで、あれほど侮辱されるものなのか?」


 なるほど、そこが気になっていたのね。

 アランは私が魔法ができずに一年で魔法学園を卒業したと聞いても、全く態度を変えなかった。


 態度を変えなかったのは優しさだと思ったけど、彼にはそれくらいで侮辱する意味がわからない、というわけね。


「どんな貴族の令嬢でも、魔法の優劣だけで差ができるとは思えない。むしろ魔法の優劣など、令嬢の価値や魅力には全く関係ないのではないか?」

「合理的に考えればそうですね。ですが世の中には合理的じゃない人もいまして、その中の一人がナタシャだったというわけです」

「……なるほど、確かにそうだな。少しでも考える頭があれば、公爵夫人にあれだけの言葉を吐くなどしないだろう」


 アランは少し納得したように頷いた。

 ナタシャに対して酷い言い草だけど、まあ仕方ないだろう。


 私も数年間、彼女から侮辱的な言動を取られてきたのだから。


「貴族の中には、他人の価値や評判を落として、自分の地位を上げようとする者がいると思います」

「ああ、そういう者がいるのは否定はしない」


 私に近づいてきたチルタリス侯爵もそれに近いだろう。


「ナタシャも私の家が貧乏なのを揶揄ったり、私が魔法をできないことを貶したりすることで、自分の立場が私よりも上と確認していたのでしょう」

「なるほど、愚者のやることだな」

「そうですね……」


 今は立場が変わったのに昔のようにしてきたのがビックリしたけど。

 あちらから仕掛けてこなかったら、特に仕返しをしようなんて考えていなかった。


 でももうナタシャが無礼なことをしてきたから、手遅れね。


 でも彼女が言ったことが、少し頭に残っている。


『なんで貧乏伯爵令嬢のあんたが、ベルンハルド公爵様に選ばれたのか、本当に不思議でしょうがないわ』


 これに関しては、私も何も言い返せない。

 だって私はレベッカに似ているだけで、運でしか選ばれていないのだから。


「ソフィーア、どうした?」

「あっ……いえ、ナタシャに恨まれるのは仕方ないと少し思いまして」

「恨まれるのは仕方ない?」

「はい。もちろん、仕方ないと言っても、貶されるのを見過ごすことはありません」


 そこに関しては私の気持ちなど関係なく、ベルンハルド公爵夫人としてしっかりしないといけない。

 だけど……。


「私の立場が変わったのは幸運だっただけですから」


 その一言で、馬車内にまた沈黙が訪れる。

 言わないほうがよかったかしら……だけど本当のことだ。


 少し気まずいのでアランの顔を見ずに視線を外していた。


「幸運、か。確かに私は結婚相手など誰でもよく、ソフィーアを選んだ最終的な決め手はレベッカと似ているからだった」

「……はい」


 そう、そして私からすればレベッカと似ているところなんて、金髪なだけだ。

 だから私は運だと思ったのだが……。


「しかし私も、あなたを選んだことを幸運だと思っている」

「っ……」


 その言葉は、社交パーティーの時にも聞いた。


 あれはチルタリス侯爵もいたから、社交界で喋るお世辞などかと思ったが……ここには二人しかいないから、アランがお世辞を言うことはない。


「あなたが公爵家に来てから、レベッカが成長した。レベッカが私に対しても自分の意見を言うようになり、笑顔が増えた。とても素晴らしいことだ」

「それは、レベッカが頑張ったからで、私の成果じゃ……」

「いや、ソフィーアが来なかったら、レベッカはずっと自分の気持ちを言えないでいたかもしれない。私もレベッカと今のように多く関わることはなかったと思う」


 確かにレベッカとアランが今は食事の度に話しているけど、私がいない時は全然話していなかったと聞いた。


 私がその架け橋になっているのは嬉しい。


「それにレベッカを抜きにしても、私はあなたに好感を覚えている」

「えっ……」

「そうでもなければ、私はあなたとほぼ毎日食事を一緒に取らない。私は結婚する前、何度も令嬢達と食事をする機会はあったが、あの時間はとても苦痛だった」

「そうだったのですか?」

「ああ、私に気に入られようと喋る令嬢の話を聞き流す、くだらない時間だと思っていた」

「な、なるほど」


 公爵家当主ともなればいろんな令嬢から誘いがあっただろう。

 全部断るのも難しいし、彼も大変だったのだろう。


「だがソフィーアと食事をするのは落ち着いていてよかった。会話をしていても特に疲れないからな」

「そうですか、それは嬉しいです」


 私はアランに好かれようとしていないから、じゃないかしら?

 最初から契約で「愛してはいけない」とあったから、気に入られようと行動する必要がなかった。


 それが今までずっと令嬢に迫られていたアランには、心地よかったのかもしれない。


「他の令嬢だったら、こんな関係にはなれなかっただろう。そして前にあなたが言ったことも、覚えている」

「私が言ったこと?」

「ああ、私達は家族になれる、という言葉だ」


 アランは口角を上げてそう言った。

 確かに言ったけど、そこまで優しい笑みで思い出すような言葉だったかしら。


「今でも、そう思うか?」

「はい、もちろんです」


 正直、もう家族になっていると思うのだが……確信を持てないから、何とも言えない。

 何をしたら、どうしたら家族になったかなんて、私もよくわからないから。


「そうか、それは嬉しい限りだ。私もレベッカと、ソフィーアと家族になりたいと強く思っている」

「私もです、アラン」


 だけどアランがこれだけ家族になりたいと思ってくれているのは嬉しい。

 彼は家族に対して、何か思い入れがあるのだろうか。


「ソフィーアがいなければ、私はレベッカと家族になりたいと思うこともなかっただろう。だからあなたが結婚相手で、本当によかった」

「あ、ありがとうございます……」


 優しい笑みと共にそう言われたら、胸が高鳴ってしまう。

 これは恋人として求められているわけじゃなく、家族として求められているだけだ。


 勘違いしないようにしないと……!


 だけど彼は社交パーティーで、私が「アラン様が私のことを好いているという変な勘違いをされてしまう」と言ったら、彼は……。


『特に変な勘違いではないだろう』


 と言っていたわね。

 あの時は言葉の真意を聞けなかったけど、今聞こうかしら?


「あの、社交パーティーでアランが言っていたことで……」

「私が言っていたこと?」

「……や、やっぱりなんでもないです」


 なんて聞こうか迷って、やはりやめた。

 質問も「私のことが好きですか?」と聞くしかない気がして、そう問いかけるのは恥ずかしすぎる。


 恥ずかしいし、おそらく勘違いだから。


「そうか? 何か質問があるなら、いつしても構わないぞ」

「はい、ありがとうございます」


 その後、私とアランは馬車で屋敷に戻った。


 公爵夫人としての初めての社交界は、成功と言ってもいいだろう。

 これからも社交界はあるけど、しっかり頑張らないといけないわね。

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