第18話 ナタシャの蛮行


 社交パーティーに来てから二時間ほど、一度私は会場を離れてバルコニーに来た。


 ここに来た理由は一つ……疲れたから。

 まさかパーティーで休憩もなしに、ずっと人と話し続けるとは思わなかった……。


 やっぱりベルンハルド公爵夫人って、すごい注目されるのね。


 貧乏伯爵の令嬢の頃は、パーティーに出ても喋る相手もあまりいないし、軽く喋ってから端っこの方で飲み物を飲んでいた。


 それが公爵夫人になると、飲み物を飲む暇すらなかったわ。


 さすがに疲れたので、一人でバルコニーに来たのだ。

 ここには椅子もあって座って休めるし、夜空を見上げることもできる。


 はぁ、疲れたわね……主に表情筋が。


 ずっと愛想笑いをしていたけど、それを維持するのも大変なのね。

 アランはいつも通りの無表情だから、表情筋が疲れないだろう。


 私も無表情でいけばよかったかしら? だけど伯爵令嬢の頃を知っている人もいるし、いきなり無表情の令嬢で通すのは無理ね。


 そう、私を知っている人……たとえば。


「ソフィーア、いいご身分ね」

「……ナタシャ」


 魔法学園の頃からの知り合いの、この子とか。


 もう夜で少しの明かりの中でも、彼女の長くて赤い髪はよく見える。

 さっきは私と同じように愛想笑いをしていたけど、今は私と二人きりだからか、眉をひそめて私を睨んできている。


 私がいつも見ていた彼女の表情は、こっちの方が多いわね。


 それか私に陰口を言って嘲笑っているような顔とか。


「アナエニフ伯爵令嬢、私に何か用かしら?」

「ふん、何よその話し方。まるで自分の方が上だと言っているみたいね」


 ああ、やっぱり彼女は変わらないわね。

 さっき話した時の去り際の表情を見たから、わかっていたけど。


「みたい、とかではなく、今は私の方が上なのよ。もう同じ伯爵令嬢じゃないの」

「はっ、何が同じ伯爵令嬢よ。あなたは貧乏伯爵家で、魔法の才能もなかった欠陥品だったじゃない」


 ナタシャは吐き捨てるようにそう言った。

 確かに貧乏だったし魔法の才能もなかったから否定はできないけど、欠陥品とは酷い言いようね。


 彼女は今、私がどんな立場かわかっているのかしら?


「アナエニフ伯爵令嬢、今の私は公爵令嬢よ? 身の程をわきまえたらどうかしら?」

「っ……」


 今の言葉を問題視すれば、すぐにでもアナエニフ伯爵家の事業などに痛手を与えることもできる。

 ベルンハルド公爵家の力は、彼女もわかっているはずだ。


「ふ、ふん、あなたはそうやって借り物の力を振り回すことしかできないのよ。自分の力がないから、無様よね」


 少しビビりながらも、まだ反抗的なことを言ってくるナタシャ。


 意外と肝は座っているようだ。それともただの蛮勇かも。

 私が本当に問題視をしないと思っているのかもしれない。


 これだけ絡んでくるのは彼女がアランのことを好きだったかもしれない、と思ったから少し見逃していたけど、これ以上言われて放っておいたら公爵家の名が傷つく。


 だからもう言うのはやめてほしいんだけど、彼女は止まらない。


「なんで貧乏伯爵令嬢のあんたが、ベルンハルド公爵様に選ばれたのか、本当に不思議でしょうがないわ。私の方が家系も上で、相応しいはずなのに……!」

「……」


 私と結婚する前、アランが結婚相手を探しているというのは、とても有名だった。

 だからナタシャも立候補したはずで、それで選ばれた私を恨んでいるのかもしれない。


 まあ、選ばれた理由は私も不思議なんだけど。

 いや理由は知っている、でも「レベッカと似ているから」という理由だけ。


 もしかしたら彼女が赤髪ではなく金髪だったら、アランは彼女を選んでいたかも。


 そう考えると、私は本当に運がいいだけだ。


「今は公爵様がなんかの間違いであんたを愛しただけで、いつか飽きられるわよ」

「……」


 いや、私は愛されていない。

 なぜならこれは契約結婚で、契約でも「アランのことを愛さないこと」と明記されているくらいだから。


 もちろんこれは言ってはいけないから、黙るしかない。


「ふん、もしかしたら身体で誘ったのかしら? あなたは顔だけはよくて、貧乏でも社交界で男性からの誘いは多かったものね?」

「っ、あなた……!」


 まさかそこまでの侮辱を受けるとは思わなかった。

 私はナタシャを睨むが、彼女は少しビクッとしたが虚勢を張って笑みを浮かべている。


「あ、あら、図星だったかしら? 身体で誘うなんて、淑女として恥ずかしいわね」

「ナタシャ、いい加減に……!」


 私もさすがに頭にきて、声を荒げる寸前。


「ソフィーア」


 私の名を呼ぶ声が聞こえて、驚いてそちらを向く。

 声でわかっていたが、そこにはアランが立っていた。


 いつの間にバルコニーに入ってきていたのか。


 いや、今はそれよりも……彼に今の話を聞かれてしまったかしら。


 あまり聞いてほしくない会話だった、特にアランには。


「アラン……」

「ここにいたのか。会場にいないからどこに行ったのかと思ったぞ」

「すみません、少し疲れたので休んでいたのです」

「そうか、ちゃんと休めたか?」

「はい、ありがとうございます」


 いつも通りの会話だけど、彼の表情がいつもよりも怖い気がする。

 無表情ながらも目つきが鋭く、雰囲気も尖っている感じだ。


「こ、公爵様……」


 さっきからアランにいないように扱われているナタシャが、小さくそう呟いた。

 その声を聞いてアランが初めて彼女を見たが、とても冷たい視線だ。


 ナタシャは睨まれただけでビクッとして、もうすでに涙目になっている。


「貴様は、アナエニフ伯爵家のナタシャ嬢だったな」

「は、はい、そうです」


 名前を憶えられていたからか、ナタシャは少し安心したのか笑みを浮かべる。

 しかし……。


「そうか、アナエニフ伯爵は無念なことだろう。娘のせいでこの国からその家系が消えてなくなってしまうのだから」

「えっ……」


 アランの発言にナタシャだけじゃなく、私も目を丸くして驚いた。


「ベルンハルド公爵夫人に対して、罵詈雑言を浴びせるとはな。その蛮行を後悔するといい」

「ひっ……!」


 アランの冷たく鋭い言葉に、ナタシャは後ずさりながら悲鳴を上げた。

 まさかアランがそんなに怒っているなんて私も思わなかった。


「ア、アラン様?」

「ソフィーア、行こうか」


 私の手を掴んで会場に戻ろうとするアランだが、私はその前に声をかける。


「アラン様、待ってください。ナタシャ嬢のことですが、少しやりすぎでは?」

「……そうか?」


 足を止めて私と視線を合わせてくれるアラン。

 少し冷静になったのか、怒っている雰囲気は緩和している。


「確かに彼女の発言は看過できないですが、それにしても伯爵家を消すほどのことはないかと思います」

「……ソフィーアは怒っていないのか?」

「私も怒っていますが、アナエニフ伯爵家を消すほど怒っているわけでは……」


 そう聞くということは、アランは伯爵家を消したいほど怒ったということ?

 確かにベルンハルド公爵夫人への侮辱発言は看過できないけど、たかが伯爵令嬢の言った言葉。


 伯爵家を消すほどの発言ではない、と思う。


「……そうか、わかった。あなたが言うなら、対応を変えよう」

「ありがとうございます、アラン様」

「だがアナエニフ伯爵家を消しはしないが、それ相応の仕返しはしないとな。事業の半分を潰してやろう」


 まあそれくらいなら……伯爵家にとって大打撃だろうけど、家系を消されるよりはマシだろう。

 事業の半分を潰されるのは、娘のナタシャに蛮行を止められなかったから、甘んじで受けてほしい。


「こ、公爵様、申し訳ありません……深く反省しておりますので、どうかお慈悲を……!」


 ナタシャが泣きながらそう言っているが、またアランが怖い雰囲気になった。

 表情はほとんど変わらないのに、すごいわね。


 また彼が怒りそうなので、私は彼が落ち着くようにと手を強く握った。


 すると少しだけ雰囲気が和らいだ気がする。


「ナタシャ・アナエニフ。貴様は最後まで私を苛立たせてくれるな。貴様が謝るべきなのは私ではないというのに」

「っ、その……」

「ソフィーアに謝る前に私に慈悲を求めるとは、本当に救えない者だ。もう貴様と話すことなど、一つもない」

「あっ……」


 アランは私の手を引いてバルコニーを出ようとする。

 しかしその手前で一度止まり、「そういえば」と話を切り出す。


「私が結婚相手を探している時に、数人の令嬢から恋文をもらったことがあるな。『私を選んでほしい』『なんでもする』と、手紙には書いてあったそうだ」

「っ、それは……!」

「執事に読ませて捨てさせたから、私は手紙の差出人の報告しか受けていないが」


 これは……ナタシャの反応を見るに、数人の令嬢の中に彼女が含まれていたっていう話かしら?


 だけどアランは結婚相手に愛情を求めていなかった。

 わざわざ「アランを愛さないこと」と契約させたほどに。


 だから恋文を送ってくる令嬢なんて、彼にとっては煩わしいだけだろう。


「貴様はソフィ―アよりも自分の方がベルンハルド公爵夫人に相応しい、私に愛されていないと戯言を言っていたようだが……」


 アランは振り向いて、ナタシャを見下すように睨む。


「貴様を選ぶことなど天地がひっくり返ろうがありえない、身の程を知れ」

「っ……」


 アランがナタシャに冷たくそう言い放ち、ナタシャがその場に崩れ落ちたのが見えた。


 アランはもう彼女に興味を失ったのか、私の手を取り会場へと戻った。

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