第8話 共通の趣味

「私のいない間の一週間、いろいろありがとう」


 そう俺に言ってきたのは、小林麻衣先生だった。彼女は俺と同期の先生である。英語担当で、留学経験もあり、コミュニケーション能力は抜群である。私とは違い、クールで自信にあふれ、生徒との関わり方を知っている。


 俺、橋本直希は不器用であると思う。何もないところで転んだり、ちょっとした段差につまずいたり、最悪のタイミングで物を倒したりするといった方面の不器用ではない。協調性などの人間関係の方で不器用なのだ。自分のことばかり考えていて、周囲に気を配ることを忘れてしまう。


 そんな不器用な俺だが、教師という仕事に誇りをもっている。洗練されたカリスマ的な講師ではないが、純粋に生徒のことを考え、成功させたいと思っている。しかし、俺の社会性がないために、生徒とつながることができないことがある。


 最初は、小林先生のカリスマ性に恐れおののいた。しかし、一緒に仕事をするうちに、彼女が本当に親切でサポートしてくれることが分かった。生徒との接し方に苦しんでいるときでも、彼女は決して俺を馬鹿にしたり、教師として不十分だと言ったりすることはしなかった。俺と一緒に教師になったのになぜ彼女とこうも違うのか。


「私のクラス問題なかった?」


「何もない。俺がもう少し生徒と話せたらもっとよかったんだが」


「橋本先生は私の代わりを務めてくれた。私のためにありがとう」


「いや、あなたが押し付けたんでしょ」


 全く同期だからって俺の扱い雑じゃないか。ともかく小林先生は同期ということで関係は深い。いろいろとお世話になっているため、頭が上がらない。こういうところで返していかないとな。


「今日の帰りは本屋寄るの?」


「そうだな、一緒に行くか?」


「行きたい」


 小林先生とはこうして本屋に行くことが多い。俺はアニメや漫画はもちろん小説やドラマ、映画をよく見る。そのため男子生徒にはアニメや漫画の話で盛り上がったりするし、女子生徒にはドラマの話ができたりする。もちろん俺のクラスの3年生の生徒たちの話だ。こうした共通の話題で話ができるのは教師としてというより、俺個人としてありがたい。もともと口数の少ない俺がまともに話せるものなど、好きなものしかないのだから。

 だからといって俺のことを”話しやすい先生だ”と認識されても困る。いざ話してみると、会話が続かなくて地獄の時間が流れることになる。俺が話せるのは授業の内容に関してと趣味の話だけだな。


 話がそれてしまったが、小林先生とは小説や漫画といった本で趣味が共通しているのだ。だから、勤務終わりに近くの本屋にふらっと立ち寄ると小林先生がいたりするのだ。何回も顔を合わせるうちに、だんだんと一緒に行くことが多くなった。


「じゃあ仕事終わりに行こうね」


「分かった」


「Don't forget about this, okay?(このこと忘れないでね いい?)」


「オーケー、オーケー」


 俺の返事に満足がいったのか、彼女の口元が嬉しそうに歪んでいる。

 恒例の会話をして、職員室を出て授業をするクラスへと向かう。


 今日は2年生の担当のある日だ。俺は教室に入る前、すでに一日の重みを肩に感じていた。教師として、俺はしばしば世界の重荷を背負っているような気がしている。その重責を、俺は教師という職を選んだ時点で自ら進んで引き受けたのであるのだが。教室に入ったとき、俺は穏やかな気持ちになった。そこは俺の領域であり、俺の空間であり、俺がコントロールしているのだ。俺が教室に入ると、生徒たちは顔を上げ、俺だけに注目した。教壇の前に立つと、教室内が静寂が漂っていることが分かる。生徒たちは静かに席に着き、私を見つめながら授業の開始を待っている。こうして注目の的になるのは不思議な感覚だったが、もう慣れたものだった。


 俺は教室の一番前に立ち、咳払いをした。


「おはようございます、皆さん」


 と俺は声を出して言った。


「今日からは、芥川龍之介『羅生門』について説明します」


 生徒たちは不安と好奇心の入り混じった目で橋本先生を見ていた。生徒たちは、橋本先生がフレンドリーな教師でないことは、もう十分承知していた。世間話もしないし、ほとんど笑わない。しかし、彼らは橋本先生がとても優秀な教師であることも知っていた。彼は自分の専門分野を知り尽くしており、どんなに複雑な概念でも納得のいくように説明するコツを持っていた。


 俺が講義を始めると、何人かの生徒がついていけずに苦しんでいることに気づいた。そう言った生徒には、かみ砕いて説明する。そうすることで理解を深めることにつながるのだ。一部の生徒は退屈そうで、やる気がなさそうだった。しかし、俺はそれを気にすることはなかった。注意は1度きり。これが俺の授業のルールであった。厳しめの口調で、的確な言葉で、ただひたすら教え続けた。


 厳しめの口調ではありましたが、彼は生徒のことをとても大切に思っていました。生徒たちには成功してほしい、勉強を極めてほしい、そして幸せで充実した人生を送ってほしいと願っていました。しかし、人生は厳しいものであり、生徒たちはその過程で多くの困難に直面することも知っていました。彼の仕事は、生徒たちが成功するために必要な道具を、できる限り準備することでした。


 授業を終えて教室を出たとき、俺は満足感を覚えた。自分の仕事はうまくいったと思ったからである。そして、生徒たちに批判的な思考を促し、主題に取り組むように仕向けた。そして、それこそが本当に重要なことだったのである。


 それから授業をしていくことで時間が過ぎ、今日の仕事の終わる時間まで来た。


「それじゃあ行くか本屋に」


「うん、行こう」


 仕事が終わり、俺と小林先生は学校から少しだけ離れた本屋に行くこととなった。





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