第2話 アラン様とレベッカ嬢



 まずやることは……レベッカ嬢に会わないとね。


 あの未来を回避するためには、レベッカ嬢が愛に飢えるようなことになってはいけない。


 つまり、今からレベッカ嬢と仲良くなること、これが一番大事ね。


 私はベッドから起き上がり、自分で身支度をして部屋から出る。

 ベルンハルド公爵邸はとても広く、いくつか屋敷が分かれている。


 私が今いるのは本邸で、ここにレベッカ嬢はいない。


 彼女は一番広い別邸の一人部屋に住んでいて、そこで厳しい教育も受けている。


 おそらくアラン様も義娘に広い部屋を良かれと思って住まわせているのだろうけど、まだ十歳ほどの女の子は寂しいと感じるだろう。


 だから本邸を出てレベッカ嬢に会いに行こうとしたのだけど……。


「ソフィーア嬢、どこに行くんだ?」


 廊下を歩いている時に、目の前から男性が歩いてきた。


「アラン様……!」


 ベルンハルド公爵家の当主で私と契約結婚をした、アラン様だ。


 相変わらず恐ろしいほどに整った顔立ちね、いつもだいたい無表情だから冷たい印象を与えることが多いと思うけど。


 漆黒の艶やかな髪で、私やレベッカ嬢とは全く違う髪色や髪質だ。


 私は金色で少し癖があってウェーブがかっている。


 身長も高く、私と頭一個分違う。


「おはようございます、アラン様」

「もう昼過ぎだが? よく寝ていたようだ」

「あ、そ、そうでしたか」


 そうだ、予知夢を見る時はだいたい長く眠ってしまうんだった。

 すっかり忘れていた。


「それで、どこへ行くんだ? あなたはここ一週間、公爵夫人になるための教育を受けていたはずだ」

「ええ、そうですね」


 公爵家の夫人になるのだから、当然の教育だ。

 私はもう二十歳だから、そういう教育を受けてもそこまで苦ではない。


 だけどレベッカ嬢は違う、まだ十歳だ。


「レベッカ嬢に会いに行こうと思いまして」

「レベッカに? なぜ?」


 アラン様は無表情でそう問いかけてきた。


 一週間、私はアラン様の言うことだけを聞いて教育を受けてきた。


 疑問に思ったことはあった。なぜレベッカ嬢と一緒に食事をしないのか、なぜレベッカ嬢と全然会わないのか。


 だけど私は契約結婚で公爵家に嫁いできたから、あまり変なことは言わない方がいいと思っていた。


 アラン様の言うことに逆らうことはしない方がいい、と思っていたので何も言わなかったけど、予知夢であの未来を知った。


「レベッカ嬢と、仲良くなりたいと思いまして」

「仲良く?」

「はい、私はあの子の義母となるのですから」


 私の言葉に、アラン様は不思議そうに首を傾げる。

 表情はやはり全く変わっていない。


「確かに書類上の関係はそうだが、別にそこまでは求めていない。社交界などの際に、私の妻役として振る舞ってくれればそれでいい」


 冷たくそう言い切るアラン様に、私はムッとした。


 そんな態度をしていたら、レベッカ嬢が処刑されるという未来になってしまう。

 私もあの未来を見るまでは、レベッカ嬢に関わろうとはしていなかったけど。


 それでもあの未来を知ったからには、何も行動しないわけにはいかない。


「私がレベッカ嬢と仲良くなりたいのです。義務などではなく、ただ家族として」

「家族として……ふむ」


 顎に手を当てて、考えるように一度頷いた。


「特に止めることはしない。別に契約で『レベッカと仲良くなってはいけない』など書いた覚えはないからな」


 契約結婚をする時に、契約書で取り決めをされた。

 いろいろとあったが、簡単に言えば「アラン様の仕事を邪魔せず干渉せず、彼を愛さないこと」という契約だった。


 女に興味がないということなので、アラン様を好きになるような女性は面倒なのだろう。


「はい、ありがとうございます。では失礼します」


 私は一礼をして、アラン様の横を通って別邸へと向かう。


「……家族か」


 何か後ろでアラン様が小さく呟いた気がするけど、私にはよく聞こえなかった。



 別邸に着いて、メイドの方にレベッカ嬢がどこにいるか聞く。


 どうやらすでに今日の教育を受けているようだ。

 私が昼まで寝ていたから、教育を受け始めているのは想定済みだ。


「今はどこで何をやっているの?」

「二階の広間でダンスの稽古をなさっているはずです」

「そう、ありがとう」


 私はお礼を言って、レベッカ嬢がいるという二階の広間へと向かう。


 大きな扉があってすぐに開けようとしたけど……一応、稽古を受けているので邪魔をしたらいけないと思い、こっそり開けて中を覗く。


 中には何人かのメイドが壁際にいて、広間の真ん中にレベッカとダンスの先生の女性がいた。


 レベッカ嬢は十歳だから他の大人よりも身長が低く、私と並んでも胸辺りしかない。

 金色で長い髪はとても綺麗で、だけど顔立ちは目がぱっちりとしていて可愛らしい。


 アラン様は私が「レベッカと似ている」と言っていたけど、結構違うと思う。


 私もアラン様と同じように、顔が怖いと言われることがある。

 目尻が上がっているので、普通に見ているだけなのに睨んでいると勘違いされたことが何度もある。


 だから顔立ちが可愛らしいレベッカ嬢とは髪が金色、というだけが共通点ね。


 そんなレベッカ嬢だけど、その表情はとても険しい。


 ダンスの練習なのか、頭に本を置かれている。

 そのまま部屋を歩いているのだが……歩いている途中に落としてしまう。


 それを焦って拾って自分で頭に乗せて、また歩いては落としてを何回か繰り返す。


 側で見ている先生のような女性が、はぁとため息をついた。


 するとレベッカ嬢はビクッと震える。


「何度やったら出来るのですか? 早く次の練習をしたいのですが」

「は、はい、すみません……」


 先生の言葉にとても委縮しながら返事をするレベッカ嬢。


 十歳の子供がやるような練習? 厳しすぎるでしょ。

 大人の私ですら、本を乗せて歩くのは難しい。


 それと気になってたけど、指導をしている先生、どこかで見たことある気がするわね……。


 ここからだと横顔しか見えないけど……あっ、思い出した、確かナーブル伯爵夫人だわ。


 社交界で見たことがあって、評判がかなり悪い人だった。

 自分よりも爵位や地位が低い方には高圧的で、彼女の伯爵家でも執事やメイド達に乱暴な態度を取っているらしい。


 だけど社交的なマナーの先生とも聞いたことがあるから、レベッカ嬢の教育の先生に選ばれたんだろうけど……。


「また落として! 何をしているのですか!?」

「す、すみません……!」


 レベッカ嬢が委縮して言い返してこないことをいいことに、あんな厳しくて乱暴な態度を取って……!


 あんな教育を繰り返していたら、心に傷を負うに決まっている。


 もう見てられないわ!


 私は扉をバンッと音を立てて開ける。

 すると全員が私の方を見て目を丸くする。


「奥様……!」


 メイドや執事の方々は驚きながらも、すぐに私に一礼をする。

 一週間前に嫁いできたとしても、私は公爵家の女主人。こんな反応になるのは当然だろう。


「ソ、ソフィーア様、ごきげんよう」


 レベッカ嬢が私を見てスカートの裾を持って綺麗に頭を下げた。

 まだ私とレベッカ嬢は一回しか会ったことないから、他人行儀なのは仕方ないでしょう。


 今、大事なのは……。


「ソフィーア嬢、ごきげんよう。なぜこちらに?」


 先生役を務めているナーブル伯爵夫人ね。


 彼女は頭を下げることなく、笑みを浮かべて私を見下すような目をしている。

 前まで私は貧乏伯爵家の令嬢で、ナーブル伯爵夫人よりも地位が下だった。


 彼女の性格上、私のことを見下すのは当たり前。


 だけど、今は違う。


「ナーブル伯爵夫人、ごきげんよう。ですがその態度は、公爵夫人である私に対しての行為でしょうか」

「っ!?」


 一週間前に私は公爵夫人となったのだ。

 まあ契約結婚でなったものだから、威張れるものではないけど。


 だけど公爵夫人となったのは覆りようのない事実で、伯爵夫人と比べたら爵位も地位も上だ。


 それこそ、今のナーブル伯爵夫人の態度を咎められるくらいには。


「レベッカ嬢を教育する先生として、相応しい態度を取っていただきたいですね」


 暗に「そうしないと解雇する」と伝えているのだが、伝わっているかしら?


「っ……失礼しました、ソフィーア公爵夫人。以後気を付けます」


 伝わったのかはわからないけど、ナーブル伯爵夫人は頭を下げて謝った。


 だけど表情は納得しているようではなく、恨めしそうに唇を噛んでいるのが見えた。

 彼女が何を思うと、どうでもいいけど。


 私はレベッカ嬢に近づいて、腰を落として彼女と視線を合わせる。


 ぱっちりとした目が不安に揺れている。

 なぜ私が来たのかよくわからないようね。


 一週間前に一回会っただけの、いきなり出来た書類上の家族。


 十歳のレベッカ嬢が警戒するのは当然よね。


「レベッカ嬢、ごきげんよう。久しぶりね」

「は、はい、お久しぶりです」


 まだレベッカ嬢からは敬語で話される、まあ仕方ないわね。

 いつか私のことを家族だと思って、気軽に話しかけてくれたら嬉しいけど。


 これから頑張って愛を伝えていかないと。


「今日はレベッカ嬢と昼食を一緒に食べたいと思って来たの」

「っ、昼食ですか……?」

「ええ、どうかしら?」


 真顔だと怖がられるかもしれないので、私は笑みを浮かべて彼女に提案する。


「あ、ありがたいですが、その……」


 レベッカ嬢は視線を私から逸らして、チラッとナーブル伯爵夫人のことを見る。


「ソフィーア公爵夫人、レベッカ嬢は現在、昼食を抜いております」

「……はっ?」


 ナーブル伯爵夫人の言葉に、私は思わず声を出してしまった。


 レベッカ嬢の昼食を抜いている?

 私は立ち上がってナーブル伯爵夫人を少し睨む。


「どういうことですか?」

「そのままの意味です。彼女の食事管理も私は任されておりますので」


 当然、といった表情で彼女はそう言い切った。


「なぜレベッカ嬢の昼食を抜く必要があるのですか?」

「体型維持のためと、忍耐力を鍛えるためです」


 十歳の女の子に、昼食を抜いて体型維持?

 育ち盛りの子供に満足に食べさせないなんて、成長を阻害するだけじゃない。


 忍耐力を鍛えるなんて、他のことでも出来る。


 というか令嬢の教育なんて全て忍耐力が必要なのだから、普通の教育をしているだけで忍耐力なんて身に付く。


 それでさらに昼食を抜いて忍耐力を付けるなんて、成長を阻害して体調も悪くなるだけで、最悪だわ。


「昼食を抜くことを今すぐやめなさい。まだ小さいレベッカ嬢にそんなことをしても、健康に悪いだけです」

「っ、ですがレベッカ嬢の教育係は私です。いくらソフィーア公爵夫人でも、私の教育に口を出されるわけにはいきません」


 確かにナーブル伯爵夫人の言うことも一理ある。

 彼女に教育係を任せたのは公爵家なので、レベッカ嬢の教育に口を出すのは規則違反だろう。


 それならば……。


「では、あなたを教育係から解雇します」

「なっ!?」


 私の解雇宣言に、大きな声を上げて驚くナーブル伯爵夫人。

 教育係として雇ったのは公爵家、だけどこちらの教育方針を無視するのであれば解雇すればいいだけの話。


「今までありがとうございました。他の方を探しますので、どうかお引き取りを」

「ソ、ソフィーア公爵夫人! そんな浅はかな考えはどうかお止めを……!」

「いいえ、あなたじゃレベッカ嬢を任せられないと判断しただけです。先程、練習している際の態度も見ましたが、あんな高圧的な態度を取る方にレベッカ嬢の先生は務めてほしくありません」

「っ……!」


 ナーブル伯爵夫人は顔を赤くして怒っているようだが、何も言えずにいる。

 私が公爵夫人だから、ギリギリで暴言を吐くことをとどめているのだろう。


「お帰りください」

「っ……失礼します」


 彼女は私を睨みながら一礼して、足早にこの部屋を出て行った。


 ふぅ、私も少し勢いでやってしまったけど、これでよかったのかしら?


 だけどこれから数年にかけてレベッカ嬢に令嬢の教育をしていく先生を、あの人に任せられないのは事実。


 あんな教育をずっと続けていたら、レベッカ嬢は予知夢のように悲しいことになってしまったかもしれない。


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