8話
「さ……さ…紗里! お…驚かすなよ」
律儀にシートベルトを装着して俺の帰りを待っていた女の姿に、俺は文字通り心臓を鷲掴みにされるほど仰天した。
俺のパニックを知ってか知らずか、紗里はほんの少し口元を吊り上げて面白そうに微笑んだ。
「全く、相変わらず唐突な奴だな。来てるなら来てるって言えよ、ビックリするだろ」
俺はぶつくさ文句を言いながら、車をバックで発進させた。
紗里は特に何も言わず黙って前を見ている。
いつものように椿柄の浴衣を着て、髪をお団子に結い上げている。これが彼女の定番ファッションだ。
――彼女の名前は三宅紗里、俺の中学時代の同級生だ。
彼女との付き合いは15年近くになるが、俺の助手になってからは4年くらいだろうか。ちょうど俺がお祓い屋を立ち上げた頃、いつの間にか助手として仕事をサポートしてくれるようになった。
昔は活発な少女だったのだが、中学生の頃、夏祭りの帰りに誘拐事件に巻き込まれたことがあり、それをきっかけに心を閉ざすようになった。
紗里は2年以上行方不明で、ある時、呆けたような表情で近所を歩いているところを偶然通りかかった同級生に発見され、無事保護された。
その間どこで何をしていたのか本人が一切口にしないため、謎に包まれている。家族も紗里の意思を尊重してそれ以上追求はしなかった。
犯人――と呼べる人物が存在したと仮定した場合だが、その人物も捕まらないままだ。
紗里は事件の後からまるで人が変わったように笑顔を見せなくなり、会話もせず、意志の疎通もままならなくなった。
あれから時間は流れたが、浮世離れした紗里は未だに少女のような若々しさを保っている。
年齢は俺と同じ29歳だが、化粧をしないせいか子供のように見える時がある。つぶらな瞳はまるで小さなウサギを連想させ、庇護欲が湧いてくる。
もしかしたら本当に紗里の周りだけ時間が止まっているのかもしれない、そう感じるのだ。彼女は残酷な現実から心を切り離し、ずっと夢の中を漂っているのだろう。
紗里といるとまるでペットと生活している気分になる。
言葉は通じなくても言いたいことは伝わる、彼女とはとても不思議な絆で結ばれているような気がするのだ。
表情の変化に乏しい紗里も、俺の前では時折笑顔を見せてくれることがある。
時間が経つにつれ、表情や仕草で何となく言いたいことも理解できるようになったため、俺自身今のこの微妙な距離感に満足している。
「紗里、今回の依頼は本物だったみたいだ。婆さんの霊が出たよ」
俺がそう言うと、紗里は小さく首を振って、両手を広げて大きな円を描く。
「なんだ、大きい? 違うか。丸い? 違う? ん? たくさん?」
たくさん、という単語を発した瞬間、紗里が大きく頷いた。
「たくさん? 婆さんだけじゃないってことか」
紗里は再びうんうんと頷く。
「あの親子、確か爺さんと婆さんの霊を見るって言ってたな。俺が見たのは婆さんだけだったけど、爺さんの霊も憑いてるってことか。……夫婦なのか?」
正直言って、今回の霊現象は謎だらけだ。
あの家に霊が憑いていると仮定しても、過去にそれらしき事件が起きていないことが不思議だ。
家主の言葉を鵜呑みにするわけではないが、地元新聞や役所の情報などを集めてみてもあの家に不審な点はなかった。
仮にあの家で過去に老人が死んでいたとしても、それが異常かと言われればそうではない。
どこの家でも年寄りは病院で死ぬか、自宅で死ぬのが大半なのだから。それが全て霊となって現れたなら、この世は人ならざるもので溢れかえってしまう。
可能性としては自分の死が理解できずに彷徨っている霊ということだ。
ただし、この件から手を引こうとした俺に対し、あんな鬼の形相をするほど怒り出したのだ。よほどこの世に未練が残っているのだろう。
やはりあの家には何かある、俺はそう確信していた。
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