第4話 アラン様と三人で食事



「す、すみませんでした!」


 レベッカ嬢は起きて時計を確認し、すぐに私に謝った。


「こんな時間まで寝てしまって……!」


 慌ててベッドから降りて頭を下げるレベッカ嬢。


「大丈夫よ、レベッカ嬢。顔を上げて」


 私がベッドの縁に座ると、彼女と頭の高さが一緒になる。

 心配そうに私を見つめる顔、寝ていたから少し跳ねている髪。


 寝起きも可愛いわね。


「ぐっすり眠れた?」

「は、はい……寝すぎてしまいました」

「しっかり眠れたのならよかったわ、レベッカ嬢」


 私がレベッカ嬢の寝癖になってしまった部分を押さえるために、頭を撫でる。


「気持ちよく眠れた?」

「はい、とても気持ちよかったです」

「そう、それならよかったわ。また一緒に寝たい?」

「ね、寝たいですが、ソフィーア様の迷惑じゃ……」

「大丈夫よ。私も一緒に寝たいから」


 私が優しく微笑むと、レベッカ嬢も嬉しそうに微笑んでくれた。

 とても可愛らしい笑みで、見ているだけで幸せになるわね。


 この子の幸せは私が守らないと。


「じゃあ夕食に行きましょうか。食べられる?」

「すみません、あまりお腹は空いてなくて……」


 昼食を食べた後にずっと寝ていたから、お腹が空いてないのは仕方ないだろう。


「じゃあ軽く食べましょうか」

「はい」


 最初に会った時よりも元気になっている気がするわね。


 少しずつ心を開いてくれているのかも。

 これからもっと仲良くなって、愛してあげたい。


 二人で部屋を出て食堂へと向かおうとすると、一人のメイドに話しかけられる。


「奥様、公爵様との食事の時間です」

「あっ、そうだったわね」


 私とアラン様は契約して夫婦となったが、夕食は一緒に食べることが多い。


 だけどあの人と夕食を取っても、ほとんど喋らないのよね。

 契約結婚だからお互いに愛がないのは当たり前なんだけど。


 一週間前に公爵家に嫁いできたけど、アラン様に初めて会ったのは二週間前程度。


 嫁ぐ前に一度だけ顔を合わせて、次に顔を合わせた時は夫婦関係だった。


 最初の顔合わせの時に私を見て「レベッカに似ている」と思ったらしいけど。


「もう私の夕食は本邸で準備されているの?」

「はい」


 それは困った、私はこのまま別邸でレベッカ嬢と夕食を取ろうとしていたけど、

 あ、そうだ、レベッカ嬢を本邸に連れて行けばいいのかしら。


「レベッカ嬢、あなたも本邸で一緒に食べない?」

「えっ……その、私もいいのですか? 公爵様と、食事をしても……」


 公爵様? レベッカ嬢はアラン様のことを公爵様と呼んでいるのね。

 私は公爵家に来て一週間ほどだけど、レベッカ嬢はもう一年はいるはずだ。


 それなのにアラン様への呼び方がまだ固いのは、全然仲良くなってない証拠だ。


「レベッカ嬢はアラン様と食事をしたことはある?」

「えっと、一カ月に一度の頻度で食事会をしています」

「一カ月に一度……」


 つまりまだ十回程度しか一緒に食事をしたことがないのね。


「食事をする時に何か話すの?」

「私の勉強の進み具合や、稽古のことを話します」

「それ以外は?」

「特にそれ以外は……公爵様は忙しそうで、すぐに食べてどこか行ってしまうので」


 なるほど、話すのは最低限のことばかりね。

 アラン様は私と食事をする時はほぼ喋らないけど、レベッカ嬢とは少しだけ喋るようね。


 まあ頻度が私は週に数回、レベッカ嬢は一カ月に一度だけど。


「レベッカ嬢は、アラン様と食事を共にするのは嫌ではない?」

「い、嫌ではありません! 公爵様はとても優しい方ですから」

「優しい方?」

「はい、私をこの家に引き取ってくれましたから。とても優しいです」


 確かにレベッカ嬢がアラン様の弟夫婦の娘だとしても、特に引き取る理由はない。


 レベッカ嬢を公爵家に引き取ったのはどうしてなのかしら?


 今はわからないけど、レベッカ嬢からすればアラン様は自分を拾ってくれたとても優しい人と思うだろう。


「もっと仲良くしたいとは思いますが……まだ、二人で話すのは少し緊張します」

「そうよね……」


 数回ほど食事を一緒にしたけど、私でもまだ緊張するから。

 子供のレベッカ嬢なら緊張するのは当然ね。


「それなら今日は一人で食べる?」

「あ、いえ……その、ソフィーア様がいれば、大丈夫だと思います……!」


 レベッカ嬢は上目遣いでそんな可愛いことを言ってきた。

 くっ、私は何度心を奪われないといけないのか……!


「嬉しいわ、レベッカ嬢。私もレベッカ嬢と一緒に食べたいから」

「わ、私も嬉しいです!」

「じゃあ本邸の方で一緒に食べましょうか」

「はい!」


 いい笑顔で返事をしたレベッカ嬢。


 そして私達は別邸から、本邸へと向かう。

 その際、すれ違ったメイドに「レベッカ嬢の夕食を本邸で用意して。それと本当に軽いものを準備しといて」と言っておいた。


 私とレベッカ嬢が本邸の食堂に入ると、アラン様が席に着いていた。


 というか、すでに食事を始めていた。

 遅れたのは悪いけど、まさか先に食べ始めているとは……。


「申し訳ありません、アラン様。遅れてしまいました」

「いや、問題ない。こちらも食べ始めてすまないな」


 アラン様は謝ってくれたが、食べる手を止めてはいない。


 所作がとても綺麗で貴族であれば目指すべき美しさなのだろうが……彼が食べていても、全く美味しそうに見えない。


 例えばアラン様が極上の肉を食べても、顔色一つ変えない。

 腐りかけの食べ物を食べても、同じように顔色が変わらないだろう。


 それだけ彼の冷徹な仮面は崩れそうになかった。


「ん、レベッカもいるのか」

「ご、ご機嫌よう、公爵様」

「ああ、どうして本邸に?」

「私が連れてきたんです、アラン様。レベッカ嬢とご一緒に食事がしたいと考えまして」

「い、一緒に食事をしてもよろしいですか?」


 レベッカ嬢が少し震える声で座っているアラン様にそう言った。

 アラン様は私とレベッカ嬢を一瞥してから、食事に視線を戻す。


「問題はない。だがレベッカの分の食事の準備には遅れると思うが」

「は、はい、大丈夫です」

「そうか、ならいい」


 やっぱり許してくれたようだ。

 興味がないから勝手にしていい、って感じだけど。


 私はいつも通りアラン様の対面に座って、私の横にレベッカ嬢が座る。


 レベッカ嬢の右斜めの席にアラン様が座っている位置だ。

 私の料理はすぐに届いたのだが、レベッカ嬢の料理はまだ届かない。


 だからまだ私は手を付けなかったのだが、アラン様が首を傾げた。


「どうした、食べないのか? 何か嫌いな物でも入っていたか?」

「いえ、そうではなく。レベッカ嬢の料理が届くまで待っているのです」

「ソ、ソフィーア様、先に食べていただいて大丈夫ですよ!」


 レベッカ嬢が慌てたようにそう言ってきたが、私は首を横に振る。


「私が一緒に食べたいから待っているのよ、レベッカ嬢」

「ソフィーア様……」

「……ふむ、そうか」


 私とレベッカ嬢のやり取りを見て、アラン様が指をパチンと鳴らして執事を近くに寄らせる。


「レベッカの料理を早く用意させろ。一気には持ってこなくてもいい、一品でも出来たら持ってこさせろ」

「かしこまりました。そのようにいたします」


 その指示を聞いて私とレベッカ嬢は少しだけ呆然としてしまった。

 まさかアラン様が私達のためにそんな指示をしてくれるなんて。


 執事の方が扉から出て行って、私はハッとしてお礼を言う。


「ありがとうございます、アラン様。わざわざそのようなことを」

「あ、ありがとうございます、公爵様」

「このくらいは当然のことだ。礼を言われるまでもない」


 アラン様は淡々とそう言ったが、少しだけさっきよりも食べる手が遅くなっている気がする。


 しばらくするとレベッカ嬢の料理が一品届き、一緒に食べ始める。


「いただきます」

「いただきます」

「……」


 うん、アラン様ははもうすでにいただいているから、言うことはないわね。

 その後、しばらくは無言で食べていたのだが、私はアラン様に報告しないといけないことがあった。


「アラン様、一つご報告が」

「なんだ?」

「レベッカ嬢の教育係のナーブル伯爵夫人、彼女を解雇しました」

「……なぜだ?」


 食べていた手を止め、アラン様は私をじろっと見てくる。

 私はその視線に少しだけひるんだが、彼に理由を話す。


「レベッカ嬢に厳しすぎる教育をしていたからです」

「レベッカは九歳から公爵令嬢となった。教育がそこらの令嬢よりも厳しいのは当然だ」

「ですが、限度があります。大人の私でも受けたことがないような厳しい教育は、レベッカ嬢を無駄に苦しめていました」


 それと私が一番あの教育係が嫌だったのは、厳しすぎる教育だけじゃない。


「特にナーブル伯爵夫人はレベッカ嬢に対して高圧的な教育をしていました。あれではレベッカ嬢が委縮してしまい、本来の能力が出せません」

「……なるほど」


 アラン様はグラスを手に取り、一口飲んだ。

 視線をずらし、レベッカを見る。


「レベッカ、お前はどうだ?」


 アラン様に話しかけられて、隣に座っているレベッカ嬢がビクッとする。


「お前には一カ月に一度ほど、教育についての話を聞いてきた。その中でナーブル伯爵夫人に対しての印象なども聞いたが、お前からは『いい人です』という話しか聞いていない」

「あ、その……!」

「あれは嘘だった、そういうことか?」

「アラン様、それは……」


 レベッカ嬢が理由を話せないと思って私が喋ろうと思ったのだが……。


「ソフィーア嬢、俺はレベッカに聞いている」

「っ……」


 そう言われてしまっては、私からは何も言えない。

 黙ってレベッカ嬢の方を見ると、彼女は怯えているようだった。


 アラン様の視線はいつもと変わりはない、だけど彼の冷徹な視線は子供のレベッカ嬢には耐えられないだろう。


 しかも今はレベッカ嬢を責めているように聞こえるから、余計に怖いはずだ。


「あ、あの……」

「……」


 レベッカ嬢が何も言えていないが、アラン様は黙ってレベッカ嬢と視線を合わせている。

 私は何も言えないので、レベッカ嬢に頑張ってもらうしかない。


 だけど少しだけでも手伝いたいので、テーブルの下でレベッカ嬢の手を優しく握った。


「ソ、ソフィーア様……」

「レベッカ嬢、落ち着いて。自分の気持ちを言えばいいのよ」

「っ……」


 レベッカ嬢は私のことを潤んだ瞳で見てから、意を決したようにアラン様の方を見る。

 彼女の震える手をしっかり握っていてあげる。


「すみません、公爵様。私は、嘘をついていました。ナーブル伯爵夫人は、すごい怖かったです。私が失敗すると叩かれて、痛かったです」


 今日は叩かれているところを見なかったけど、やっぱり暴力も振るわれていたのね。

 本当に、許せないわ……!


「なぜそれを言わなかった?」


 アラン様は淡々とレベッカ嬢に質問をする。


 おそらく彼は責めているわけではなく、ただ質問をしているだけだと思うが、レベッカ嬢には問い質されているように感じるだろう。


 だけどレベッカ嬢は私の手を少し強く握って、震える身体で言葉を続ける。


「これが、公爵家では普通の教育だと思って……何か文句を言ったら、怒られる、捨てられると思ったから、です」

「……そうか」

「嘘をついて、すみませんでした……」


 レベッカ嬢はそう言って頭を下げた。


 しばらく沈黙が続き、アラン様が「レベッカ」と声をかける。


「頭を上げろ」

「……はい」

「レベッカ、こちらこそすまなかった」

「えっ……」


 まさかアラン様が謝るとは思っていなかったのだろう、レベッカが目を見開いた。


「実際、ナーブル伯爵夫人が行き過ぎた教育をしていたことを、俺は知っていた」


 その言葉に、私も驚いてしまった。


「使用人からどんな教育をされているか聞いていたからな。だが解雇しなかった理由は、レベッカが言わなかったからだ」

「私が……?」

「教育に耐えられていて、それでいて不満を言わない。だから解雇しなかった」

「アラン様、それはナーブル伯爵夫人の行為を見逃していた、ということですか?」


 私は少しアラン様を睨んで、語気を強めてそう問いかけた。

 レベッカ嬢が暴力を受けるほどの教育をされているのを知っていて、まさかそのままにしていたなんて。


「レベッカは公爵令嬢だ」

「だからあのくらいの教育は我慢するべき、という話ですか? いくらなんでも……!」

「違う。我慢するべきではなく、自分から解雇してほしいと言うべき、ということだ」


 アラン様は淡々と、公爵家当主らしい言葉を言い続ける。


「公爵令嬢なのだから、あの程度の人間を解雇することを自分から言うべきだと思っていた。だから放置していた。公爵令嬢と伯爵夫人など、立場はどう考えても公爵令嬢の方が上。今までの教育を全て問題視すれば、ナーブル伯爵家を潰すことも簡単だ」

「ですが、レベッカ嬢はまだ十歳で、公爵家に来て一年しか経っていません。そこまで考えて発言するのは難しいかと」


 私がそう言うと、アラン様は少しだけ目を見開いた。

 しかしすぐにいつもの無表情に戻る。


「ああ、確かにその通りだ。だからすまなかった、レベッカ」


 頭を下げてはいないが、しっかり謝罪の言葉を言ったアラン様。

 意外と自分が悪いと思ったら素直に謝罪をする人なのね。


「い、いえ、公爵様、私が嘘をついたのが悪いのです」

「ああ、レベッカにも非はある。次からはしっかり考えて発言するように」

「わ、わかりました」


 この人……子供に容赦ないわね。


 だけど公爵家当主のアラン様なりに、しっかりレベッカ嬢を育てようと考えていたのね。

 でも今のままだったら将来、レベッカ嬢が愛に飢えて破滅してしまう。


 アラン様とレベッカ嬢がしっかり仲良くなっていけば、その未来を変えられる可能性が高くなる。


 これから私とレベッカ嬢だけじゃなくて、アラン様とレベッカ嬢の仲も良くしていきたいわね。


 その後、アラン様は食事を先に食べ終わってしまい、食堂を出て行った。


 私とレベッカ嬢はそのまま食堂で夕食を食べた。

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