囚われの家 後編
9話
――老女の霊を目撃してから2週間後。
紗里にせかされるようにして重い腰をあげ、しぶしぶ依頼者の家に向かった。
陽が落ちるのが怖かったので前回よりも早い時刻に家を出てお昼前には依頼者の家に到着していた。
前回来た時と様子が違っているのは、先着の車があるからだろう。
道路の脇に寄せるようにシルバーのワンボックスカーが止まっている。車の窓から様子を伺ってみたが、中に人がいる気配はない。
家主の男が来ているのだろうか、とも思ったが車種が違う。金持ちのことだから複数車を所有していてもおかしくはないが、赤と違って控えめなボディカラーはあのチャラ男が好みそうなものではない。
俺は助手席から紗里が降りてくるのを待って、2人揃って玄関へ向かった。
以前来た時と変わっていたのは、表に止められている車だけではなかった。
外観を見てすぐに気が付いたが、今日は家の窓が開いている。
ようやくあの匂いを追い出す気になったのか、と俺はその変化を良い兆候と受け止めた。
ただし、以前来た時に板が打ち付けられていた部屋の窓は、今日も塞がったままだった。
俺は前回と同様、胸ポケットから処方薬を取り出し、豪快に口の中に放り込む。小さな塊たちが喉の奥を通り過ぎるのを待った後、ひと息ついて家の門戸をくぐった。
玄関にチャイムがないことは分かっていたので、ノックもせずにそのまま引き戸を開けて、家の奥へ向かって声をかけた。
「こんにちは、椿です! いらっしゃいますか」
窓を開けて空気を入れ替えているせいだろう、前回よりも幾分か異臭は少なくなっていた。それでもペンキの匂いに混じり、すえたようなかび臭い匂いが漂っている。
俺の声が聞こえたのだろう、2階の階段をトントントンと足早に降りる音がした後、すぐに住人が顔を出した。
しかし、こちらが予想していた相手と違ったため、俺の声が上擦ってしまう。
「お…えっ……あの……どうも。椿です」
「椿……さん? どちら様でしょう」
俺の態度が不審すぎたのだろう、相手は訝し気な表情でこちらの全身を眺めまわしてきた。
「瀬戸さんに依頼を受けたものです。霊がいるのでお祓いをしてほしいと」
「霊? 君は何を言ってるんだ。私はそんなこと頼んでいない。そうか、和久田さんが言ってた不審な男ってのは君のことか。帰れ帰れ、そんな怪しい男に用はない」
男は完全に詐欺師を見るような目つきで俺の事を追い払いにかかった。
腹は立つが仕方がない、誰だって幽霊を祓いに来たという人間を快く迎えはしないだろう。
「いえ、あなたではなく奥様に頼まれたんです」
「……まさこに?」
相手は顔を強張らせた後、怒ったような目つきでこちらを睨んできたが、ここで動じては負けだと感じ、堂々とした態度で言葉を返した。
「はい、瀬戸まさこさんとその娘の愛子さんからのご依頼です。お年寄りの幽霊が出るので、お祓いをしてほしいと」
「なんてことだ、あいつはそんなことまで依頼してたのか。こんな不審な男に住所を知らせるなんてどうかしてる」
ごもっともだ。
俺は頷きかけたが、すぐに思い直して首を振る。
「私は不審者ではありません。これでもその道10年のプロですから」
本当は5年だが、少し多めに盛ってみた。
頼まれてやって来たのに不審者呼ばわりされたとあっては、さすがの俺も気分が良くない。経験年数をかさ増しするぐらいの嘘は許してもらえるだろう。
俺は依頼者の夫らしき人物に視線を向けて、あからさまに不機嫌な態度をとってみせた。
年のころは50歳くらい、生気のない妻と娘に比べればずいぶんと元気そうに見える。
それもそのはず、夫は家族を置いて別のところで愛人とよろしくやっているのだ。この家で起きている怪異になど、気づいてもいないだろう。
別居理由が女性関係と決めてかかるのは問題かもしれないが、これだけ肌艶がいいのだ、きっと別の女が面倒を見ているに違いない。
俺は印象の良くない男の態度に辟易しながら、ふと紗里が怖がっていないかと心配になり、真横に視線を向けてみる。
しかし、相変わらずというのか平常運転というのか、紗里は我関せずという顔で虚空を見つめていた。
いつもと同じ椿柄の浴衣が、今日もよく似合っていた。
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